日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

休みです

2013年11月30日 | お仕事プラス
午後からひと働きしようかと思いましたが、今日は休む事にしました。
明日、気分がのったら(笑)働こう。
いや、のらなくても半日は稼働したいところです。
せめて器形だけでもとってしまいたい、切実ですよ、エンジンがかからん、スイッチが入らないので。


年齢と精神年齢、人としての中身が伴っているとは限らない、それは嫌と云うほど実感している事ですが、この頃それを再認識させられるような事ばかりです。
それに、本当に言葉には気をつけなくてはならないなと。

本心で云っているなら後ろから刺してやる!と思いたくなるような事をシレっと云う人。
こいつには思いやりも想像力の欠片もないのかと云うような事を平気で云い放つ人。
それがどいつもこいつもいい年こいたジジババと云うのが痛過ぎます。

自分が経験しないと実感出来ない事は沢山ありますが、経験したところで必ずしも同じ感覚を得られる訳ではないし、それは全てにおいて云える事だとは思います。
誰ひとり同じ人間はいないのだから。
でも、それなら少しでも思いを寄せるとか、自分ならどうだろうとか、それぐらいの想像力を働かせられないものかと思う訳で。
想像したところで全く共感出来る事がないとでも云うなら端から話しはなりませんが、そこまでズレている人ならスルーも出来ると云うものです。
そこまで出来ない中途半端なのに腹立つんだな。
不思議な事に、無神経な事を云う人に限って、同じような事を云われたりされたりすると普通に怒る。
変ですよねえ。
自分はやっておいてされると怒る。
と云う事は、分かっててやってんじゃないのと云う疑念も湧くと云うもので。

人のふり見て我がふり直せと云いますが、ホントにそうだなと思います。
腹は立つけど反面教師って事で、そうでも思わないと、ちょっとやってられない感じです。

今日も1…

2013年11月29日 | 仕事
今日は絶対1個体は書き終え次の器形まで何とか、と思いましたがダメですた。
云い訳としては、土器がちょっと大きかった……。
なんて云い訳にもならん。
文様は大して面倒ではなかったのです。
なのにサクサク出来なかった。
単に時間が空いたからか?
ん~、そうとも思えん……。
土日の空き時間にも少し作業をしようかなあ。

でも思うに、粘土貼付が殆どないものばかりなので、全部を拓本で行った方が見栄えは断然いいのではなかろうか。
沈線の間に縄文が入っているものが随分ありますが、前はこう云うものは全部実測にしていたのです。
でも今回はあくまでも文様のあるところのみ図化で、縄文だけと云うところは拓本だそうで。
沈線の間の縄文は手書きのトレースで、原体は一緒なのに縄文だけのとこは拓本。
別ものに見えてしまいそうだけど、まあワタクシだけがそう思ってるだけと云う事で。

やっぱりまだスイッチが入ってないのかなあ、オレ。
器形を出し難い訳でもなく、ごたごたと目一杯文様が入っているでもなく、縄文だけのところは1単位書けばいいだけ。
なのに時間がかかり過ぎる。
ホントに頑張らなくちゃダメだよ……。

1個体

2013年11月28日 | 仕事
縄文の実測はどれぐらいぶりかと云うぐらいやっていませんでしたが、今日は久々に書きました。
1日で1個体書く事が出来たので、リハビリはよしとしましょう。
が、ホントだったら半日程度だなと思いつつ。

さて注記をしましょうと思ったところ、単節の縄文なのに、RLかLRか一瞬分からなくなるオレ。
これはいかんとあんちょこを出してみる。
ああそうでしたかと思い出したものの、基本的な事まですっかり忘却の彼方のようで。
器形をとったり文様を割りつけたりと云う事は割とサクサク出来たのですが、それが何かという注記の段階になってすっこーんと抜けている。
要はバカなんですね。
いやはや、困ったもんですが、これで残りは大丈夫か。
とりあえずはやるしかない、と云う事です。
1個体を面を変えて2個体分書かなくてはならないものもあるんですよね。
ちょっと難儀ではあるけれど、頑張れワタクシ。

働きます

2013年11月27日 | お仕事プラス
午前中仕事を引受けに行きましたが、拓本メインかと思いきや、ほぼ通常の実測じゃねーか。
騙したな……。
いや、モノは云いようってやつか。
どっちにしろ、これは当初の予想を大幅にオーバーしそうです。
と云うか、実測そのものがもう忘却の彼方ですよ、書いた事あるタイプだけど。
被災地の遺物ですので、また何時もとはちょっと違うのですが、頑張ってやるしかないですね。
やりましょう、明日から。


それにしても、去年ぐらいから想像もしていかなった事が起きまくる。
しかも全くいい事ではないと云うのがミソである。
免疫ゼロと云う事ばかりで、ダメージ受けまくりです。
単に弱い人間だと云う事もあるのでしょうが、なんでしょう、とっかかりも途中経過もなく、イキナリMAXと云うか、そんな事ばかりで。
気付くとタメ息、みたいな状態です。

今日も朝一で、叔父が血を吐いて救急車で運ばれたと連絡が……。
方や、今日退院と云う叔母も、どうやら先が見えている状態。
我が家も爆弾を抱えているのが2人。
自分の身近な人達で、何事もないと云う人はいないかも。
どんな人でも何かしら抱えてはいるものですが、半端ではない起き方と内容のすさまじさに、もうぐったりですよ。
目の前に事にひとつひとつ対処して行くしかないのですが、一難去るとまたなので気の休まる時がないと云うか、穏やかでいられる事がない。
これは何時まで続くのでしょう。
今年で厄は落ちてくれるのか、単なる序章なのか、どっちなんでしょうねえ。

優先順位

2013年11月26日 | お仕事プラス
年内はないだろうと思っていた仕事の依頼が来まして、私に頼まないと間にあわないと云う事らしいです。
最近じゃそう云う時しか声がかからないので別にいいのですが、打ち合わせを初っ端からドタキャンされちゃいまして。
早速今回も洗礼を受けた次第です。
急用が入ったと云うのですが、こっちが先約なんですけどね、どんだけ優先順位が低いんでしょうね、オレって。
都合よく使えるから頼まれているのでしょうが、ホントに困った時だけだよなと実感します。
キッパリお断り出来ないのも情けないところですが。
とにかく頑張ってさっさと終わらせてしまうようにしましょう。

今日何年かぶりで大きな虹を見ました、何度も。
虹って、何かいい事がありそうな気持ちにさせてくれますね。
勿論何もある訳ないんですが、それでもね。
人間慣らされて来るとどんどん動じなくなって来るもので、どうやら期待を9割方裏切られたなと云う感じですが、やっぱりねと云う思いだけで失望もなさそう。
100%結果が出た訳ではありませんが、もう上手く行く見込みは限りなくゼロに近いのは分かっているので、動揺しない自分にホッとしている面もあります。
頼んでも助けて貰えない、見放されてる感じがガッツリしますが、どうしようもないです、現実ですから受入れるしかない。
どうしたらいいものか、考えも何も浮かんでも来ませんが、生きるしかないんだな。
困ったもんですね。

そう云えば、昨日は包丁で指先を少し削ぎ落し、今日は雨の中、普通に歩いていて転びました。
なんかもう末期だな、オレ。

メッキ

2013年11月24日 | Weblog
スピは救いのようでいて、実は混乱の元だったりします。
何かこれと云うものがないと辛い。
宗教にハマる人は信仰と云う名の元に、何かにすがりたいのだと思いますが、これを信じれば救われると思いたい気持ちは理解出来ます。

私は小さい頃から周囲に馴染めないし、常に心の中に、何か妙か感じが何時もありました。
大きくなるにつれ、起きるトラブルが、話しても信じて貰ないような突拍子もない事が増え、現実に原因を見出せなかった私は、問題は見えない世界にあるのではとスピに目を向けるようになって行きましたが、それが救いも求めたと云う事になったと思います。
当初は全てが新鮮でしたが元来が疑り深いので、端からケッと思うものはあったし、そう云うものは当然スルーでしたが、これこそ苦しい状況から救ってくれる事だと思える事は、本当に何でやりました。
でも深く知れば知るほど経験すればするほど、あれほど信じていた事に色々疑問や矛盾が湧いて来る。
能力と人格、人間性が全く比例しない事も肌で感じ、また関わって来るお金の事やら何やら、どんどん疑心暗鬼になって行きました。

とは云え、散々はぁぁぁ?な思いをした今でさえ、まだ信じているところはある。
情けないような気もしますし、やっぱりそこが行きつくところだからと云う気もする。
多分行きつくところは同じなのだと思いますが、そこへ行くまでの道のりをどう行くか、そこがそれぞれと云う事でもあり、また騙され易く傷つけられ易いところでもあるのかも。

とにかく云い訳が無限にあり、常に自分達に都合がよく、謝ったら終わりとでも云わんばかりに非があっても謝る事をしない、そう云う連中は淘汰されて欲しい。
今、色んな隠し事が表に出て来ていますが、スピにおいても、本物だけしか残らないと云う風に動いているならいいなと思います。
騙される方が悪いと云う人もいますが、そんなの騙す方の詭弁です。
人を無意識であっても傷つけたりインチキしていい思いをした人は、相応の事が起きて然るべき、文句云えた義理じゃないと思います。
メッキがどんどん剥がれてボロが出て、ちゃんと相殺されるならいいのですが、色んな膿が出始めたとは云っても、基本理不尽なところはなかなか変わりませんからねえ。

編集

2013年11月21日 | Weblog
お仕事ブログとして始めたものの、どんどん中身が伴わなくなって来たもので、1部カテゴリーを修正と云うか削除しました。
一応仕事の実績のカテゴリーを作ってあったのですが、今はあったところでしょーがないっつ~事で。

叶えたいと思っている事があるのですが、超短期間に奇跡が起きない限りは叶わない事です。
去年も全く同じ状況にあって、でも去年はあらゆる事を諦め放棄していたので、叶ったら嬉しいとは思いましたが、叶う訳がないと云う思いの方が100倍強かった。
諦めるしかないだろうと思っていましたから、思った通りの結果にも、やっぱりなとしか思いませんでした。
でも、もしここで叶ったら人生変わるかも、ぐらいの事は思いました。
それだけどん底だったし、何か一つでも叶う事があったら本当に人生変わる、きっとよくなる、そんな風に思ってしまった。
何も叶う事なく、今日になって、相変わらずでが、願かけに近い感覚なのだと思います。

そんなこんなで、正直去年から何一つ変わっていないのですが、今年は何とかして叶えたい、そう云う気持ちがとても強いです。
とは云っても、99%は無理でしょう。
もう少しだけ待つ時間がありますが、奇跡は起きてくれるのか……。

叶えば未来に希望が見えますが、ダメなら、見放されているのかなと云う思いもあり。
後もう少しの待てる時間に、奇跡を信じていたいと思いますが、ダメだった時、やっぱりと思う程度で過ぎるか、心底立ち直れないぐらいに落ち込むか、どちらか今は想像が出来ないのでかなり恐ろしいです。
後者だった時のダメージは計り知れないので。

祈る以外に叶える方法を持たないなんて、本当に情けない事ですが、どうする事も出来ない。
祈るのみ、です。
見放されているけれど(汗)。

同じ

2013年11月20日 | Weblog
スピ系の事なので、現状ではどんな凄いサイキックでも100%と云える事ではないと思うのですが、まことしやかに語られてはいるけれど、私はどうにも釈然としないと云うか納得出来ずにいる事がありました。
スピはなんでもありで、都合がよ過ぎだろ?と云うような事も多々ありますが(ってか、そればっかりかも)、それにしたって余りに矛盾してませんか、どうしてこの件について自分の云ってる事に何も疑問を感じないのかと、長年思っている事があり。
それをちゃんと納得出来るように説明してくれているサイキックは、今のところ誰もいません。
と云うか、そもそも全く矛盾を感じていないらしいのでどうにもならないのですが、私と全く同じように思っている人がいる事を知りました。
その人の著書でその事に触れていたのですが、初めて同じように思っている人がいたので、その筋の方でもいるんだと、ちょっとビックリでした。
スピ系の大方は、矛盾する事の方を当然と思っていると思っていたので。

正直なところ、著者の云う事を何から何まで受入れられるかと云うと微妙ではあります。
それはこの方に限った事ではないのはスピだからこそではと思いますが、ちょっと、清く正しく過ぎると云うか、人間やってる身には酷だろと感じる事をシレっと語られる、綺麗事が多い方と云う印象なんですよね。
だから信者は、何処に、何に惹かれているのかなあなんて思ったりもします。
イマドキこんな事真に受ける人いるのかななんて、意地の悪い事も思ってしまう。
でも、そう云う方が私と同じ事を思っていた(と云うか、この方は結論付けていましたが)と云うのは、何だか不思議な感じでした。
が、やっぱり変だと思っている人はいるんだよね、と云う安心感もあり(笑)。

結局何が正しいかなんて、誰にも分かる事ではありません。
見えない世界とこの三次元を自由自在に行き来出来る、それを万人が認めている人でもない限り(んな人はいないでしょう)、自称で何でも出来てしまう世界の話しですから。
とにかく、こうだ!と云い切って、それ以外はない、違うと云うような、到底スピの世界にいる人とは思えないような狭量で上から発言をする人が、大きな顔しているのがおかしいよなと思うのです。
私と同じように思っていた人も、その事を結論付けていると云う点では決めつけているけれど、初めて同じ考え方をする人もスピ系にいると云うのは、単純な驚きでもありました。

占いもよく云われますが、よいところ、自分に当てはまるところだけをチョイスしていればいいのかもしれません。
でも、決めつけたり高飛車なサイキックが100%と云う顔して云う、だからカチンと来てしまうんだな。
能力と人格は無関係、嫌と云うほど分かっているはずなのに、その辺をスルー出来ない、ダメなオレです。

考えたくなくても

2013年11月19日 | Weblog
しんどくてたまらない、考えてもどうにもならないけれど、その事が頭から離れない。
堂々巡りで何年も変わらず苦しい時に、頭が変になったらどれだけ楽だろうと思う訳です。
気がふれてしまったら、いいも悪いも何もなくなる。
その時だけを生きて行けばいい。

思い煩っている事を、1日中、年がら年中考えている訳ではありませんが、こう云う重たい事と云うのは、ふとした隙間に入り込んで来て、忘れていたら、まるでそれを容赦しない風に現れて来ます。
結局考えざるを得なくなってしまう。
考えると云う事が、解決ではなく、むしろその問題に焦点を当ててしまい、執着していると云う風になるらしい。
病気になりたくないのであれば、病気にならないと云うのではなく健康であると考える、病気ではなく健康に焦点を当てろと云う事で、だからこそ、考えないようにしろ、と云う事で、それはよく分かります。
でも心配事や悩み事と云うのは、そう簡単には逆のよい方向へは考えを転換するのは難しい訳で。

湯船につかっている時、ベッドに入った時、こう云う時に苦しい思考が襲って来ます。
最もゆっくりする時にやって来る。
重たい気分でお風呂から出て、思い煩って眠る事が出来なくなる。
考えたところでどうにもならない事を、苦しい思いで悶々と考え続ける。
ここで発狂してしまったら楽になれるのかなあと思う、これの繰返し。
本当は消えてしまえたら1番いいのですが、それも上手くは行かないし。

分かっていても、当ててはいけない事にばかり焦点を当ててしまう。
人間は学習する生き物ですので、よい風に考えられないのは理由あっての事だからですが、少しも光が見えて来ないと、分かっている事もそうは出来ない、それは仕方がない事なのよ。
神様、その辺を、ちょっとは分かってちょーだいよ(涙)。

何時もの事

2013年11月18日 | Weblog
何時も普通に出来ている事が実はとてもありがたい事だと実感する出来事がありました。
いや、単発ではなく連続で起きている気もします。
こう云う事は気付かせる為に起きると云いますが、私は余程感謝が足りない人間と云う事なんですね。
これはしょっちゅう思う事ですが、どれだけ気付けと繰返されているのかと思うと哀しくなります。

普通にありがたいと思う事、それでは足りない、そう云う事なんでしょう。
毎晩生かされている事に感謝して、ありがとうと云い続けていると涙が止まらなくなって咽び泣くと云うセラピストやヒーラーを数人知っています。
無理……。
これだけは絶対無理です。
どれだけ頑張っても生かされている事に対して泣くほど感謝は出来ない。
日々生きている中での感謝と云うならともかく、生きると云う事に対する思い入れ?が根本から違うので、どうしようもありません。

だから、私は感謝が足りないと云う事になるなら、もうどーにでもしてくれと。
生殺しみたいな状態で生かされてる罰のような人生だし。
とか云うと、ごうごうと批判をされそうですが、色んな思いや事情を抱えて生きていると云う事は誰にも否定出来ないし、受入れない訳には行かない事です。
本当のところを分かっている人なら、逆に何も云えない気もします。

感謝が足りない、泣くほど感謝しないとダメとは云うが、それって誰がジャッジしてんだろう。
勿論感謝出来る事が沢山あるのはいい事だし、そう云う気持ちでいられる状態が多分よいのだろうとは思いますが、感謝のレベルまで計られたら……。
神様が応援したいと思う生き方をしなさいと云うのも聞いた事がありますが、感謝なんてその最たるものでしょうね。
ありがたさに気付くだけではいけない、そこで思いを改めるだけではダメだと云うなら、私なんぞはどーしよーもない人生を生きて行くしかないんだろうなと思います。
今更何を云われても、もう失望もなにもしませんけどね。