日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

この天気…

2019年03月31日 | Weblog
あああ、もう……。
どっさり来たもんで、雪が。
落ちるわ、どんと。

とけるでしょうよ。
でもメンタル的に来るわ~、この積雪。
この時期、降る事は珍しくはないけれど、この量、ちょっとなあ。
天気予報も、結構雪だるまマーク多し。
朝も冷えて気温も上がらないみたいだし、新年度のスタート、晴れやかには行きませんね。

明日から4月、雪だよ、トホホ。

梱包

2019年03月29日 | Weblog
読み終わった本を本棚に入れようとして、置き場所がない事に気付く……。
ポチっとし過ぎて本が増え、縦にしても横にしても隙間に詰めても、もうどこにも置けなくなってしまった。
であれば、思い立ったが吉日と、読まないであろう本を分別しました。

40冊弱と、多い冊数ではないかもしれませんが、文庫本とは違ってハードカバーは大きさゆえに、どんどん置き場所がなくなってしまいます。
取り払ったら、本棚スカスカ。
これでまた買える(笑)。

処分する本をどうしたものかと、その類の買取専門店に査定を頼んだら、在庫が一杯で今は受付していないと云う返事。
結局大手に宅配で送る事にしました。

何年か前も、別の大手に買取を頼んだ事がありましたが、二束三文でした。
着払いで引受て貰えて、必要ない分は向こうで処分もして貰えるので、戻って来てまた場所がふさがる心配がないだけ、よしと云う事でしょう。

自慢じゃないが、相当綺麗に読むし保存状態も良好なので、ほぼ新品同様ですが、種類が種類だけに、値が付きにくいのは確か。
幾らになるか、期待はしていませんが、1冊ぐらい、いい値が付くと嬉しいな(笑)。

とっとと梱包も終わり、後は宅配便の業者さんが取りに来てくれるのを待つばかりです。
片付いてスッキリ、気分よろし。

承認願望

2019年03月27日 | お仕事プラス
人間性とか人となりと云うのは、年齢には無関係で、自分の親ぐらいの年代の人でも、トホホな人は結構います。
が、そう云う中に、どんだけ自分の凄さアピールをすれば気が済むんだ?と云う人がいる。

長らくその人について触れる機会がなく、心穏やかにしていられましたが、こう云う人って、たまに聞く話ってのが半端なく、聞くと脱力、開いた口が……となってしまいます。

この場合、長所とは云い難く思えますが、全く嫌味が通じない、何でもそのまま受け取る人なので、お世辞ってものが一切通じません。
なので、周囲はみんな、自分を羨望のまなざしで見ていると思っている。

この方は、口を開けば自分の自慢話しかせず、その言動が、聞くに堪えない赤面ものと云う事にも気付かない。
やりたいとなれば、猪突猛進で、相手側の事は勿論、そこに自分がいるべきか、立場とかそう云う事は一切関係なし。
考えようによっては、悪い事ではないのかもしれませんが、この人の場合はそうではないから問題なんですよね。

如何に自分が新参者であろうと、そこにいて自分が絶対にトップにならなければ気が済まないのだ。
当然、昔からいる人よりも自分に才覚があると云う事をアピールし、周囲を巻き込み、元々いた人を蹴落としてしまいます。
これ、どこへ行ってもやる。

何でも1番出来るかと云えば、実はそんな事はないのですが、興味を持った事なので、そこそこ出来る事だったりもする。
だから質が悪いのですが、できない事はシレっとスルーし、物がある場合はクモの巣が張るぐらいに隠し通す。
何より、事が起きれば自分は悪くない、悪いのは周囲と云う人なので、話にならないのです。

久々にこの人の話題を聞き、案の定、到底まともな神経とは思えない言動をした云うので、ウイルス感染したかの如く、一気にメンタルダウン。
相変わらずの自慢話の上、聞いていた人がギョッとしてひいてしまったと云う内容に、単に承認願望が人より激しい人と云うくくりでいいもんでしょうか、という疑問が……。

何年経っても一向に変わらないまま。
もはや凄いとしか云いようがありませんが、傍観者としてもかなり思うところあり、です。
実害を被った事があれば尚更。
こう云う人がパワーダウンする事もなく、ますます酷くなっていくって、どう云う事なんでしょ……。

タイヤ交換

2019年03月21日 | Weblog
去年はまだまだ出来そうもなかったタイヤ交換ですが、今年は2月の内にやってしまったと云う人もいるぐらい雪がなく、私もどうしたものかと思いつつ、スタッドレスタイヤをはいたまま。

そんな中、出かけましょうと玄関を出たら、我が家の老人が張り切ってタイヤ交換中でした。
ビックリ……。
目の錯覚かと思ったオレ(汗)。

毎年自分から進んでなんぞやった事がない人だと云うのに、突如何かのスイッチでも入ったか、テキパキと作業している。
ん~、今年は異常気象になるかもしれぬ……。

気温も高くなり始め、タイヤも交換し、気分的にも春到来です。
後は梅に桜を待つばかり。

やっぱり春はいいなあ。
暖冬だったとは云え冬は冬。
春が来ると思うだけで心が喜びます。

なにもかもが

2019年03月20日 | お仕事プラス
中途半端なんだなあ、なにもかもが。

上手く行かない事が多過ぎて、これから先に希望が持てない。

自分に何が足りないのか、足りない事が多過ぎてわからない。

何か始めなくては、何かをやらなくては、
何かを何かを、ずっと思い続けてきて、でもそれが何か、未だに分からない。

極めたものも、なにひとつなく、
結局は中途半端だからなんだろうけれど、
どんどん時間は過ぎる。
情け容赦なし。

このまま、この繰り返しでただ年を取って、
なにひとつ成し遂げないまま終わるのかと思うと、
これが自分なんだと納得するしかないのかも。
納得できなくても、現実はそうなんだから。

平々凡々と思われるような日々であっても、
それに納得でき、それでよしと思えるならいいけれど、
どうにもそう云う風に思う事が出来ない。

上昇志向とかではない、
何か自分には、
決定的に欠けているものがある気がしてならない。
人間として。

社会不適合者と云う、
ゆるぎない自覚だけはあるのに、
そこから先に進まない、進めない。

問題は何か、
分からん……。

不安定

2019年03月18日 | Weblog
幾つになっても、この時期の心の不安定さには辟易する。
この先に、心躍るような事が待っているなら、ちょっとは浮き立つものはあるけれど、ただ日々の漠然とした状況が続いて行くと云う時の、希望でも不安でもない摩訶不思議な不安定さ……、なかなかにきつい。

雪が解けて春が来る。
とても嬉しい事ですが、徐々にとは云え、大きく季節が移り替わって、自分には無関係でも、環境が大きく変わると云う時期、もの凄く心が揺れる。

どうでもいい事を考えて不安になり落ち込み、自分をコントロールできなくなる。
些細な事に過剰に反応してしまうし、どうしていいのか分からなくなったり、遠い先の事を考えて恐ろしくなったり、普段からない訳ではないけれど、この時期がより一層きつい。
ただでさえフラットでいる事は難しいと云うのに、この時期特有の不安定さで、落ちると上がる事に時間がかかる。

早く抜けて欲しい。
この不安定な感じ、もの凄く辛い……。

寂しい

2019年03月17日 | Weblog
人が亡くなってしまったとか、そう云うレベルの寂しい出来事があって、もの凄く凹んでいます。
車をぶつけて凹んでいたのに、追い打ちだ……。

別に親しい訳でも何でもない、人を通しての知り合い、それも薄っすら知っている程度の人ですが、その人の事で哀しい事があって、考えるだけで涙が出てしまいます。
私が泣いたところでどうにもなりませんが、寂しくて涙が止まらない。
他人から見たら、泣いてる私がばかみたいに見えるだろうけど……。

その人がいる、それだけで充分、そう云う人がいなくなる。
寂しいでは片付けられない……。

またやった…

2019年03月16日 | Weblog
車を擦った。
ちょっと前、反対側を凹ませたばかりだと云うのに、新たにがりがりといい音をさせ、やってしまいました。

車両感覚が、何年経ってもつかめない。
ぶつけて擦っては、全部我が家でやらかしていますが、修理代は高くつきそうなので、暫く放置です。

車じゃなく、こっちが凹む。
一体なんなんだろう。
こんな事、今の車になるまでなかったと云うのに。

なんか憑いてんのかな……。

備忘録

2019年03月15日 | Weblog
自分が如何に大変な人生を歩んできたか、やたら云いたがる人がいますが、こんだけ書きまくり、見てる方が暗記できるぐらいの回数と量は、備忘録か?と思ったりして。

そう云う人は、人を癒す仕事をしている人に結構多め。
あくまでも私個人が関わった人に限って、ではあります、勿論。

でも、苦労人と云うだけで、人は大いに油断します。
自分の辛さを理解して貰える、共感して貰える、そう思い込んじゃうんですよね。
実は全くそんな事はないんですが。

むしろ、その逆って事もかなり……。
語りまくり書きまくる人ですから、自分は大の苦労人だと云う思いが人一倍強く、こんなに辛いんですなんて訴えたところで、最初は、大変ですねとかなんとか、一瞬共感したように見せても、でもね、他にはもっと大変な人がいるんだよ、と云うような、ステレオタイプな反撃に転じられます。
そう云う考え方だからよくならないとか、考えを改めろとか、ぐさぐさ突き刺さる言葉の槍を、これでもか、と突き刺してきます。

自分よりも大変な思いをしている人となかなか出会わないと云う事も大きいかもしれませんが、意外と相手の立場に立てない人は多いかもしれません。
考える基準は自分ですから、自分の方が辛いと云う状態に、余程のショーゲキでもなければ、考え方は変わらないと思われますし、しんどさを乗り越えてしまった状態で、そのさ中にいる人に心を寄せると云う事が、既に出来ない人に成り下がっているように思えてならないですね。

自分は乗り越えて今があるとしても、他の人がみんなそうなれるとは限らないのですが、自分が出来た事は他の人も当然出来る、と云う理屈なのかもしれません。
でも、明らかに、遜って、自分ごときが出来たのだからと云うのとは違います。


自分には何の苦労もなく今があると思っているの?と激怒された事があります。
備忘録レベルで公に公開しまくっているのですから、知りたくなくても知ってます、でしたが、そもそも私が、どうしてそれを知る必要があるのか?それが未だ分からず。
何が逆鱗に触れ、そんな事を云われたのかもよく分からないのですが、いちいち、その人の背景や生い立ちや、そんなものを全て知った上て付き合うなんて事、あるのでしょうか。
どんなに親しい人でも、その人の一体どれだけの事を知っているのか、考えたら「?」です。
んじゃあ、あなたは私の何を知ってるの?とお伺いしたかったのですが、面倒くさいので放置。

どれだけ自分を知って欲しいのでしょう。
と云うか、どうしてそんなの自分を知って貰いたいのだろう。
自分の何をもなく、情報ゼロの素の状態では、誰とも関われないのか、全くもって不思議です。

幸せ自慢も苦労自慢も、自分が自分がって人は、本当に鬱陶しいです(汗)。
その必死な自己アピール、何の為なのか、バカな私には理解不能です。

面白おかしく

2019年03月14日 | Weblog
絶望感しかなく、全く前を向く事が出来なかったような日々の事を、笑い飛ばしたり面白おかしく話せるようになれば、消化できたと云う事になるのだろうか。

そう云う風にしてしまう自分に腹が立つようでは、多分まだまだダメなんでしょう。

なんでもかんでも面白おかしく話せるようには、私はまだまだで、やっぱり胸がもやもやする事の方が断然多いのですが、そんな事を心に抱えている事が、本当に嫌だとつくづく思います。
起きた出来事の程度の差はあれ、何とか上手くやり過ごす事が出来ないものか……。
そうできるようになれたらどんなにいいかと思います。

どんな人だって、しんどい事や辛い事がない訳はなく、それをどう受け止めるか、やり過ごすかでしょうが、仙人にでもならない限り、ワタクシには難しいままだろうなあ。