日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

好きな事

2010年10月31日 | Weblog
自分の好きな事や時間を忘れるぐらい夢中になれる事、ワクワクする事が本来するべき事、何て風にスピでは
云われていますが、それが直接仕事に結びつくかは分かりません。
稼ぐ仕事は仕事として別にあり、前出の事は趣味の域、なんて事もあって、それはそれでストレス解消にもなる
でしょうから、いい事なのだと思います。
自分が好きな事をする事で、心のブロックが外れたりする事もあるそうですが、じゃあやってみるかと思っても、
いざ好きな事は何かと思ったら、な~んにも出て来ないんですよね。
昔好きだった事を思い出してはみるものの、なかなか浮かんでこない上に、やっと出て来たところでちっとも
やってみたいなんて思わない。
でも無理にでも始めてみれば、楽しくて続けられるのでしょうか。

昔の私の口癖は「感動した~」でした。
ホントに何にでも直ぐ感動していたのです、超単細胞なので。
でも段々心が荒んで、物事、くだらないとしか思わなくなってしまった。
完全に麻痺しているんでしょうね、心が。
荒んで行くのは雪崩の如く勢いがあるものですが、逆には時間がかかります。
雪崩の勢いを持ちつつ何年もかかって荒みきった私の心、ちょっとやそっとじゃ元には戻りそうもありません。
物事の良い面ではなく、悪い面ばかりが見えて来るのはなぜでしょう。

思うのは、私だって信じたいと云う事。
真っ直ぐに何の疑いもなくただ信じられたらどれだけいいか……。
でも確信のないものは信じられない。
少しの事でさえ響いて来るものがないのに、どうしたら信じられると云うのでしょう。
信じてダメだったらと思うと、恐怖と不安で発狂しそうになる。
尋ねれば必ず答えがある、そう云う人からすれば、私のようなものを逆に信じられないかもしれません。
信じないから答えがないと思われるのでしょう。
でも信じた結果が現状だとしたら……。

確信のないものを信じるにはどうしたらいいのでしょう。
今度こそと思っても裏切られ続けて来たのに、それでもそれを信じるしか術がない。
絶望したら悪だと云われるのでしょうか。
何か印を、ほんの少しの希望をと願うのは、信じる確信が欲しいから、それだけです。
でもそう云う心がけだから、何も見せては貰えない、叶えては貰えないのだとしたら、私はこのままこの場所から
抜け出す事は叶わないのだろうなと思います。
何がいけないのか、どうしていいのか本当に分かりません。

劇的に

2010年10月29日 | Weblog
結構な回数のヒプノセラピーを受けた事があります。
今の人生において必要な場面を見た事に始まり、過去生、未来生と云うものまで見ました。
まあ未来生は他と違って漠然とした感じでしかなく、その状況から推測する以外にないのですが、正直あれは
何事だったか、未だに謎で訳が分かりません。
ヒプノで人生劇的に変わる人がいる半面、私のようにな~~んにも変わらない人もいます。
勿論、ああそうかと腑に落ちる事は幾つもあります。
ところがそれらは余り今の人生を上向く事には関係ない事柄ばかり、何の為にこの過去生を見せられたのか、よく
分からない事が多いです。
どう云うものを見る事になるのか、それは誰にも分かりませんから……。
こう云う事があったのかとは思うし、何かしら意味があるから見せられたのだとは思います。
でも大昔も家族や親戚関係の鬱陶しさに辟易していた事が分かっても、改善はされない。
大昔にも今と似たような事があったなと云うだけで、どうしようもないなって感じです。
1つ、自縛霊になっていたバカ娘の私を救済出来た事は大きかったかもしれませんが、その時も自殺だったからなあ、
どうしてもこう云う風に傾く傾向はあると云う事かもしれません。
死んだ理由が、今の自分とは真逆と云うのが面白いですけどね。

時間がかかるのは仕方がないのだろうなとは思いますが、時間もお金もかけて余り効果がないと云うのは辛いです。
色んな事、よくなる為にした事が、さっぱりそう云う結果に繋がっていないと云うのはなぜでしょう。
本当に苦しいですね……。

さて、このブログもそろそろ閉鎖かな、と思っています。
もうお仕事の事を書けていないし、今後も書けそうもないし……。
全部終わらせてしまってスッキリしようかと思っていますが、どうしたものでしょうね……。

そんな事云われても

2010年10月28日 | Weblog
今迄何度か、あなたは東京に出て来た方がいんだよね、と云うような事を、スピ関連の方々に云われました。
が、出て行けるならとっくに出て行っている訳で……。
そう出来ない状況で、現状をどう良くするかを知りたいんですけどね。
またあるヒーラー(とは思いたくない人だったけど)からは、住んでいる場所の(県)のエネルギーが重過ぎる
から、必然で住んでいる人もそうなる、だから本当はそう云う場所にいない方がいい、と云うような事も云われた。
が、それって随分とそこに住んでる人に対して失礼な云い分じゃないかと思いました。
んじゃ引っ越せない人はどうしろって云うんだよって話。
こう云う人の思い込みって凄いから、反論しても理不尽にやり込められて不快になるだけ。
2度と会う事がないと思ってテキトーに流してしまいますが、自分に関係ないと思うと、無責任に云いたい事を云う
スピ関連の方は多いです。
でもこの業界の人にこんな事云われたら、云われた方は悩みますよね、だからよくないのかって。
引っ越せる人はいいでしょうが、そう出来ない人が殆どだと思うし、こう云う事ってそうそう簡単に口に出して欲しく
ないのですが、云うんだよねえ、動けば変わるから、とか何とか簡単に。
でも動くきっかけ作り以前の問題のような気がしますが。

乗り越えられない試練しか訪れないとか云う人もいますが、乗り越えられなくて死んじゃった人は人でなし?
乗り越える前に世を儚んじゃって消える人もいる訳ですが、そう云う人は何と云われるのだろう。
この世は学びと云う考え方がありますが、私は全くそうは思いません。
人は神に似せて作られし者、本質は神と一緒と云う考え方がありますが、それで行けば、本来人間の本質は
完璧と云う事になります。
であれば、わざわざ人間になり下がってまで、何を学ぶ必要があるかと云う話です。
神様は知っているけれど経験していないから、経験する為に人間として云々(どうして人間としてかは長くなるので
省きますが)と云われていて、私はこの考えに方になら賛同出来るかなと思います。
学ぶのではなく体験・経験の為に生まれる、そう思えば救われる人も随分といるのでは。
と云っても、目の前にニンジン100本ぶら下がっていても、私は生まれ変わるのだけはもう勘弁して欲しいです。

で、そんな事云われても、と云う話ですが、無理だと思う事を云われてもやってみればいいのか、分かりません、
私には。
劇的に変わるかもしれません、と云うか、変わるでしょうね、いいか悪いかはともかく確実に。
でもそれだけの変化を起こす事がどうしても出来ない事情があっても、やっぱり行動を起こすべきなのか、
起さないから変わらない、変わりたければ無理でもやれと云う事なのか、どうしたらいいんでしょうね。
こう云う事、セラピストやヒーラーに云われると、ホントにどうしていいのか分からなくなります。

2010年10月27日 | Weblog
家の中の雰囲気があまりよくないので、居場所がなく非常に嫌な毎日を過ごしています。
やっぱり1人にならなくてはいけません。
或いは……、以下自粛。

ヒキコモラーなので基本外へ出たくないのですが、ここ数日は家にいる方がしんどいので、運動不足解消も兼ねて
徒歩でぶらぶら出かけました。
と云っても小さな街なので、歩ける範囲で十二分の用も足りますが。
で、歩きながらふと、去年買った天使の絵の事を思い出しました。
金欠なのにわざわざ出かけ、大枚はたいて買ったのですが、オラクルカードで臨時収入ありと云うカードを引いて
貰ったので、この結果も購入を決める後押しになりました。
でも実際どうだったかと云えば、貯金を切り崩して支払ったと云う状態。
ここから私の金銭状態はガタガタになり始めました。
年末、何とか年を後越せる程度には持直しましたが、どうも去年辺りからオラクルカードの結果通りになりませんね、
私に限ってだとは思いますが。

この絵を購入後暫くしてから非常に傷つく事が多発して、絵を見る事が出来なくなり仕舞い込んでいた事数か月。
今は飾っておりますが、どう云う意味があって私のところに来たのかと、未だに疑問は消えません。
絵ですから、単純に鑑賞するだけで充分なのですが、私の場合、そんな事は贅沢極まりなく、身の丈で行けば
絵なんて買える身分ではありません。
好きな彫刻家のリトグラフだって、展示会に行っても指をくわえて眺めて来るだけ、買えるのなんて作品集ぐらいです。
天使の絵は桁が一つ違うとは云え、今の私にはとても不釣り合いなものに変わりなく、理由があってここに来たとでも
考えなくては、とてもやってられない気持ちになります。
これは不思議な事が多発する絵なので(見るだけでも)、この絵に関する体験をまとめた本も全て持っていますし、
何時か欲しいとずっと心にはありました。
でもよりによって金銭的な余裕が一切ない時に買う事になり、その後は、あなたに必要とは思えないと云うような事を
セラピストに云われ、また本当に大変な思いをして支払いをしなくてはならなかった。
変な壺を買わされてるのと一緒みたいな気にもなって来ます。
でも私もこの絵から出ている気のようなものを感じて本当に驚いた経験があり、普通の絵とは違うと云うのは重々に
感じるし、また単に絵としての鑑賞にも充分に耐え得るものです。
お守りとして持っている、そう思えばいいのかもしれないですね。
何にせよ、こう云うものを買う事自体、ものに頼っていると云うような考え方もあって、その感覚で行けば、パワスト
なんかも同じではと云う気もします。
となるとそう云うものも好きな私は、何かに頼り切ってると云う事になるのかもしれませんね。
でもさ、人に頼れない分、ものくらい頼ってもいいよねと思わないでもないです。
だって、そのものは傷つけたり裏切ったりしませんもの……。

それにしても、こうして何とか自分を納得させなくてはならないなんて、おかしな話ですよね(涙)。
最終的に自分は悪くないと思いたいのよ、私は。
何でもそうなんですが、自分を肯定出来ないと、何をやっても常に不安で自分を信用出来ないんだよな。
哀しい事ですね。

音信

2010年10月25日 | Weblog
先日、以前お世話になっていた方にメールしたら、久し振りに返事がありました。
この方へのメールは私からの一方通行と云う事が殆どで、その事は別に問題ではありません。
5回に1回ぐらい返事を貰って、とりあえず生きてる事が確認出来ればいいと云う感じ。
ただ今回は色々な事があったので、生きているか、生まれて来る予定の子供はどうなったか、それがとても
気になっていました。
冗談抜きで、死んでいてもおかしくないぐらい大変な状態だったので。
珍しくメールした翌日に返信がありましたが、母子共に元気で一安心。
でもやっぱり地獄のような日々を過ごしていたのだなあと云うのは実感しました。
そんな中にいてすら私に「よく耐えてるね」なんて涙が出るような事を云ってくれる……。
行動を起こさないに始まり、誰からもよくない点の羅列と指摘しかされた事がないので、ほんの少しでも優しい
言葉をかけられると、感じた事がない感謝の気持ちが湧いて泣けて来ます。
ホントに辛い目を見た人って、どんな出来損ないに対しても思いやりがあるものですね。
どう云う状態であろうと、こう云う方と繋がれているのはありがたい。
でも今何処にいるのかも、詳しい状況も分からないし、恐らくこの先、一生会う事はないと思います。
でも、それでもいいんです。
お互い深いところで支え合えていればね。
幾ら頻繁に顔を合わせていたって、心底信頼しあえているとは限りませんから。

越智啓子先生との不思議な縁から、私たちは必然で繋がっている事は確かだと分かりました。
私はダイレクトではないのですが、不思議に啓子先生に関わるご縁はどうももう1つある感じですが、いずれ私に
とっての支えである事だけは確かです。
こう云う方々との繋がりの中で、何とか生きていると云えるかも。
細々とであっても、切れない縁である事を願っています。

落し物

2010年10月24日 | Weblog
10年になるでしょうか、上京する途中寄り道した某S県で、財布を落とした事があります。
タクシーの中に置き忘れた、バッグに入れたと思って落としていた、いずれ、タクシーの支払いをして降りたら財布が
ないと云う状態でしたが、10万ちょい入っていました。
母と一緒でしたが、支払いの為母が早々に私に渡していたお金もあり……。
幸いと云うべきは、新幹線のチケットは別の場所に入れていて無事だったと云う事。
到着した先で直ぐタクシー会社に電話して貰いましたが、当然ですが財布は出ては来ませんでした。
母と一緒でしたので、すっからかんでも何とかなりましたが、大変でしたねえ、当時から貧乏でしたから。
とは云え、人間関係でダメージを食らうのと違い、あっと云う間に思い出す事もなくなりましたが、あのお金、誰に
使われたんだろうと思います。
拾った財布に10万入ってるって、私ならビビって警察に届けますけどね。
と云うより、お金そのものではなく財布を拾ったら、ねこばばは出来ないなあ。
お金そのものであっても、金額によっては届けますよね、普通は。
あ、でも親戚の強烈な嫁は、拾った財布で大宴会をしたと披露宴で友人代表が話してて、ドン引きしたっけ(汗)。
疑る訳ではありませんが、あの辺はタクシーを拾う人は少ないので、もし次の人を乗せる前に運転手が気付けば、
そのまま自分がと云う事も無きにしも非ずかなと。
疑うようで悪いのですが、どう云う訳かその時の運転手、乗った時から気になって、登録証?とかガン見したんです。
こう云う事って滅多にないのですが、降りる時もミラー越しにこっちをじっと見ているのが分かって、何だかこの人
嫌だなと思ったんですよね。
と云っても、タクシー会社に問い合わせても分かりませんとしか云われなかったし、警察に届けても、出て来るのは
無理だと思うよ~とアッサリ云われたし。
その時見つからなければお終いだと云う事でしょうが、酷い出来事でしたよね、ホント。
超貧乏再来の今、あのお金があったらなあとふと思い出しました。
せめて困った人が拾って使ってくれたらと思いますが、恐らく強烈な嫁とその友人のように、湯水のように使われて
しまったのではと想像します。
哀しい思い出ですね(爆)。

外に出ると

2010年10月22日 | Weblog
私はヒキコモラー的な傾向があるので、今は本当に限られた人としか接しませんし、余り新しい場所へ出かけて
行くと云う事もしません。
今更傷を増やすのはご免なので、あえて避けていると云うのも多分にありますが……。
でも現実は、外の世界を100%断ち切る事は無理ではないでしょうか。
直接外へ出なくても、TVやネットで何らかの関わりは持っています。
それらを遮断しない限り、完璧なヒキコモラーにはなれないのでは。

ネットに関して云えば、TVのように一方通行ではない分、自分からの発信も出来ますし、家から出ないままで、
多少は外の世界に関わっていると思います。
なので、人と関わっていないとか外に出ないと一刀両断されると、そんな事無いですけどと多少の反発を覚える。
確かに、ダイレクトな関わりが少なくなると、そう云う状況下では異常に消耗します。
それでも楽しいと感じればまだマシですが、やっぱり外に出なければよかったと思う事も多く。
人にはそれぞれ得手不得手もあるし、自分のやり方で外界との接点が持てればと思うのですが、何分、直接的な
関わりでない事はボロクソに云われがち。
人間関係が希薄、とかね。

私だって、直接的な関わりが出来るに越した事はないだろうなと思いますが、もう嫌なんだよね。
何があったとか云いたくもありませんが、誰からも信じて貰えないような人間関係をくぐって来て、やっと通り抜けたと
思っても、そいつは真っ向から向合っていないからとか云われて似たような事、もっと酷い事がやって来る。
自分じゃ真っ向勝負した結果なので、もう勘弁してくれよと逃げたくもなるんですが、同じ事が繰り返されるのは、
問題が解決されていないからなんだそうで(苦笑)。
何処までもダメ人間だと認識させられると云う訳ですね。
今では決まった目的で人が集まる場所などは、極力避けている感じです。
コンサートや映画のように、集まった人がある対象物に向かうのなら別ですが、それ以外の、ちょっと説明は難しい
ですが、趣味の集いとか、まあそう云った系統のもの、これは辛いですね。
と云っても行く訳ではありませんが、時々ちょっと魅力的なものがあって、一瞬行こうかなと思う事もあるのです。
でも最終的には行かないままで、私はそれでいいのだと思います。
昔はコミュケーション能力は抜群だったんですけどね、今じゃ人との関わりは恐ろしいだけです。

新しい波?

2010年10月21日 | Weblog
ここ数日と云うより、今年に入ってと云った方が正しい気がしますが、私がお世話になったり、今も心の支えに
なってくれているセラピストやヒーラーが次々、自分たちが仕事に携わるにあたり、まずは人としてどうあるべきか、
原点に立ち返るような事を、ブログ等で発信されています。
人を助ける仕事をしている人間の何たるか、どう云う姿勢、立ち位置でクライアントに関わるべきか、どう云う言葉で
伝えるか等々、私が長い事ネチネチと書続けているとんでもセラピストやヒーラーが、絶対自分から向合う事を
しないであろう、人を癒す事を生業にする人が当然持っているべき資質(人間性)について、改めて真摯に考え
直すべきと云う姿勢の方ばかりが目につくのですよね。
こう云う事をセラピスト自身が自分から書き、また表に出て来ていると云う事は、もしかしてスピの新しい波かも、
と思いました。
ここで一旦大掃除と云うか、天職としてやるべき人と、人間性から見直さなくてはならない人との淘汰が起きる、
何だかそんな気がするのですが……。

正直、飽和状態だと思うんですよね、スピ業界。
本来するべき人にだけ、仕事としての道が開けて欲しいのですが、現状はとてもそうとは思えません。
まあスピ界では、自分がワクワクしたり好きな事が天職と云う考え方もありますから、そう云う流れで仕事にして
いる場合もあるかもしれませんが。
猫も杓子も学校と一緒、学んで卒業出来たら即開業も出来ますよってな具合。
勿論何の資格を有しなくても出来るお仕事です。
でも本来1部の人しか持っていないと思われている力と云うのは、人間全部が内包しているものだと思います。
しかし問題は、まずはそれが開かれているか否か。
次に開かれている中で、その力がどの程度のものか、そしてどう使い活かしているか。
元々備わっていると云っても、開かない人は一生開かないままでしょうから(ワタクシもです・涙)、開いていない
人間にとっての力を使える人は立派にサイキックです。
で、自分にはない力を駆使し、苦しんでいる人を助けるのですから当然いい人、悪い人であるはずがない、と云う
思い込みが自然に発生するのは人情でしょう。
ところは蓋を開ければインチキ、眉唾、力はあっても人として最悪と、こう云う事をお仕事にしちゃいけないでしょと
云う人がゴロゴロいる訳です。

こう云う人に、どんなに酷い目にあわされても、クライアントと云うのはほぼ傷つき損でお終いです。
まあ泣き寝入りってやつですね。
変な宗教団体みたいに、多額の金銭が絡んだりすればまた話は別ですが、自分自身が傷つけられて苦しむ事に
対しては、救済なんぞはありません。
どんなにセラピストに訴えても、大方スルーされて終わりです。
でも最初に書いたように、最近信頼のおける方々が、次々とセラピストやヒーラーの資質についての問題提起の
ような発言をされ始めています。
時期的にも重なるので、とても不思議な感じにとらわれる……。
これは遂飽和状態が来て、表面張力決壊の時が来て、そう云う輩の大淘汰・大清掃が始まるのでは?と、私の
勝手な希望的観測です。

人間性の問題

2010年10月20日 | Weblog
「占いやチャネリングなどに行って、お説教されたり価値観の押しつけをされてイヤな思いをされた方は多いのでは
ないでしょうか。
占いであれチャネリングであれ、スピ系のはしくれである以上、クライアントの存在を丸ごと受け入れて当然のはず。
価値観の多様性を尊重して当然なはず……、」以下続く……。
たまたま目にした文章ですが、とても共感しました。
こう云う真っ当な考えのセラピストやヒーラーが増えればいいなと思ったし、本来こう云う仕事をする人はこうある
べきで、そうではない人が関わっている事自体変だよなと云う思いも抱き……。

ホントにね、セラピスト・ヒーラーではなく、まずありきなのはクライアントの方なんですよね。
スピに関わる仕事をしている方からこう云う言葉が出ると云う事は、疑問を感じざるを得ないセラピストやヒーラーが
如何に多いかと云う事でしょう。
同業者として本当に迷惑な話だとも思います、真っ当にお仕事されている方にとっては。
「自称」で始められるし、例え資格を持っていたとしても、そこでは人間性までジャッジされる訳ではありません。
人の心に関わるとても難しい事なのに、曖昧なんですよね、色んな事が。
セラピストやヒーラーが気分良くなってクライアントが最悪の状態に突き落とされて帰るって、どう考えてもおかしな
話です。
それも大枚取られて、よくなりたい一心で来た挙句……。

私は個人的にも嫌なセラピストやヒーラーにはわんさか遭遇したし実害も被りましたが、自分がそう云う思いを
したと云うだけでなく、こんな思いは誰にもして欲しくないと強く思います。
セラピストやヒーラーに頼る時点でクライアントは充分弱っているし、何とかこの状態を打破したいと願っています。
だから、訳の分からない輩がセラピストだのヒーラーを名乗り、助けるとは反対の事をしているのに腹が立って
仕方がありません。
自分の能力をひけらかす場ではないのですよ、クライアントと向合っている時は。
救う事が出来ないばかりか今いる場所から更に落とし、自分の思いだけを押し付ける。
それがクライアントの為になっていない事にも気付かない人が、セラピストだのヒーラーだの名乗ってお金取ってる、
酷い話だと思いますが、これが普通にまかり通ってる現実。
嘆かわしいですね、全く。
何方か失念しましたが「プライドは持つものだけれど、出すものではない」とおっしゃっていました。
これって誰にでも当てはまりますが、特に上記のようなスピに関わる方々には心して置いて貰いたい事です。

閉鎖しようかと思っていましたが、別口ブログにこれとほぼ同じ内容をエントリーしました。
見て欲しい人は見ないと思うし、またこう云うセラピストやヒーラーは、誰も自分の事とは思わないでしょうが、どうで
あれ、常々こう云った事を頭の片隅にでも置いておいて欲しい。
ホントはね、声を大にして、セラピストやヒーラーだから100%信用出来るなんて思うなー!と、叫びたいところです。

生きていれば

2010年10月19日 | Weblog
とりあえずは嫌な事考えずに暮らそうと思っても、どうして泣きたくなるような、深い闇に落ちるような事ばかりが
起きるのでしょうね……。
そんなに私には問題があると云う事ですか。
いや、問うまでもなくそうなのでしょう。
苦しい気持ちが一向に抜けないまま、明け方4時まで一睡も出来ず。
このところ、また眠れない夜が到来です。
どれだけ開き直りたくても、これじゃあ無理です……。

「生きていればいい事がある」だそうですが……。
いい事続きで今があるんでしょうか、私……。
なのに全くそれに気付かず、いい事をいい事だと認識出来てなかったのでしょうか……。
実はあり得ないほどのハッピー人生だったとしたら、どうしましょう。
うへぇ~、吐きそうですね……。

いい事・悪い事、幸せ・不幸せ、対極のもの同士ですが、感じ方は各自人それぞれ。
Aさんにとってのいい事は、Bさんにとって悪い事かもしれず、立場や感じる人のおかれている状況で、如何様にも
変わって来る事なのだと思います。
私はいい事も幸せも何もなくていい、目の前にニンジンがどれだけぶら下がっていようと、そんなもんは欲しくもない。
感じる力がないとか、そう云う考えだからダメとか云われるのでしょうが、ほんの少しの光すら、どうして見せては
貰えないのでしょうね(涙)。