日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

考えたくなくても

2013年11月19日 | Weblog
しんどくてたまらない、考えてもどうにもならないけれど、その事が頭から離れない。
堂々巡りで何年も変わらず苦しい時に、頭が変になったらどれだけ楽だろうと思う訳です。
気がふれてしまったら、いいも悪いも何もなくなる。
その時だけを生きて行けばいい。

思い煩っている事を、1日中、年がら年中考えている訳ではありませんが、こう云う重たい事と云うのは、ふとした隙間に入り込んで来て、忘れていたら、まるでそれを容赦しない風に現れて来ます。
結局考えざるを得なくなってしまう。
考えると云う事が、解決ではなく、むしろその問題に焦点を当ててしまい、執着していると云う風になるらしい。
病気になりたくないのであれば、病気にならないと云うのではなく健康であると考える、病気ではなく健康に焦点を当てろと云う事で、だからこそ、考えないようにしろ、と云う事で、それはよく分かります。
でも心配事や悩み事と云うのは、そう簡単には逆のよい方向へは考えを転換するのは難しい訳で。

湯船につかっている時、ベッドに入った時、こう云う時に苦しい思考が襲って来ます。
最もゆっくりする時にやって来る。
重たい気分でお風呂から出て、思い煩って眠る事が出来なくなる。
考えたところでどうにもならない事を、苦しい思いで悶々と考え続ける。
ここで発狂してしまったら楽になれるのかなあと思う、これの繰返し。
本当は消えてしまえたら1番いいのですが、それも上手くは行かないし。

分かっていても、当ててはいけない事にばかり焦点を当ててしまう。
人間は学習する生き物ですので、よい風に考えられないのは理由あっての事だからですが、少しも光が見えて来ないと、分かっている事もそうは出来ない、それは仕方がない事なのよ。
神様、その辺を、ちょっとは分かってちょーだいよ(涙)。