日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

困ったもんだ

2009年08月27日 | Weblog
非常に調子が悪いです。
色んなところ、あれこもれもあそこもここも、どうしたんでしょうね。
ここが痛い・辛いと云うのではなく、全体的にザックリ、具合が悪いとしか表現できないのですが天気のせいか、
一体何でしょう。
今の願いは、夜ちゃんと眠りたい、これが1番です。
朝晩涼しくなって、眠るには最適の条件なのですが、まあ眠れない眠れない。
このせいもあって、頭はボーっとしているし、気力もわかない。
正直、調子が良くても何をどうしていいのか分からない状態なのですが、調子の悪さが輪をかけているのか、逆に
こんな具合だから調子が悪いのか、卵が先か鶏が先かの世界です。
何か、空元気でも、気持ちが明るくなるような事がないものかと思います。
仕事の連絡も来る気配なし。
私は2日で終わったのですが、確認は2週間以上か。
って、多分全く手がついていないのだろうと想像します。
片隅に追いやられ、蜘蛛の巣が張ってるかも……。
仕事ネタがなく、更に楽しい話題も全くない状態、更に週末ですし、仕事の連絡が来るまで休もうと思います。
段々胃も痛くなって来たし、大人しく寝ています。
あ、でも選挙がありましたね……。

おっしゃる通り

2009年08月24日 | Weblog
自分自身の状態がよくなければ、他人様の事を考える余裕なんてものはないと思います、余程の人でない限り。
自分が安定して初めて周囲に目を向けられる、そう云うものではないでしょうか。
どれだけ周囲が大変だと分かっても、自分も似たようなしょーもない状態だったら、どう考えたって周囲よりまず自分、
それが普通だと思います。
ですから一人一人が幸せになれない限り、真の意味で社会、世界全体が幸せになるなんて事はない、これは真理
だと思います。
どん底の自分をさて置いて他人様の為に、なんて、心の底から出来たら嫌味でも何でもなく聖人でしょう。
出来ないけど仕方なくやっているから、段々ギスギスして来て崩壊するのだ。
まずは個人の幸せなくして本当の幸せなんてないのですよね。
宮沢賢治さん、本当に的を得た事をおっしゃったものだと感心します。
と云う事で、私はこの先も、ずーーっと自分の事だけしか考えられそうもありません。
確信の持てる事なんて何一つなく、むしろこれで大丈夫と思った事・ものが、今は1番の不安材料になっている。
こんな事ってないよな~~。
どんだけ意地悪すりゃ気が済むんだよ、神様。
やっぱり何処の世界においても「人の不幸は蜜の味」、だから面白がって見ているのかなあ。
どうやったら這い上がれるのやら、このまま終わり、それもありかなあと思います。
もう本気で力が出ない……。

どんな意味が

2009年08月23日 | Weblog
何時も思うのですが、現状に一体どんな意味があるのだろ……。
後から思うと、あそこが転機だったとか、あそこから変わったとか云う事がありますが、少なくとも私にそう云う事は
殆どないんですが。
ショックを受けたり傷ついたりした事のみが残っていて、更に落ちると方向転換の出来難い性質なので、そこに
留まってしまうか、ますます下がってしまうか、奮起しようとか、そう云う事は一切思わないタイプです。
なので、上がりかけた時ドンと下がる事が起きたら、それは停滞の始まり。
どんどんマイナス思考に陥って、際限がなくなってしまいます。
若い頃、辛い経験をバネになんて事を思っていた時期もありましたが、心の中に辛い事が残っていると、どうしても
そちらに囚われてしまって、前向きに切替が出来ない。
無理に気持ちを変える事自体、失敗を招く元凶なのです。
で、結果失敗し、また落込んでの繰返し。
どう云う訳か、さあここから行くぞ!と、やっと思えるようになった時、半端でなく落込む事が起きる。
今回も、やっと上がれると思ってまだ3週間も経っていないのに、これはもうどう頑張っても無理だなと思う事が発覚
してしまいました。
いずれ分かる事ではあっても、ほんの少し時期がズレれば全く心持は違ったと思うし、今こう云う気持ちになるのが
どんなに自分にとってマイナスな事かがよくよく分かるだけに、余計に辛いです。
上がろうとすると落とされる。
どうしてでしょうね。
やっと頑張れるかもと思い始めた時にばかり、蹴飛ばし上から背中を踏みつけるような事が起きる。
何かがそうしているのではと思ってしまうのは、おかしな事ではないでしょう。
これを余りに繰返して来ると、やっぱり自分は幸せになってはいけない人間なのだと思わざるを得ず。
どうしてそう思うのかと聞かれた事がありますが、これだけ続いたら誰だってそう思うのではなかろうか。
その結果、幸せな人生を送っていると云う人に、私は会った事もない。
本当に、この先どうしたらいいのか、また分からなくなって、真っ暗な中に放り出されたような気持ちです。
一体何時までこんな状態が続くのでしょう。
どれだけしんどい思いをしたら許して貰えるのでしょう。
私が幸せになっては困る何かがある・いると云う事か、誰かの許可が必要と云う事でしょうか。
これって生殺しと一緒ですよ、本当に、もう勘弁してくれよ……。
無策で手の打ちようもない現状、生きているって本当に辛いです。

大ショック

2009年08月22日 | Weblog
自分で勝手に勘違いしていたのが1番の原因ですが、ある事が、思っていたのとはとんでもなくかけ離れている
事が今頃になって分かり、大ショックを受けました。
その場に崩れ落ちると云う感じが、本当によくよく実感出来ました。
全く打つ手がなく、本当にどうにもなりません。
成り行きを見守るにしても、状況が好転する事は考え難く、また淡い期待でどん底に落ちる事を考えたら、常に心の
準備は必要で、腹をくくっておかねばならないでしょう。
勘違いしていたとは云え、余りの事に未だ混乱していますが、情けなさ過ぎて涙が出ました。
どうしたらいいのか、本当に分かりません。

意地悪なので

2009年08月21日 | Weblog
想像通りではありましたが、今週図面チェックは終わらなかったようです。
いや、多分手をつけなかったのだと思いますが……。
来週何か連絡があるでしょうか。
こっちは始めりゃあっと云う間なんですけどねえ、トホホ。

私は意地悪で、物事の裏の裏まで見るようなところがあります。
でも人に対する第一印象は、直接会ってもネットやメールの文章であっても、ほぼ100%の確率。
この人嫌だと思った人とは、最初はよくても上手く行かなくなるし、最終的に酷い状態で決別なんて事もあります。
直接でなく文章だけであっても、かなりものが伝わると思います。
ネットは直接ではないから伝わらないとよく云われますが、本当にそうでしょうか?
私は根拠のない確信ではありますが、ちゃんと伝わると思います。
伝わらないと云う人は、そう思いたい人、それを云い訳にしたい人ではないだろうか。
直接ではないとか文章の上手い下手ではなく、底に流れているその人のハートと云うか、その人の持つ本質みたいなものは、
どう云う形であれ、出てしまうのではと思います、例え出すつもりがなくても。
高飛車な感じでも、下手くそな文章でも、ハートのよい人、本当の愛がある人と云うのは、ちゃんと分かりますよね。
偽善的な人と云うのは、自分の云った事を指摘された後の対応がいじましいと云うか、そんな言い訳するなら、最初から
云いようがあったはずで、慌てふためいて言い訳して来る事ではないでしょうと思う人多し。
頭が悪いとも云えると思いますが、この手のタイプと云うのは、相手をナメテいると云うか、自分より下と云う位置づけで
考えている人が多い気がします。
上から目線ってやつですね。
だから指摘されて初めて、ヤバい、まずい状況になるかも、となるのでしょう。
多分指摘されるなんて事が、最初からこれっぽっちも眼中にないのだろうから。
そうでもなければ、余程の無神経と云う事でしょう。
かなりソフトに「あの云い様には少し傷つきました」的返信をした際、本当に大慌てで、「決してそう云うつもいではない」と
云って来られた事が何度かありますが、だったらどう云うつもりだったのでしょうと聞きたくなります。
痛いところを突かれるまで、な~んにも考えてないくせにねえ。
実際、それまでの文章やらやり取りを見ても、そう思ってるのが明白だから、こちらだってそれなりの解釈をするのです。
何の伏線もなしに一方的に思ったりはしません。
裏の裏まで勘繰りますが、意味なくとか理由なく意地悪くは考えないし、そこまで被害妄想は激しくありません。
気を張っていると云うのとは違いますが、人をナメテいると云う点で、気を抜き過ぎている人がちょっと多過ぎやしませんか
と感じる事が多いです。
自分一人の事だけなら気を抜こうとどんだけダラダラしようと一向に構いませんが、人と絡む事に関して、特にそれが生業に
関わるなら尚更、真摯に向き合ってくれよ、そう思います。
どんな人であれ、無駄に人を傷つける事が許されてはいけないと思うので。

努力とか

2009年08月20日 | Weblog
相変わらず体調が悪く、今一つパッとしませんねえ。
1日中不快と云う訳ではありませんが、いい時間は少な目……。
来週は野暮用で出入りが多くなりそうなので、早く調子を戻したいですが。

行動を起こさなくては、常に何かしていなくてはと、ずっと呪縛のように考えていました。
何もせずにいる事に酷い罪悪感を覚えたし、遊びに出かける事についても、仕事も何もしてないのに、遊びになんか
行ってもいいのかとか、常にそんな風な感覚に囚われていました。
それはスピ的な事にも云えて、よくなる為には、常に何か前向きになれる事をしていなくてはダメ、マイナスの事なんて
考えるだけで悪、極端な話、それぐらいのレベルで考えていて、瞑想が出来ない自分は、幸せになれない種類の人間
なんだなあとか、そう云う思考に陥っていました。
今考えてみると、これって自分じゃ努力のつもりでも、ただ単に追い詰められているだけの状態だったのではと思います。
楽しくなんてなかったし、義務感と強迫観念に満ちていました。
後は意地、見えないものに対する意固地と云うか、怒りと云うか……。
実際、いいも悪いもなく、もう自分じゃどうにも出来なくなって、それが、やれないに繋がり、全て放棄になりました。
元々、何かしていない事に不安を感じる人間なので、放棄したとは云え、そこは不安と焦燥感で一杯です。
ますます酷い状態になったらどうしようと云う気持ちと、どうせ何やったって無駄だったんだから、このまま放っておいても
いいんだし、いざとなったら首くくっちゃえ、この気持ちが行ったり来たり。
前にも書きましたが、今思うのは、全てを辞めた時、向こうから来る事がある、と云う事です。
事と場合によりますが、努力した事が報われるとは限らない、それはもう大人にとっては分かり切った事ですが、追い詰め
られている時、努力が実を結ばないと云うのは、絶望に直結します。
もし努力する事のバックが問われ、怒りや復讐の為では叶わないとか、そう云う事があるなら、奮起する原動力すら否定の
対象になるのかなと思うのですが、実際どうなんでしょうね。
努力や行動を起こすと云う事について、あくまでも自分に関しての個人的な場合ですが、今迄無駄な事をして来たのかな、
とも思われて来ます。
何かしている事がいい、と云うより、何かしている事に自分が安心している、安心したい為に、いいも悪いもないまま無駄な
事ばかりしていた、そんな感じでしょうか。
勿体ない事をして来たのかもしれませんが、とりあえず時間は戻せないし、また戻したくもないし。
この先をどうやって行くか、そっちを考えた方が建設的と云うか。
かと云って、この先の事について何をか考えているかと云えば、まだですが。
お財布も通帳も何もかもスッカラカンで、何処をどれだけ叩いても埃も出て来ない状態ですが、今は無駄な動きを避けたい、
そう思って何もせずにいます。
これがいい事なのか私には分かりませんが、前と同じ事は避けたい、そうなれば、前とは違った事をしてみるのもありかと
思ったりもします。
この際、徹底的に何もかもなくなるのもありでしょう。
支払いは切実に困りますけどね……。

心を許すと云う事

2009年08月19日 | Weblog
頭が悪い人なのか、気の毒と云うか、私にはちょっと理解出来ない言動をする人についての話です。
仕事絡み、新しく親戚になった人と、何処をどう勘違いすれば、ああ云う言動が出来るのかなと疑問で
ならない人、数人。
世の中、色んな人がいるので仕方がない事ではあると思います。
でも油断し過ぎと云うか、世間をナメてると云うか。
親しく話す事が続くと、当然自分は相手から好意的に受入れられてると誰でも思うとは思います。
ですが問題はここからで、好意的だから相手は何でも受入れてくれる、と、なぜ短絡的に考えてしまうのか、
これが最大の謎なのです。
この相手は何を云っても大丈夫、少々の事も冗談として受流してくれる、なぜ勝手にそう云う判断を下して
しまうのでしょう。
この手のタイプと云うのは、大丈夫と思った相手には段々容赦がなくなると云うか、云いたい事を遠慮なく平気で
云うようになり、境界線を土足で超えて来て、傍若無人な振る舞いも平気、何でも笑って済ませて貰えると、
甚だ自分に都合のいい勘違いをしています。
余りの傍若無人に腹を立てられ、そこでやっとまずい事をしたと気付く。
当然の事ながら、自分では何をしても大丈夫だと思い込んでいるので、指摘されるまでは気付きません。
気付いても、多分直ぐには事態を把握する事が出来ません。
なぜなら、相手は自分を好意的に受入れてくれているのです。
自分は受入れられているのですから、ずに乗ってエスカレートして行っても、怒られる訳などないのです。
と云う事なのですが、先日親戚が集まった時、ある人の事でこの話題になり、あの子は我々をナメテいるのか、
単なるバカなのか、一体何なんだと云う話になりました。
その子に親しく接する事は、関係している人が不安や不快にならないようにと云う我々の関係者への配慮であり、
その子を好意を持って受入れたからそうしているのではありません。
それを丸々自分が受入れられていると勘違いし、ふざけた口の利き方をしたり、あり得ない態度を取る、その頭の悪さ。
こう云う事を人をから指摘されないと気付けないと云うのは、人間関係を築いて行く上で致命的だと思います。
悪気があるとかないとかの問題ではない、もう人間性そのものに関わって来るのだよ。
ってか、悪気なし、その時点でピントがズレテいる人ではあるのですが。
単なる自分だけに都合がいい無神経な人なのでしょうが、こう云う人と関わらなくてはならない周囲の、どれだけ大変で
イラつく事かって~のよ。
仕事の時だってそうです。
もう何を云ってもOKと勝手に判断し、仕事の話でも友だちに口利いてるような感覚でいるやつがいるし、幾らお勉強が
出来たところで、そんなの役にも何にも立たない、どんだけ頭が悪いのよってね。
この手の人のもう一つの分かり易い特徴は、自分が尊敬する、或いは絶対嫌われたくないと思う人への、異常にも見える
へつらい方です。
歯の浮くような事をも平気で云うし、常に下手に下手にと、両手をすりすりしているかのごとき態度。
これがまた余りに見え透いていると云うのに、本人全く気付かず、なんですね。
結論としては、自分が尊敬し嫌われたくない人はひたすら上げまくり、自分でこいつ何云ってもOKと判断した人には基本
高飛車、と云う事でしょうか。
どんな境遇であっても真っ当に育つ人が殆どですから、こう云う人が育つのは、環境や親の責任とは云えないのかも
しれませんが、どうすればこう云う人間が出来るのか、本当に知りたいと思います。
自分で自分の首を絞めている事に気付かない、と云うより、上手くやっていると思っている、その不思議です。
先天的な病的異常以外、一体原因は何なのでしょう。
何か云って、相手がちょっと変な反応をしたとか、大体そう云う事から、色んな事を想像し、相手への配慮と云うものが
生まれて行くものだと思いますが、この手の人は全くそれをしないのですからね。
まあ自分は何でもOKと云う大前提での勘違いをしているのだから、相手への配慮もへったくれもないのでしょうが、
どの道、この手の事は人から指摘されるような事ではないだけに、腹が立っても云うに云えず、親戚と云うこの先も
切っても切れない関係であればある程、本当に鬱陶しく面倒な問題です。
いっそはっきり云って疎遠になった方がどれだけ楽か、実はそう思っています(汗)。

蝉しぐれ

2009年08月18日 | Weblog
連絡もつかず、謎の担当者不在で、よく分からないまま納品をして来ましたが、今日、受取った旨連絡があり
一安心しました。
問題が起きるとは思いませんが、誰にも申し送り出来ないとやっぱり心配ではありますからね、よかったです。
さて、ここから次の作業に入るまで、何日かかるでしょうか、これが大問題。
残る私の作業は多くて3日もあれば終わるんですが、待ちで相当かかりそうですなあ、トホホ。
この納品場所は、私が長年仕事の為に通っていた場所でもありますが、夏は日暮らしの鳴き声が、1日中して
いました。
私は、この日暮らしの出すカナカナと云う音が大好きなので、暑くてしんどいながら、この時期が好きでした。
煩いと云われがちですが、ミンミン蝉の音も好き。
蝉の鳴き声が全体的に好きみたいです。
それも、煩いと思われるぐらいの、蝉しぐれ状態が大好き。
あの職場には2度と通いたいとは思いませんが、あの蝉しぐれだけは懐かしく思います。
あれだけの蝉しぐれ、そうそう聞く事は出来ませんから。
何もせず、あの音だけを、1日中聞いていられたらなあと思います。
それにしても、調子が戻りませんねえ。
困ります、ホント。
ちょうど暇ではありますが、早く戻らないと、日常生活も辛い。
何をどうしてと云う事もないし、ひたすら過ぎ去って行くのを待つしかありませんが、もう勘弁して欲しいよ~。

2009年08月17日 | Weblog
17日から出勤と云うので、納品の連絡待ちをしていましたが、全く返信がない。
いずれ、置いて来るだけだしと、返事を待たずに出かけて来ましたが、出勤してないんですが……。
委託と遺物の担当者両方に、連絡メールを入れたし机上にもメモを残してはきましたが、何だか訳が分からん。
一体どうなってるんでしょうねえ。

で、納品の帰り、めまいの薬を貰おうと、病院へ寄りました。
私のめまい病は原因不明ですが、これと云った心配がない種類のものです。
一時期、小脳とか、そっちの心配もありましたが、結果そうではないらしく……。
地元の病院でどうにもならず、ちょっと遠くにある大学の付属病院に入院した事もありますが、結局時間が
経ってよくなりました、そんな感じでした。
目の動きを見て、耳石を本来の位置に戻してくれる先生もいるらしいのですが、平均10日程度耐え忍べば
落着くので、何時もそうやってやり過ごしています。
針治療もしましたが、殆ど効果ないし。
いずれ、私は宇宙へ行く事は無理っぽいですね。
目まいの検査は、NASAの訓練みたいな事の連続ですから……。
でもねえ、これが起きないとなると、何年も起きないんですよね。
相当長い付合いになりますが、前に酷い発作が起きたのなんて、6年ぐらい前ではなかったか。
それ以来落着いていたので、すっかり安心していたのですが、今年は大きな発作ではないにせよ、随分と
度々目が回ります。
思い当たる事は、非常に精神状態が悪い、それに尽きますので、めまいの直接の原因ではないと思われ。
一体何処がどうなってるんでしょうねえ、ホント。
私は子供の頃から耳鳴りは普通にしていたので、みんなの耳の中にも、キーンと云う音がしているのだと、ずっと
思っていました。
でも実は違ったんですね。
今は調子が悪いせいもあると思いますが、耳の聞こえ方がおかしくなる事も度々あり、耳鳴りの音も色々変わります。
幸いな事に、聞こえ辛いと云う事はないので助かっていますが、左右で聞こえ方が変わったり、おかしな音に変わる
事は多々ある。
子供の頃から酷いアレルギー性鼻炎でしたが、繋がっているとは云え、鼻ばかりではなく耳まで悪かったとは……。
昔は断然鼻の方が悪かったのですが、今は耳の方が余りいい状態とは云えないようなので、何とかこの先も酷い発作が
起きないよう、上手く付合って行くしかないのだろうなと思います。
心配ないとは云っても、本人はかなり辛いので、早く原因と適切な治療法が見つかるといいなと願っています。

その筋

2009年08月16日 | Weblog
調子が戻ったかと思いましたが、どうにもおかしな具合です。
酷くはならないけれど、よくもならない。
昨日は久し振りに、天井が何度もぐるぐる回りました。
危うく吐きそうでしたけど、何とか持ちこたえ、今日も今一つな調子のままです。
文句ばっか云うから、お盆に何か変なもんが憑いちゃったんでしょうか。
でもやる事やってるし、向こうから文句云われれる筋合いはないんですけどねえ。

私は幾つかの前世で、何度か同じような事をして来たらしく、それを自分でも見たり、また指摘された事があります。
逆に、見たり指摘された訳ではありませんが、複数か、或いは余程濃密かと思われる過去生があるのでは、そう
思っているものもあります。
それは、ヤ○ザとかマ○ィアとか、いわゆるその筋のお仕事です。
友人にもよく云われるのですが、私はスイッチが入ると「姐さん」に変身すると。
家族も、私が本気で怒ったら、目つきどころか人相がが変わるそうで、後から「あんたの方が(相手より)余程怖かった」と
云われた事度々。
確かに、腕力がある訳でもなく、口喧嘩ですら噛みまくって決して強くはないのですが、例えば、理不尽な事で因縁を
つけられたとします。
そう云う時、相手によっては怖くて引かざるを得ないとか、本来怖いと思われるような人や出来事に遭遇しても、恐怖より
怒りが勝ります。
なぜか、絶対負ける気がしなくなって、我然戦いに出てしまう。
変な云い方ですが、刺せるもんなら刺してみろと云うか、撃てるもんなら撃ってみろって感じです。
今迄も胡散臭いオヤジやら、やのつくお仕事の半端な方と、何度か非常にくだらない事で云い争った事がありますが、
とりあえずは全戦全勝です。
去年の事ですが、上京した時、約束の時間にギリギリになるかもと云う状態で電車から降り、ひたすら地図を見ながら
歩いていました。
初めての場所でしたから、目印になるものの距離感が今一つつかめず、時間との戦い状態で、ちょっと焦っていたのです。
そこそこお金持ちが住んでますって感じの住宅街でしたが、コンビニの看板やら確認していたら、何やら前方から視線を
感じます。
私はド近眼ですが、普段は裸眼です。
なので、よく知り合いを見逃し失礼をする事が多々あるのですが、ここには知り合いもいないし、誰?と思い、視線を感じる
方を見ました。
誰?知り合いじゃないよね?と思いつつすれ違う際、そのガン見して来た男から「何見てんだぁ?!」と一言……。
かっちっっっーーーーん!即行、怒りスイッチオンです。
じろじろ見てたのはあんたんの方でしょーーー?誰があんたの顔なんか見たいかってのよ、自意識過剰め!
大体どこの誰よ、何で私の事見てたのか、先にそれを云え!と数秒の間に怒り心頭。
すれ違い際の事で、ほんの一瞬でしたが、思わず追いかけて行って後ろから蹴飛ばそうかと思いました(汗)。
この時も何時も通り、全く負ける気がしなかったし、通行人も沢山いたし、逃げ足速いし(爆)。
しかし不思議なもので、ここで「遅刻するよ!」と心の声がしました。
ハッと我に返り、約束があった事を思い出し、あんなガキどーでもいいやと攻撃はしませんでした(爆)。
こう云う事に遭遇する事自体、普通の人は余りないと思いますが、駐車場で順番待ってるだけなのに、すれ違い際に八当たり
みたいに文句云われたりとか、何でここで私?全っっ然関係ないんですけど?と云いたくなる理不尽に巻き込まれる事、結構
多いんですよね。
そのせいかは分かりませんが、とにかく怒りスイッチが発動する事が多いですね。
このガン見男の事は、こう云う事が暫くなかった時だったので、ちょっと反応が鈍かったのかもしれませんが、もしかしたら攻撃
した結果、本気で刺されたかもしれません(汗)。
なぜなら、そこへ行くまでの電車でも、直接の被害がなくても、危ない人とかなり遭遇し、ガン見男がその極めつけだったので。
電車で隣になったオバサンが「嫌ね~、怖いわね~」としきりに話しかけて来ましたが、乗車時間10数分の間に3人の危ない
人が、私たちの車両に集合しちゃったんですよね。
私の隣の人なんて、何秒かおきに「くっそー、殺してやる」を繰り返してるし、ちょっと緊張感ありました、あの秋葉原の事件の
後、何日も経たない時でしたし……。
で、何でその筋の人の前世があると思うかと云うと、幾ら理不尽な事でも、普通の婦女子なら怖いと思う事が、怖さより怒りが
勝ってしまい、実際戦ってしまうからです。
本当に怖い?その筋の人って、普段は至って温厚で、普通の人だったりしますよね。
でも1度怒ったら半端じゃなく怖いし、近くにも寄れないし。
親戚にも数人いたのでよく分かりますが、表と裏、どっちにも顔が効いたりもするし、保護監察員とか更生させる為に尽力してた
おぢちゃんもいた。
おぢちゃんが亡くなった時、大泣きして袋が閉じないほどのお札を詰めたお悔やみ袋を抱えてい来た裏の大物に、お葬式には
表側の偉い人が大勢来るから、どうか参列を堪えてと、おばちゃんが頭を下げていました。
おぢちゃんのお店に遊びに行くと、1ミリ眉毛の怖そうなにーちゃんが数人、にっこり笑って出迎えてくれたりして、子供の頃は
かなり怖かったけど、話が面白く、行くのが楽しみでもありました。
私は本も映画も、ドンパチ、バトルものが好きだし、未だに喧嘩が強くなりたいし、その為の腕力も付けたいし。
その辺、何か近いものを感じるんです、自分で。
それだけの話ですが。