日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

支払い

2011年10月30日 | 仕事
10月に支払い予定と云われたものが、一向に動きません。
仕事はとうに終わっていて、でも予算の関係上支払いが先になると云う事だったので、それは困りますとも云えないので承知したのですが……。

細々プラスになった事もあるので、確実な金額は向こうから出たものと確認しないとどうにも出来ないし、一体私の10月は何時来るのかと思います。
金額的には大きくはありませんが、一応あてにしていた分もあるのでちょっと困ります。
こちからから云う事ではないので、余計に困るんですよね。

仕事内容だけでなく、支払いや色んな事、殆ど依頼先の条件を飲んでいるのですが、何だか何時も報われない事ばかりで情けなくなります。
それはちょっとと云えば、別に私でないくてもいいと云う事になるのでしょうし、出来る事がない私にとっては、少しでもお金になる事はやりたいし、云われたままやるしかないのですが。
立場が弱いって哀しい事ですね。
相手は人を選んで使える立場だし、下の人間の事なんて考えなくていいのですから。

それにしても、働いた分の支払いまで滞るなんて、どこまでお金に縁がないのかと思ってしまいます。
これまで引き寄せているなんて云われたら、たまったもんじゃありませんね。

今ここに

2011年10月29日 | Weblog
何時間も一緒にいた人の服装を答える事が出来ない、なんて事はしょっちゅうです。
1日中一緒にいた人ですらそう。
さっき食べたものを忘れると云う話はよく聞きますが、こう云う日常的な記憶が本当に曖昧と云うか、欠落しているなと思います。
目を閉じて自分の部屋の中を思い出す時、自分が手をかけ常にいる場所なのに、隅々まで思い出す事が出来ない事が分かり、軽くショックでした。
こう云う状態は、今を生きていない、のだそうです。
心が過去か未来か、今ここではないところにいる、そう云う事ですね。

今を生きると云うのは、実はとても難しい事だと思います。
去年の暮れにオーラ掃除のワークをした時、私の背後のオーラが異常に大きく長いと云われましたが、これは過去に囚われているからだそうです。
起こってしまった事を変える事は出来ません。
だから消化して忘れるしかありませんが、私はその場所へ留まってしまう事が多いようで……。
出来事が大きくショックをうければ受けるほど、気持ちを切替える、忘れる事が出来難くなると思います。
でも時間は流れて行く訳で、それだけでもそう云った感情は少しずつ薄くなって行くはずなのですが、どうにも人様より時間がかかると云うか、とにかくそこから離れる事が出来ない。
それが、今を生きられない事に繋がってもいるのかなと思います。

更に、未来への不安……、とにかく何時も不安なのです。
この先どうなる?ちょっと考えただけで、胸がかきむしられるような感じがして来て、居た堪れない気持ちになります。
死ぬ事がどうとかではありません。
生きて行く事、生き続けて行かなくてはならない事が恐ろしいのです。
なぜこんなに辛いのに生き続けなくてはいけないのかと思います。
この辛さが死ぬまで続くのか、この先どんな怖い事が起きるのか、そう思うと発狂しそうになる。
なぜいい事を想像出来ないのか、それは起きて来た事を学習しているからに他ならないのですが、どう頑張っても明るい未来なんてものには、考えがかすりもしません。

人は思い描いたようになって行くのだそうです。
と云う事は、よい未来を思い描けない人は、願ってもいい未来は来ないと云う事です。

やめた

2011年10月27日 | Weblog
一生懸命生きて来たら、途中で息切れして消えてしまっても大丈夫なんだろうか。
本人以外、自分を救えるものはいません、何か救えるきっかけになる人がいても事があっても、それを生かすも殺すもその人のみ。
きっかけに気付かないまま、終わってしまう事もあると云う事です。

ある方の事を思うにつけ、考える事があります。
突然消えてしまったその人は、一生懸命に生きて来たのだから、もういいと云う許可が下りたのか、単に自分の意思でのみ行われたのか……。
そう云う事から1番かけ離れた場所にいる人の行動だっただけに疑問ばかりが残るし、どうしても釈然としないのです、なぜそうしてしまったのか。
許されるとか許されないと云う云い方はとても不本意ですが、どうしてもそんな風な、本人の意思とはかけ離れたところであれこれ云われてしまう事だったりもする訳で。

私は自分で何とか生きて来たつもりですが、私をジャッジしている何かがあって、そこからは評価の対象にすらして貰う事が出来ないようで、人生が上手く回らないどころか動きすらしません。
でもジャッジがどうであれ、とうの本人はもう限界。
相談出来る人も息抜き出来る友だちもいないし、何でも1人で考えて決めなくてはいけないし、考えても動いても止まっても起きない変化に気力も失せた。
何か出来るのかもしれませんが、何をやってもどうにもならないので、もうやらないと決めたのでやりません、一切何も。

次は今迄とは違うと、誰に分かるでしょう。
そう思って来た結果が今です。
今度はホントに違うかもしれませんが、でも同じかもしれず、同じ事が繰返されるのなら結果は分かっています。
だったらもう何もやる必要なんてない、終わっていいのです。
実は今度が変化の時だったなんて云われたって別に構いません。
ジャッジされる為に生れて来たのではなく、自分の人生生きる為です。
最大限尊重されるらしい自由意思、思いっきり活用するのに誰が文句を云えようか、です。

ある方と私との比較は出来ません。
私はその方の足元にも行けないような出来損ないだから。
でもその方がやったなら、私だっていいのではないかと思えてならない。
もう最後の砦であった人たちの事にも考えが及ばなくなりました。
だからそうしよう、そうしたいと切に思っています。

思いがけない人

2011年10月26日 | Weblog
古着屋さんで見つけたセーターが気になったものの、冬服の出し入れでまた大量に処分する服が出てしまったので、気に入ったらか安いからと直ぐ買ってもいいものか悩みました。
とりあえず1日考え、それでもまだ欲しかったら改めて出直す事に決定。
翌日になってもやっぱり気になっていたのでショップへ行ってみましたが、まだ売っていたしやっぱり欲しい。
と云う事で、買う事にしました。
今迄は考えなしに買っては、1度も袖を通さずに捨ててしまった服がかなりあるので、買い物はよくよく考えなくてはと実感しています。

買い物も終わり帰ろうとしたら携帯にメールが来まして、急遽知人と待ち合せる事に。
こう云う事は滅多にないので珍しいなと思っていたところ、何年も会わずにいた、と云うか、思い出す事もなくなっていた知り合いに立て続けに会いました。
ビックリした、凄く……。
滅多にない珍しい事が起きると、その手の事が続くものなんでしょうか。
出不精な上にド近眼なので、人と会っても気付かない事もかなりありますが(故に無視されたと云われる事多々あり)、何だか今日会った人に関しての視界はクリアでした。
10年以上会っていない人もいましたが、私が地元にいないと思っていたような云われ方をし、一緒にいた知人がウケていました。
確かにひきこもりだけどね、そうそう人となんて会うものではないと思いますが、私だけなんでしょうかね。
思いがけない人たちに会ったからどうと云う事でもありませんが、何か妙な気持ちです。

妙な気持ちと云えば……。
吊るしてあるディスプレィに頭をぶつける事が時々ありますが、この前ちょうどつむじと云うか脳天のど真ん中辺りに、紙のような薄いものが刺さった感じがしました。
これは吊り下げてあるポスターか何かに頭を擦っちゃったかなと思って見てみると、そこには何もありません。
確かに結構な感覚でサクッと来てすすっと擦れる感じがしたのですが、おかしいですね。
一緒にいた母に話したら、とうとう神が降りて来たんじゃないのとさっさと行ってしまいました、トホホ。
ただ単に擦れた感じがしただけですが、普通に何かに擦った時と同じリアルな感じがしたので、思わず頭を押さえたのですよね。
何だったんだろう、あの感じは……。

何だろうと云えば……。
最近、食べるのが遅くなっています。
自分では今迄と何ら変わりない速度でいるのですが、食べ終わるのが最後と云う事が多くなっておりまして。
早食いではありませんが、決して遅い方でもありません。
それがどうにも時間がかかっている。
なんだろ。

だからなんなのさ

2011年10月24日 | Weblog
変なスピ思考において、否定的になる事は悪みたいに云われるけれど、闇があるから光の存在を知る事が出来る訳で、悪と云われがちなものに必要ないものがあるとは全く思いません。
と云う事で、やってしまったよくない事は、まずは省みるのが人の道であり、反省する事がマイナスなんて事はないはず。
過去に天使だろうと聖人だろうと(爆)、今は立派に人間様です。
前世からその道を何百回歩いて来た人でも今がアースエンジェルのライトワーカーでも、今生でやってしまったよくない事がチャラになる訳ではありません。
間違った、悪かったと素直に反省する事は否定でも何でもない、むしろ前向きな作業ではと思います。
ありのままの自分を受入れるのだから別に反省なんてしなくていいと、都合よく考えて貰っちゃ困ります。
むしろ見ないふりして放置する事の方が、エセプラス思考だと思われます。

自分がどれだけ大層な存在か、周囲にまき散らさなくてはならない理由はなんでしょう。
間違いを反省せず、自分は悪くないと云うインチキ肯定する為のお題目が必要と云う事でしょうか。
素の自分で素直にいられれば、わざわざ自分の凄さをまき散らす必要なんてない訳で。
と云うか、実際凄いかどうかなんて、自分が決める事ではありませんしね。
過去生が今に影響していると云っても、今はやっぱり今で、過去に何様であったとしても、だから何?の世界、何時だって悪い事は悪いのです。
過去にこだわり今も続きをやっていると公言する天使や聖人もどきなら、そもそも他人が不快に感じるような「?」と思う言動するでしょうか。
まして人を傷つける言動なんて、端からしないと思うんだけど。
間違えた時だけ都合よく解釈する元天使や天使の続きで人間をやっている人、勘弁して下さいよ、ホント。
どんだけの超能力があるのか存じませんが、そう云う自分勝手な都合のよさが、実は自分の足を引っ張ってるって、どうして気付かないのかな。
こう云う人が人助けを仕事にしてる事、多いから性質が悪いんですよね。
自分自身を肯定する為にクライアントを必要としている、そんな風にしか思えない。
セラピストの淘汰は始まっていると云われていますが、でなけりゃやってられません。
クライアントはセラピストの自己満の為にいるのではない、本気で何とかなりたいんですから……。

思えないから

2011年10月22日 | Weblog
なりたい自分になったように振舞うと、そうなる率が高まる近道になると云われます。
思うだけでは当然そうなれる訳ではなく、実感を伴わないといけません。
まるでそうなっているかのごとく、その時に感じるであろうワクワクウキウキと楽しい気分を感じなくてはいけないのです。
が、経験した事のない状況を実感を伴って感じると云うのは、そう簡単には出来る事とは思いません。
だから、自分の経験した楽しい事などでその気分を代用して行く…と云う事ですが。


私の周囲はお金に何困るなんて事はなく、好きな時好きな場所へ出かけられる、必要なもの・欲しいものは何でも直ぐ手に入ると云う環境の人が殆どです。
なぜ私のような超貧乏のしょーもない人間の周囲がこう云う人なのか謎で、正直付合うのが本当に辛い時がありますが、一応私にも意地と云うか小さなプライドがありますもので、関わらなくてはならない事には、何とか食いついていると云う状態です。

昔あるセラピストにこの事を話したら、何て素晴らしい環境なんでしょう、あなたはこうなりたいと思うところにいられるのですと大絶賛され、ドン引きした事があります。
もし直ぐそう思えたら、私は今こんなじゃないですよ、あなたに相談もしませんわい。
こう云う環境にいるのは自分が辛くて苦しいだけで、そうなれるなんて思える要素は一つもないんです、と云ったら、散々説教を食らいました。
が、その説教で心が入れ替わったかと云えば、決してそう云う事はなく。
相容れない人とは相容れないと云う結論が出て終わりました。
そう思えないから困ってるって話なのに、出来ない事をしないと責められたってなあ……。

今の自分じゃ到底行けないような場所へ行き、何時かここへ来られる自分になるとワクワクウキウキ出来る人と云うのは、恐らくもうそう云う風になる準備が出来ている、なれる予備軍と云える人なのではと思います。
私なんぞどれだけ頑張って思考を変えようとしたところで、こうなるなんてとても無理と再認識し、場違いで惨めな気分になるだけですから。
結局大抵の人が引っ掛かり、上手く進めなくなるのはこの辺が原因ではと思います。
そう云う心癖を変えなくてはダメ、それはよく分かりますが、簡単に出来ないから殆どの人が苦しんでいる訳で……。

心癖を変える事は簡単ではありません。
変える為に必死な自分が惨めになって来たりもする。
でも変えなくてはこの場から動く事は出来ません。
覚醒した人には思い出す事も出来ない状況でしょうが、凡人には葛藤です。

両極端

2011年10月21日 | Weblog
今年は価値観が揺らぐような出来事がありましたが、そこから、いい方向へ向かう人と落ちて行く人と、完全に二方向に分かれていると云う話をよく聞きます。
哀しい事ですが、私は完全に落ちて行く方のようで……。

子供の頃から、漠然とした不安がありました。
とにかく怖い、先の事を考えると気が狂いそうになる、何時も心の中におどおどしたものを抱えている。
これらは少しずつ薄らいでは来ましたが消えてなくなった訳ではなく、騙し騙し共存しているので、ちょっと心がぐらつくと大きな顔をして出て来ます。

今は何もやる気が起きず、日々をただやり過ごすだけの毎日ですが、今迄サボっていた訳でもないし、ちゃんと真面目に働いて生きて来たつもりです。
でもそう思っていたのは自分だけで、私の人生をジャッジしている何かからは、全く認めて貰えなかったみたい。
夢に向かっていないからと云われますが、その夢って何よ(汗)?
私が知らない夢を、何で知らないもんが知ってて、怒ってあーだこーだ叱咤して来る訳?
本当に訳の分からない事ばかり、な~んにもやる気なんて出るもんか、です。

時が迫っているようですが、そこで今進んでいる二分化がハッキリと分かれてしまうみたい。
思いが現実化するスピードがアップするからだそうです。
私のような超マイナス思考人間は、今以上に状況が悪くなると云う事ですね、辛いけど。
だからマイナスの闇に留まらないよう、気持ちを何とか切替えてと思うのですが、どうしてもそれが出来ません。
上昇出来るチャンスに来てまで、どーしよーもない人生を続けなくてはならないんて本当に辛くて頭がおかしくなりそうですが、結局はそうなるんだなと云う思いもあります。
自分を救うのは自分しかいないのだと思いますが、救いたくて救わなくてはと思っても心が動きません。
今迄ダメだったでしょ?と云う声が聞こえてて、それに納得する自分がいます。
上手く行かなかったから、祈って動いた結果がこれ、今ですから。
何があっても、最終的にダメ人間はダメなままって事ですな、トホホ。

褒めるなら

2011年10月20日 | Weblog
以前はよく出かけていたけれど最近全く行かなくなった書店へ、久し振りに行きました。
元々の出不精に今は更に拍車がかかっている上に、外出と云うと家族と一緒と云う事が多いので、書店をぶらぶら好きなだけ1人で見て回ると云うのは暫く振りでした。
本屋なら1日でも時間を潰せます。

昔は小説もよく読みましたが、今はスピ系やHowToものばかりで、読んではいるけど読書していると云う感じが薄れていたように思います。
私は詩が好きで、前はよく詩集を買っていました。
見るともなく詩の書棚の所へ行き、暫く振りにあれこれ眺めましたが、詩集って文庫本でも装丁の綺麗なものが多いし、ページの中にある文章の並びと云うか、パッと見た感じも好きだったりします。
共感出来るものばかりではないし、理解し難いものも多々ありますが、ずっと自分も書けたらいいなと思い、某雑誌のコーナーの応募し続けていた事もあります。
作品10回掲載でデビュー出来ると云うものでしたが、私の掲載は2回だけ。
残りは作品掲載はされずに名前のみと云う感じでしたが、懐かしいですね。

今回もスピ系の本をつい手に取ってしまいましたが、一瞬目が止まったのは「自分を褒めるなら、それはどう云う時ですか」と云うところ。
人からも褒められないのに、自分を褒めるなんて事は夢夢考えませんから、はたと考えました。
出た結論は、「今迄生き延びて来ただけで褒めていいじゃない」でした。
随分と傲慢な感じもしますが、生まれてから今迄の事を振り返ると、よく生きて来たなと単純に思うので……。
途中で消えてしまってもいいような事が幾つもあって、今も、あの時消えてしまっていたら、今こんな思いで生きていなくて済んだのに何で出来なかったのかと、後悔に近い気持ちにすらなる事があるし。
勿論、内容的にはとても褒められたような人生ではありません。
でもだからこそ、よく生き延びたなと率直に感じる。

自分から進んで悪い方向へ行こうとする人はいません。
最低最悪の人生を歩く事が目的の人は別ですが、まあそんな人がいたらお目にかかりたいもんで。
よくなるつもりで進んだ方向が間違いだったなら、それは誰からも責められる事ではないはず。
でも実際は、何でそんな事したとか、しなければよかったとか、罪悪感を感じてしまうような事を云われる。
結果がよくないのだから仕方がありませんが、更に追い打ちをかけるような云い方ばかりされて来ると、最初に、分かっているから、お願いだから何も云わないでと云いたくなってしまいます。

現実は、ただ存在しているだけでいい、なんて事はありません。
生きて行くには面倒で厄介な事が山のようにある。
そんなもの全部知らん振りしていられたらどんなにいいかと思いますが、それも出来ない。
開き直ってしまえない哀しさがあります。
よく生き延びて来た、なんて事も、この世の中じゃ誰も思ってもいないでしょう。
でも初めて、自分の事をそう思いました。
厳密に云うと、褒めると云うのとは違うのかもしれませんが、やっぱりよくここまでは来られたものだと素直に思います。
この先の事は全く分かりませんけど……。

エゴの正体

2011年10月18日 | Weblog
これだけ繰返し上手く行かない状態が続くと云うのは、何かが間違っている?と云う事なのでしょうけれど、だったら何ををどうすればいいのか、さっぱり分かりません。
あれこれ興味のある事は何でもやって、動き回って、でも全く人生上手く回らない。
動き過ぎかとじっとしていたって同じ。

人間はある程度の事を決めて生まれて来るらしいですが、相反するように自由意思と云うものも持っているそうで。
その自由意思ってやつは、一体何時何処で優先されているのだろう。
自分で決めてやって来た事、これは自由意思で決めたと考えられる事ですが、それが上手く行かないと云う事は、何かが間違っていると云う事です。
でなければ、最善の結果へ向かう為の道筋の1つになるのかもしれませんが、未だよい状態ではないと云う事で結果は明白。
単に間違っていると考えるのが普通です。
だったら、間違っているかいないかを決めてるのって誰なんでしょう。
結局自由意思は尊重されず、決めて来た事が優先されている事になると思うのだが。
と云うより、自由意思と思っている事は果たして本当に今の自分が決めた事で、決めて来た事ではないと云えるのか……???
心とか気持ちとか、それが本当に自分自身のものなのかすら疑問に思えて来る。
ホント、全く訳分からん。


エゴの目的と云うのは一体何なのか、最終的に殺してしまう事ではなく、生殺しでいる事なんだろうか。
いい状態に行きたくても心癖を治せず、ひたすらマイナス思考に走ってしまう今の状態は、多分エゴにとって最高だと思います。
1度水面から顔を出した事があって、そこがどんなにいい状態の場所か分かっていて落ちてしまうと、次に上がって行くのは至難の業です。
ずっと見たいと思っていてやっと見る事が叶った水面の風景が、全く気付かない内に見えなくなって、何だか苦しいと思ったらまた水の中に沈んでいた。
いい場所に居続ける事が出来なかったと云う事は、そこが自分にふさわしい場所ではないから……。
当人にとって苦しいと思っている辛い状態が、エゴにとっては最高に居心地いい場所、きっとそう云う事なのでしょう。
だからこそ、生かさず殺さずの状態なんだろうな。

水の中から出た時の至福の時を、忘れた訳ではないのです。
でも、それが本当の自分の姿ではない、心のどこかでそう思っている自分がいるのから、エゴが呼びもどしている声に引っ張られてしまうのだと思います。
と云うか、その心の声がエゴの声なのか……。
本当は嫌なのに、辛い状態が楽だと思っているバカな自分の心癖が治らない。

本当の自分はどんな風か、それは自分が1番よく分かっているそうです。
でも幸せであるのがそうなのか、それとも苦しんでいるのがそうなのか、今ここにいる私には分かりません。
こうと決めればいいと云われます。
だから決めて宣言もするけれど、抜ける事が出来ないのです。
水は思ったよりも相当に深い。
一旦出てしまうと、その深さがより一層実感出来ます。
自分が思っていた以上に深い場所へ、どんどん潜って行くみたいです。
覚醒しちゃってる人には、笑っちゃうような話なんでしょうけどね……。

その自信…

2011年10月16日 | Weblog
自分がライトワーカーだと公言する人に限って、そんな事云うのは100万年早いんじゃないすか?と云いたくなる性格の人が、なぜか私の周囲には多い。
私はあなたを救う為に天使が使わした的な事を何人かのセラピストに云われて、どう解釈していいのか困り、てへへと頭を掻くと云う妙なリアクションをしてしまった事が多々あります。
それは私の天使がしたのかセラピストの天使がした事か分かりませんが、えらい自信で満々すよね。
張り切って活き活きワクワクしているセラピスト本人はいいのでしょうが、この発言をしたセラピストに救われた事はなく、むしろ嫌~な思いをしてお別れした人ばかり。
思えば、結構な数の人に云われてます。
自称ライトワーカー、自分で云うだけあって、流石に凄い人ばかりでした。

自分達は絶対後から私に感謝されると思い込んでいるセラピストも困りますね。
要するに、私が恨みがましく感じた事も、実はちゃんと後の事を考え意味を持ってした事で、悪意なんて欠片もございませんって事です。
それが実はそう云う意図を持っていないにしても……。
最初からセラピストに悪意を持たれちゃ困りますが、どれだけよかれと思った事でも、自分達のした事が、結果相手を傷つけ落込ませる事になったら、詫びるのは当然かと思います。
悪意なき善意によってされた事の方が、傷の深さは酷いので。
でも、必ず後から感謝するはず、この勘違いも甚だしい思い込み……。
ライトワーカーと公言して好き勝手を云い、周囲を巻き込むとんでもセラピストと何ら変わりありません。
この手の人達に、例え話しみたいに本人の事を話しても全く通じない、そう云う人って嫌よね~なんて云われて終わりです。
もし自分の事だと分かっても、超自己肯定人間ばっかりなので、自分は悪くないのです、絶対に。
ああ、経験者は語る。

私が人間的に真っ当と云い難いセラピストに遭遇してしまう率の高さは、ちょっと普通じゃないと思います。
理由あっての事でしょうが、結局こう云う事から離れろと云う風にしか解釈出来ず。
現実の中に原因を見つけられなかったからの事でしたが、未だ上手く行かない理由は分からないし、もうどうしていいのかが全く分かりません。