日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

変だなと思う事

2010年09月30日 | Weblog
今日で9月もお終いですね。
頭は30度を軽く超えるぐらいの暑さだったのに、数週間でファンヒーターが稼働するようになるとは。
お仕事切れで、全くブログも仕事のネタのエントリーがありません。
でも今日は、大昔に終えている分の見積りと請求書を出しに行きました。
相変わらず嫌な緊張感のある場所でした(汗)。
で、これがもう今年度最後の入金となる分です。
いよいよですね~(何がでしょう?笑)。

自分を好きになるのが1番スピ的にいい方へ向かう手っ取り早い方法らしいですが、自分を好きになるって
なかなか難しい気がします。
一つ間違えば単なるナルちゃんですしね。
大体自分を好きだと云える人は、世の中にどのぐらいいるのでしょうか。

私は自分を好きではありません。
嫌いとキッパリは云えません、客観的に見ても気の毒なやつと云う同情も多分にあるので。
好きになれたらいいのかもしれませんが、私は長く否定され続けて来たので、これだけ否定された人間がいい
人である訳がないと思うし、いい人じゃないなら好きになれないと思うのは道理かなと思います。

人の事を上げたり下げたりしているのに気付いているのかいないのか?
云っている事が大層矛盾していて、自分を好きになれと云いながら否定して来るセラピストを知っていて、こう云う人と
長く関わっていると、段々訳が分からなくなって来ます。
一瞬疑問を感じて、自分の怒りの感情に気付いても、この人たちは私を助けようとしているのだから、怒りを感じるのは
おかしい事(多分)と自分を納得させてしまいます。
こう云う事と云うのは、大概1つ起きると次々雪崩のように起きるものですが、それをその都度前出のような解釈で
乗切って行くしか、こちらとしては策がありません。
なぜならおかしいと感じる事をしている人たちは、私を助けようと云うセラピストでありカウンセラーなので、クライアントを
スキル以外に傷つけたり落とすような事をするはずがないから。
現実に起きている事とそれを否定する感情に苛まれ続けるのは、相手が自分の味方である、助けてくれる存在だと云う
点で、そこが厄介なところなのだと思いますが、こう云うおかしな状況が続いて、真っ当で要られ続ける訳がありません。
私も壊れてしまいました……。

徹底的にクライアントの味方になる(肯定してやる)事が仕事だと云うような事も云っていましたが、だったらどうして
こうなる?と思うんですがね。
純粋に助けると云う事から何時の間にか逸脱している、何かおかしな方向へ行っているのだと思うのですが、その辺は
スルーと云うか気付かないのか気付かぬふりか。
セラピストやカウンセラーも人間ですが、やっている仕事が仕事だけに、あらごめんなさいねじゃ済まない事の方が多いと
思うのですが、安易にやっている人は本当に多いと思います。
そう云う人の存在は、ちゃんと仕事をしている人にとってもえらい迷惑だと思いますし。

私は本当に、はぁ?と云いたくなるセラピストやカウンセラーに大当たりして来ました。
と云うか、実生活での人間関係も、誰彼に話してもなかなか信じて貰えないような、とんでも人間や超困ったちゃんとの
遭遇率は本当に高いです。
この事にどう云う意味があるのかは分からないし、今のところは傷が増えたり深くなったり、ちっともいい事はありません。
ですが、何かに活かせない事には、やってられねえと云う気分ではあります。
どう云う形であれ、活かす道を探したいものですな。

ほんの小さな事

2010年09月29日 | Weblog
気分が上がったり下がったりする原因は、実は本当に些細な事だったりします、私の場合。
物凄く微妙なライン上で生きているので、些細な事に影響されて心がかき乱されたり、急に元気が出たり、単純
ではありますが、私はこう云う作りになっているのです(汗)。
どうしてそんな事云われたぐらいでこんなに落込むのか分からないと云われる事がありますが、その「そんな事」
の比重は人それぞれです。
と云うか、こう云う事を平気で口に出して傷ついている相手に云える人と云うのは、自分に対する他人の態度には
えらく厳しいのに、自分は平気で気分次第で人に接する事が多い気もします。
繊細ぶってる割に他人に対しては無神経と云うか、接して来たタイプで分類出来ますね、結構。
何より、誰も私にはなれない訳で、自分がどう感じようがそれを私が同じに感じると思ったら大間違いと云う事です。

自分自身の事ではないけれど、自分に直接関わらない周囲の出来事でもそれが耳に入ってしまう事で、心が
ズシンと重くなる事があります。
今ちょうどそんな感じで、何時も胸がもやもやと不快で重くて辛い。
自分の調子が少しでも上がっている時なら簡単にスルー出来るような事でも妙に引っかかってしまったりで、本当に
心の在りようで感じ方は変わるものだと実感します。
これではいけないんですけどね、なかなか周囲に惑わされず影響されずにいると云うのは難しいです。
無理矢理閉じた扉をこじ開けて入って来られる以外、自分で防御する以外、外からの影響を防ぐ事は出来ません。
あれこれ複雑に影響しあっているので、なかなか思うようには行きませんが、徐々にでも絡まっている糸は解し、
確信に近付いて行かなくてはと思います。
それが真っ当な日々を過ごす為の第1歩と云う気がするので……。

気付かない

2010年09月28日 | Weblog
私は、気付こうとしない、気付く気がないと云うような事を云われますが、心外だなあと思います。
元々現実的な夢や希望と云うものが一切ないので、自分の出来る事と云うくくりでしか、仕事やそう云う事を
決める事が出来ませんでした。
やりたいとかやりたくない以前の問題です。
夢や希望がないのが悪のような云われ方をする事もあって、何か釈然としない思いを持ってはいるのですが、
夢や希望はないはずはないもので、気付こうとしないから分からないだけだと云う理屈らしいです。
だったら何とかピンと来るように教えて欲しいとお願いするのですが、ピンと来るも何もありません。
何度も目にしたり聞いたりする事が、そう云う夢や希望に関わるヒントだとも云われますが、そこには明確な夢が
希望がある事が大前提だと思います。
変な例えですが、Aと云う事についてすべきか迷っている、或いはAとBと2つで迷っているでもいいですが、そう云う
確実に見えているAと云うものがあれば、最近Aに関する事ばかり目にする、たまたま見た雑誌にAについて書いて
ある等々、これはAが進む道だと云う判断を下す事は出来ると思います。
でも私のように、な~~んにもない(と勝手に私が思っているらしいですよ、聞いたところによれば・爆)場合、ある時
突然毎日決まった事を見るようになったとか聞こえて来るとか、余程本人が何時もと違うと思う変化でもなければ、
そうそうこれがそうかと気付くとは思えません。
心の奥底では分かっていると云うけれど、現実に分からんと思っている人だらけなのはなぜでしょう。
気付く事が出来たらいいに決まっていますが、普通に生きている人に、果たしてそんな気付きは簡単にあるでしょうか。
凡人には、意識したって難しい事なのに……。

他人のせいにする、ああ云う云い方が悪いこう云う嫌な事を云われたとか、出来ればそう云う思いは持ちたくはあり
ませんが、何でもこっちが悪いみたいにばかり云われる上に、それがとても不本意なので頭に来るんですよね。
あなたが悪い、あなたがあなたが……、何時もそうです。

自分自身が云ったのではない、例えば見えない存在からのメッセージだとかカードの結果だからと、相手に伝えた事に
責任が全くないみたいな感覚のセラピストについても、これってどうなんです?と云う思いは否めません。
無責任過ぎですよね。
自分自身が考えた言葉ではないとは云え、その事が伝えた相手の人生をぐちゃぐちゃにした大きな原因になったら、
あらあら大変でしたね、じゃ済まされないと思うんですが。
そう云う事すらこっちのせいみたいなのって、どう考えたっておかしいと思いますが、あなたが引き寄せたとか云われて、
絶対悪いのはこっちなんだよなあ。

全ての責任は自分自身にあると頭で分かっていても、心が納得していません。
これが逆なら、ここまで深く傷ついたり疑念は持たないと思うのですが、心の底から納得出来ない、腑に落ちない事と
云うのは、やはりその人にとっての真実ではないかもしれません。
自分の感覚が答えを知っている、スピでもそう云っているけど、何だかあれこれ矛盾だらだけに感じてしまうのですよね。
本当に行きつくところは一つだと思うんですが、こう云う事を考えると何時もスッキリしない気分になります。
現実は、何時まで経ってもお先真っ暗、だからこんな事ばかり考えてしまうんでしょうね、トホホ。

上がったり下がったり

2010年09月27日 | Weblog
昨日の夜、ちょっとした事があって、かなり落込んでしまいました。
その出来事自体は、大抵の人がショックを受けると云うか驚くとは思います。
が、その後どう思うかはその人次第でしょう。
私はと云えば、かなりダメージを受けました。
なぜかと云うと、かなり痛い出費を伴うであろう事だったので。
必死の思いで生きていると云うのに、な~んでこんな起きなくてもいい突発事項が、それもよりによって
こんなきつい時に起きるのか。
目減りして行くだけの状態ですので、これで生きろとは冗談はよしこさんと思いつつ、昨夜は本当に重い
気持ちで脱力していました。
でも、起きてしまった事はどうする事も出来ません。
重い気持ちのまま、朝一で片付ける為に出かけました。
そうしたら、思っていたのとは違う感じになって、思いがけず最低限の出費で済んだ上に、今日1日で用が
足りてしまった。
今度は安堵で脱力したのは云うまでもありません。

昨日は散々悪態をつきまくりました。
半径1キロ圏内に入って来るな!とか、もう見捨てて貰って結構なので私に関わってくれるなとか。
もう恨みがましい気持ちで一杯だった。
それを簡単に覆すのは自分勝手だと思いますが、ありがたいと感じた事には素直に感謝はしたいと思いました。
この先どうしていいのかは全く見えては来ないし、何ら状況に変わりがある訳ではありません。
相変わらずお先真っ暗ですが、日々の救いには感謝すべきと感じた出来事でした。

なぜだか怖い

2010年09月26日 | Weblog
現状が変わるとは到底思えない、自分がいい方へ向くなんて事はない、と云うように、マイナスな事ばかりを
思ってしまう訳です。
これがいけないと云う事はよくよく分かっています。
そう云う状態を引き寄せる一因になる。
でもとにかく恐怖と不安が湧きあがって来てダメなんです。
自分の考えている幸せな人生を送りたい、せめて今よりマシな人生を生きたいと思っても、そうなる事で何かが
起きる………?
分かりませんが、そんな気がして、それは期待ではなく恐怖や不安に繋がっています。
何だか分かりませんが、胸の辺りに不安が広がります。
本当に怖くなります。
どうしてこんなに怖いのか分かりませんが、いい事を想像すると怖くなります。
これらを取り去る努力をしても結果に結びつきません。
だから私は今よりよくなる事は出来ません。
哀しいかな、これが私の現実です。

地に足をつける

2010年09月25日 | Weblog
最近胸が重くなるような話題が多く、何時もどんよりした気分でいましたが、昨日のイチロー選手の200本安打は
久々に心が浮き立つニュースでした。
本当に凄い記録ですね、カッコいいなあ、イチロー。

私は地に足がついていないと云われます。
実感はあるので否定も出来ず、どうしたもんかと思い悩むのみですが、イメージでグランディングを云うやつを
やるよう云われ、毎日頑張っていた事がありますが、それが一向に出来ませんでした。
子供の頃からイメージと云うか、想像(空想?)する事は得意な方ですが、スピ的なスキルでの想像と云うか
イメージングはホントに出来ません(汗)。
グランディングの1番簡単なやり方だと感じたのは、自分の尾てい骨辺りからコードを出して、地球の中心と
思われるところに結びつけると云うやつですが、これが成功したのは2回ぐらい、私のコードは途中で勢いよく
戻って来てしまうんですね(涙)。
で、空中をブランブランしている……。
物凄い勢いで戻って来るから、反動が凄いんです(汗)。
8年は経つと思いますが、初めてヒプノセラピーを受ける際、予約の日まで5カ月近くあったので、それまでに
グランディングの練習をするよう云われ上記の事をやったのですが、当日先生に見て貰ったら、出来ていないと
キッパリ云われてしました(涙)。
もし繋がっていても超弱いもので、繋がっていないも同然だと云う事。
結局訓練するしかないのかなと思いますが、未だ上手く出来ないんですね。

自分に、何となく余りいい感じではない浮世離れした感じがあると云うのは、昔から自覚がありました。
余りにぶっ飛んでいる時、その浮世離れした感覚が、芸術家とかそう云う方面への創作意欲に繋がって行くとか、
いい方へ作用して行くと思うのですが、どうしようもないのが私のように中途半端な場合ではないでしょうか。
何だか浮いている感じはするけれど、それを苦痛に感じてしまうし、個性と云うには微弱過ぎる。
どうせなら徹底して滅茶苦茶な方が楽じゃないかと思うんですよね……。
結局何でも中途半端、それが私と云う事でしょうか、トホホ。

私がよくお邪魔するブログは、みんな前向きで読んでいるこちらまで明るい気持ちになれるものが多いです。
それに最近とても感じるのが、そのブロガーさんがみんなよい方へ変容していると云う事。
勿論ご自身も気付きがあって、今何が起きているかはちゃんと実感されいるのですが、結構スピード感があると
云いますか、徐々にと云う感じがしませんね。
と云っても、私が知らないだけで、色んな積み重ねはあったと思いますが、存じ上げるようになった過程において
私は変わりたくて色んな事をしましたが、ちっとも上手くいきませんでした。
だから、一方的にではありますが、スピード感を伴う変容の過程を、単純に羨ましいなあと思います。
でもこう云う事は、努力して成せる事ではないのかなとも思う、必要のある人にだけ必要な時期に起きるような、
人知を超えたところで動いている事と云ったらいいでしょうか。
努力と云うよりも、そこへ行くまで無自覚でも必要な事をちゃんとした結果と云うのかな、そんな風に思えます。
やっぱり起きる人にだけ起きる出来事と云う感じですよね。

私にこう云う変容が起きるとは到底思えませんが、せめて生きている間は真っ当な生活をしたいとは思います。
でも下世話な願いが過ぎているのか、一向に良い方へ向く気配なし。
私は向かうべき方向を違えているらしく、じゃあどっちへ行かばいいのかと思っても、誰も教えてくれません。
一生懸命尋ねているのですが、気付こうとしないとバッサリ斬捨てられるし。
何だか身も蓋もないってこの事だよなと思わないでもなく。
せめて地に足をつけて、地道に生きる事にのみ専念出来るようにと願っていますが、ふら~ふら~はどうにも
ならない、困ったもんですわ。

心を開く

2010年09月24日 | Weblog
心を開けと云われますが、どうすればいいのか分かりません。
全く、です。
思いのままにしていい、と云うか、しなさいと云う事ですか。
何より自分の心が開かれているのか否か、どうすれば知る事が出来るのだろう。

分からない事のもう1つは、手放せと云う事です。
手にしているものではなく心に抱えている事を、と云う場合ですが、何時までも抱えていると云う事は簡単に手放せ
なかったからこそ。
手放せたらいいと云うのは、本人だって分かっているのにそう出来ないから辛い訳で。
何でもそうですが、云うのは簡単なんだよな。
で、こんな簡単な事なのです!と云う事程、難しいものはないのだ。




このブログの他にもう1つブログを持っているのですが、辞めようかなと思案中。
最近ですね、なんか変なんです。
ありがたくないコメントに始まり(誰かは分かっているだけに…、以下自粛)、何度確認しても設定に問題はないのですが、
設定していない動作をするようになりまして。
私に直接働きかけが出来なくなった事で、繋がっているブログに影響が出ているのかもと、ふと思いました。
元々見えない力は扱えるようですし。
でもブログの調子がおかしくなったのはここ何日かのは急展開と云う状態なので、よい方に考えれば、変なものから
遠ざかる為にも、もう辞めてしまえと云うメッセージかなと思わないでもありません。

とは云え、もう1つ吐き出し口がないと、個人的にはちょっと苦しかったりします(汗)。
が、不気味な執着で見はられているとなると話は別ですからね。
こっそり始めたところで、どう云う手を使ってもまた見つけられてしまう可能性も無きにしも非ず。
若干常軌を逸し始めてる感があるんですよね、ご本人たちに自覚はゼロみたいですが。
どうしたものかなあ、考える日々です。
って、こっちのブログも見てたらどーしよー、こーわーいー(汗汗)!!

スッキリしたい

2010年09月23日 | Weblog
やり場のない気持ち、主に怒りや苦しいと云った感情だったりしますが、それらを表に出せずにいると、大丈夫と
思っていても、実は結構蓄積されていると云う事があったりします。
表面張力みたいに、本人が気付いていないのに溢れて、急に決壊する事があるんですよね。
本当は人に対して嫌な感情を持たずにいられたらと思いますが、自分一人ではどうにもできない事も多いです。
人との関わりにおいて発生する事が殆どなので、自分だけの防御じゃどうしようもないと云うか……。
何とか奮起しなくてはと、出せる力を総動員していても邪魔が入ったります。
ホントにねえ、困っちゃうんですよね、これが。

何にも影響される事無くスッキリした気分で、事に当たりたい。
勿論何かしらはあるでしょうが、それを直ぐ回避出来るように、スッと流してしまえるように、そんな風にいられたらと
思います。
同じ事が起きても受取り方を変えて行ければそんな風になれて、嫌な気分を心に止めておく時間が短くなるかも。
そうなれたらなと思います。

ここ数日雨降りで寒いぐらいです。
10月まで暑くて秋がない、なんて云っていたけど、それはここには無関係みたいです。
ここは日本にカウントされていな場所みたいですねえ、事あるごとに感じますが。

理解されないと云う事

2010年09月22日 | Weblog
栗の皮を剥いていて、久々に指を切りました。
えぐれて結構痛いです。
毎年、延々と皮を剥きつつ、な~んでこんな事してるのかと思いますが、続くんだな、この先もずっと。

私は昔から人に理解され難いようです。
何を考えているか分からないとは家族の云い分だし、私が普通にしている事に対し、意外だと云われる事も
結構多く、実際どう思われているんだろうとどんよりした気持ちになる事が多い。
大抵余りいい風には思って貰えてないんです(涙)。
実際、本音を話しても否定される事ばかりなので、だったらもう云わないまでと云う思いもありますから、
何でも話す人に比べたら、断然分かり辛いとは思いますが……。

ある出来事について、私は半ノイローゼになるところまで追い込まれたのですが、その事を話しても、殆どの人が
信じてくれず、私が神経質だから、過敏だから、世の中には色んな人がいるんだからと一笑されて終わりでした。
私は神経質なので扱いにくいと云う風に思い込まれているんです。
これについては私の事もですが、相手の事も分かっていないからの事で、相手の本質を知ったら、また自分たちが
私と同じ立場になったらどうか、それを経験して貰わない限り理解不能かもしれません。
でも本当に分かって貰えないと云うのは辛いと実感した出来事でした。
あり得ない経験をして、それを説明しても誰からも信じて貰えないと云う事があったりしますが、まさにそんな感じ。
数少ない私の事を分かってくれている人だけは味方になってくれましたが、この人は、相手のがどう云う人間かを、
いち早く察知した人でもあります。
実際のところ、この相手からの実害を受けた人だけが理解しうる状況でしかないので、被害に遭わない人には永遠に
仕事の出来るいい人でしかないままだと思います。
被害者が続出し、更にそれが自分たちの信用している人でもあれば、嫌でも信じざるを得なくなるかもしれませんが。

この出来事があったからと云う訳ではありませんが、余りに一方的な云われようを経験してしまうと、何としても本当の
ところを分かって貰いたいと云う気持ちになります。
セラピストやヒーラーのような人にでも、とりあえずであっても、私はこんな人間ですと云う事を、誤解無く分かって欲しい、
そう云う思いが強く、ちょっとしゃべり過ぎてしまう。
今度はこれで失敗したりするんですよね……。

何でも過ぎるとよくないのは分かっているのに、自分が上手く出来ない事には過剰に反応してしまい、程よくと云う事が
出来ません。
あらゆる人間関係で被った痛手の事を考える時、結局自分が上手く関係を築けない結果なのだと思うしかないし。
こうして、ちゃんとした人間関係を築けないまま、人生終わって行くのかなと思います。
努力しても上手く行かなくても、全ては自分の責任だから仕方がないのでしょう。
本当に人としてダメダメ、出来損ないで生きるのは大変です。

ささやかでも

2010年09月20日 | Weblog
新聞の短期連載である女優さんが、子供の頃学校へ行けずに家にばかりいた時、どうして生きていようと
思えたかと云うと、楽しみにしていたTV番組のお陰だと云うような事を語っていました。
辛くてどん底にいても、そう云うささやかな楽しみに救われて生きている人もいるんですよね。
この次どうなるか、どうしても知りたいからそれまで頑張って生きていようって、何だか笑えるけど物凄く
現実的な気もします。
この女優さんだけでなく実際生きてる人も、こう云うささやかな楽しみの為に日々を生きているのではなかろうか。
大袈裟な夢だの希望だのある人は結構、でもそんな人、実際どれだけいるのかと思うんですよね。
だって、日々を普通に生きて行く事がどれだけ大変か……。
私は辛くて仕方がありませんよ(涙)。

あなたは自分の夢に気付く気がないと云われた事がありますが、その人は私の夢を知っているかのようでした。
何でそんな事他人のこの人に分かる訳?
本人も知らない、知りたいと思っている夢や希望の全貌を、なぜ私以外の人が知っているのか、分かるように
説明しろや!と思っちゃったのですが、こんな風に云われたら、ほほ~そうですか、なんて思う人いるんだろうか。
確かに自分の事より他人の事の方が見え易いと云うのは分からないでもありませんが、少なくとも本当のところは、
他人には分からないと思います。
ウサギとカメじゃありませんが、周囲が見ていてどんなに苛々しても遅いのがその人のペース、そうする事しか
出来ない人だっています。
早く到達出来れば苦労は少ないのかもしれませんが、やりたくても出来ない・やっても出来ないのなら仕方がない
と思います。
それでもその人を責められるものだろうか、あなたがのろまだからダメなんて云えるんでしょうか。
誰もその人になり変われる訳ではありませんよね。

誰から何を云われても、人生間違っていると責められても、所詮他人の云う事であって、自分の人生、生きるのは
自分以外の誰でもありません。
うるせーよ、バ~カとでも一笑出来たらいいのですが、私は芯のないぐらぐら人間なので、何時もそこにつけこまれ
ては、折角の上り調子から引き摺り下ろされてしまいます。
自分が悪いのですけどね、でもいちいち人にあれこれ云って来る方もどうなのかなと思います。
ここまで来ると好意ではなく、もう立派な嫌がらせなので。
バカな私も長期間に渡り学習した結果、頼んでもいないありがたいご好意は、金輪際受付ない事にしたので、やっと
呪縛から解き放たれるのではと思います。
ある種の呪いをかけられていたみたいなもんですよ、これは。
私は私の人生を生きるしかないのだ。
♪これでいいのだぁ~♪
って事です、今後何を云われても。

栗の皮を剥きました。
例年のこの時期の恒例行事ですが、8キロぐらい剥くので、手がおかしくなります。
出来合いの甘露煮は甘過ぎて却下なので、毎年自分の家で煮た栗を剥くのですが、お彼岸の為とは云え、本当に
憂鬱になります。
私は包丁で栗の形を崩さず剥くのは相当上手いですよ。
ちゃんと原形のまま剥けますが、これが出来たから何か云い事があるかと云えば全くありません、トホホ。