日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

よいお年を

2011年12月31日 | Weblog
朝一で洗濯をして直ぐ買い物に出かけ、何か所も回った挙句、余りの混雑に欲しいものを買えないままの帰宅と云う、今年に相応しい?ドタバタした1日でした。
激安スーパーの余りの混みっぷりに息が出来なくなりそうで、今日でオレも終わりかと思ったし。
こんなきっつい大晦日は初めてかもしれません。
こうして激動の1年は暮れて行くと云う事か……。

大きな災害があった事で、その後は災害一色で過ぎてしまったように思います。
本当に心が重い1年でした。
多くの人の心に、何かしらの思いが刻まれたと思います。

絆とか人との繋がりと云う事が多く云われましたが、私はそう云うものとは違う事を多く考えていた気がします。
何をと問われるときちんと答える事が出来ないのですが、実生活の中に心がないと云うと変ですが、何かそう云う感覚……。
やっぱり上手く云えません。

類は友を呼ぶと云う事で、自分の身の丈にあった人を引き寄せるのだと思いますが、夏以降後半の出会いは、今迄にない気付きに繋がるものだったと思います。
少しは私も精神性のレベルアップが出来たと云う事か(笑)。
いやホントに、少しはそうあって貰わなくては困ります、何をやっても実を結ばない、酷過ぎが長過ぎの人生なので。

仕事は早いが他の事は人の何倍も時間がかかるオレ。
でもピアノのレッスンでも仕事においてもそう云う事がありましたが、どうやっても出来なかった事が、ある日突然視界が開けたかのように出来るようになる事があります。
自分の人生も、そうであって欲しいなと希望的観測。
それにしても、1年に1回ぐらい誰かに褒められたいなあなんて事を思う。
褒められる事、何もしてない癖にずーずーしいですが。

心ならずも元の場所へ帰って行かれた沢山の人たち、残されて哀しみと喪失感を抱えた人たち、何よりこの人たちが心から穏やかにいられる人が1日も早く訪れますように。
地球規模で、世界規模で、みんなが自分の幸せの中で生きて行かれるように。
帰って行った人たちが自分の道を行かれるように。

沢山の色んな思いを抱いた1年でしたが、今日でお終いです。
来年はそれぞれの幸せが溢れる穏やかな1年になりますように(祈念)。
どうぞよいお年をお迎えくださいm(__)m。

ザ・年末

2011年12月30日 | Weblog
毎日気忙しくて、それだけで消耗します(>_<)。
昨日は「九(苦)日餅」と云って嫌われる日ですが、じゃあ苦を練り込んで食っちまえと云う事で、我が家では餅つきをしました(超こじ付け)。
と云っても機械がつき、母が鏡餅やお雑煮用の餅ををこねこねするだけで、私は洗いもの専門ですが。
でも片栗粉が飛び散って汚れるので、終わった後の掃除が厄介なんですよね。
しっかり拭きとってしまわないと滑るので、ご老人一家の我が家は危険です。

その後は仕事部屋だけ大掃除をしまして、ひーこら床にワックスをかけて終了しました。
ロットリングを洗っていないのが心残りですが、直ぐ使う事になるのでいいかなと。
今迄ロットリングを洗わず年を越した事がないのですが、どうしても洗う気が起きないのでいいんだ。

今日は残りの部屋の大掃除でした。
と云っても、この前ガラスの拭き掃除はしてしまったので、これと云って大変な事もないのですが、やっぱり大掃除と思うだけで気が重く……。
何とか午前中で終了出来ましたが、雪が降って寒くて久々にキツイ大掃除となりました。
一夜飾りはいけないと云う事で、今日はお飾りや鏡餅のお供えもしましたので、後は明日の最後の買い出しですべて終了です。
が、この買い出しが激混みで恐ろしいんですよねえ。
みんな和やかさとは程遠く殺気立っているので。
なんとか穏やかに(汗)買い物を済ませたいものです。

今年の残り1日、何事もなく終わりますように。


なんか違う

2011年12月29日 | Weblog
何度も書いて来た気がしますが、同じ事を書いている(云って)いるのに、何も思わないとか好意的に感じる人と、鼻持ちならない感ばかりの人がいるのはなぜか……。
ひけらかしたいとか自慢が感じられるか否かかなと勝手に思います。
特に控え目ぶってはいるけど、実は私ってこんな凄いのよと云う気持ちがバリバリある人は、分かり易い。
何から何まで自分の事を外に出さないと気が済まないみたいです。

最初はともかく、自慢話と云うのは聞いていていい気持ちがしない、むしろ不快感ばかり増すものだったりしますが、賢い人はまずしない話だと思います。
嫌がられると分かっているでしょうし、あえてあーだこーだを必死に云わなくても伝わるものはちゃんと伝わりますし。
お気の毒な方は、聞かなくても分かっていると云うような事まで必死になって自己アピールし、自分はこれだけ優れた人間だと云う事を分かって貰わないと気が済まないのでしょうけれど、自分に自信がない事の裏返し、予備情報なしの素の自分では勝負出来ないって事ですよね。

凄いと云われて優越感に浸る、それで気分よくいられる人はいいですが、聞きたくもない事を何度も聞かされると、あら凄いわね~のお世辞も出なくなるってものです。
みんな本気で凄いと思っていると勘違いしているかもしれませんが、こんなアホな事辞めたらと指摘してくれるありがたい人なんていないのです。
また始まった、面倒だから放っておこう状態なのに……。
この手の人は嫌味が全く通じない上に自分に都合のいい事は全部素直に取るし、故に褒め殺しも全く通じません。

まずい事をしても、何も云われないからバレていないと思っている人がいますが、自分で気付いて当り前、人から指摘されるような事じゃないから云われないだけなのに、上手い事やってると思ってしまうのはなぜか。
どうすればこう云う都合のいい思考が出来るようになるのか理解不能ですが、自己アピールが凄い人は、この傾向大ですね。

なぜそんなに凄いと思われたいのでしょう。
人を上から見下ろしたいのでしょう。
と云うか、一体こう云う人はどうなりたいのかと思います。
今迄認められて来なかったから?余程虐げられて来たから?
自己アピールの異常さを見ると、そこまでする理由を知りたくなります。


親戚があれこれ煩いので、私はよく親に文句を云っていましたが、あんなに可愛がって貰ったのだから悪く云うのではないと云われる事がよくありました。
ホントに変な云いようです。
あれだけして貰ったんだから我慢しなさいと云う事でしょうが、一体何時の話を持ち出して来るやら、私の周囲の困ったチャンはこの手の人が非常に多いです。
あんなに・こんなにしてあげたのにとどれだけ云われたか。
自分がして貰った事は何処へ行ってしまうのか、自分の方が常にしてやっている事が多くて上と思うのか、だとしたらその感覚は何処から来るのか謎ですが、自分に不都合な事を云われると出て来るのがこのお言葉だったりします。

して貰ったからしてあげる、してあげたんだからそっちもお返しするのが当然、それが物事の基準なのかなあ、こう云う人たちは。
してあげると云う上からの云い方にも嫌悪を覚えますが、双方いい状態の時に相手にした事は、純粋に好意からではなかったのでしょうか。
私はこう云う家庭環境があったので、例え家族でもして貰った事には必ずお返しをして来たし今もしています。
放置しておけば後が大変と分かっているなら前もって手も打てるし、何よりして貰った事に純粋に感謝しているからこそと云うのはあります。
家族の場合、鬱陶しいと思う事も多々ありますが、まあそれはそれ。

私は、して貰ったありがたい事を忘れてしまう不義理な人はそうそういるとは思いません。
直ぐにお返しする事が出来ないような事だって沢山ありますが、必ず何かの形でお返ししたいと思うでしょうし、機会があったらそうするでしょう。
それが人間と云うものだと思うのですが……。

自分では直ぐではなくとも何かしらのお返しはして来たと思っていた人から、あんなにしてやったのにと云われた時には、呆然としました。
しかも、こちらはそんなにして貰いましたっけ?と云う程度にしか思い出す事が出来ない。
相手は相当「してやった帳」にチェックを入れていたものと思われます(爆)。
この如何にも自分が一方的にしてやったでしょう的云い方にムカッ腹が立ちましたが、私は自分がこの相手にしてやったであろう事は一言も云いませんでした。
結構色んな事「してやった」んですよ(笑)。
大体、自分の痛いところを突かれた直後にこの云いようです。
絶対自分に非がない、あなたのせいでこうなったと云いたかったのでしょうけれど、それはどうなのよって話。
しかも私より相当年が上、両手分は離れている人。
実年齢と精神年齢や人としての中身が比例しているとは全く思いません、自分もエライかけ離れていますし。
それにしたって、百歩譲ってそれはあり得ないでしょう?と云う場合、怒りや呆れを越してただ脱力のみです。
こう云う人と関わる事にどう云う意味があったのか、未だ分かりませんが、社会勉強にしてはダメージが大き過ぎました。

都合が悪くなると微妙に軌道修正しながら話を逸らし、自分の非を回避しよう、都合の悪い事はなかった事にしようとする人の作戦が、自分がしてやった事の羅列で相手に一瞬罪悪感を思い起こさせて黙らせる、してやった作戦ですね。
なぜそこまで自分は悪くない、悪いのは全部周りの人と思いたいのか、素直に認める方がどれだけ自分にとっていい結果になるか、自分本位の打算で考えれば余計に分かりそうなものですが……。
謎の生物、生息し過ぎです。

忘年会もどき

2011年12月28日 | Weblog
勤め人でもなくお友だちもいないワタクシ、飲み会と云うものからは久しく遠ざかっておりますが、たまに仲良くして貰っている人と出かける事はあります。
本日は忘年会もどきのランチをしました。
年末は夜は何処も混むので、この時期はお昼がいいねと云う事になりまして。
人気のイタリアンに行き、何時もは満腹で食べられなくなるデザートまで完食しました。
出かける前散々動き回ったのでお腹が異常に空いていたと云う事もありますが、ここはメインがしっかりしているので、別腹に余裕があるとは自分でもビックリでした。
これで後は、残りの大掃除に心おきなくとりかかれると云うものです。

今日出かける前は、台所の掃除をしました。
私は冷蔵庫と流しの周り、親はガス台とその周辺と手分けしましたが、結構時間がかかってランチ忘年会に遅刻しそうに。
例年より汚れは少な目でしたが、やっぱり大変ですね、大掃除となると。
始めてしまえばどうと云う事はないのですが、何となく気忙しく、それだけで疲れます(汗)。
冷蔵庫や棚の奥からは何時のモノともしれない物体が次々出て来るし、とりあえず大丈夫そうなものは年内に食べて片付けようと云う事になり、今夜も怪しげな冷凍していたものを食べる事に……。
明後日頃まで、片付けご飯が続きます。

さて、明日は何をするんだっけ……。
何だか訳が分かりませんが、まずは頑張って働きましょう。

2011年12月27日 | Weblog
とにかく仕事にケリをつけたいと気を張っていたせいか、終わったと思った途端何だか風邪っぴきのような感じです。
薬を飲みましたが、出先でもくしゃみが止まらない。
何とか酷くならずに済んでくれればいいのですが……。

私は超寒がりだし暑がりですが、昔は冬に電気毛布なしで眠る事が出来ませんでした。
体温が高いと云われている子供の頃から、布団が温まっていないと寒くて寒くて、事前にスイッチを入れて温めておいた布団に入ると云う具合、布団が温まっていない時は軽くパニックでした。
それがどう云う訳か、いいオバサンになってからのここ数年、電気毛布をかけてはいても、電源をオンにする事が殆どなくなりました。
今年に至っては電気毛布をかけてもおらず。
去年もずっとかけずにいたのですが、年明けにインフルエンザにかかった際、どうしようもない寒気の為に仕方なく引っ張り出して来てかけたほど。
と云う事で、今年も使っていない状態なのですが、今年は更に妙な感じになっています。

遠隔でエネルギーを貰ったりすると、方向としては足元から上がって来ると云う感じで、私は何時もひんやりしたものを感じます。
このところ眠る前、深い呼吸をしてあれこれ瞑想チックな事をするようにしているのですが、その時不思議な事に、急激に身体が熱くなるのですよね。
昨日なんて掌に汗までかいてしまいましたが、エネルギーを貰う時と同様で下から熱いものが徐々に上がって来る感じがします。
私は普段手足がとても冷たくて、手で触られた人が冷たさにビックリして飛び上がる事もあるぐらいですが、最近は寝る時に限ってですが、ホカホカと云うか熱いと云うか、この熱は一体何なのかと不思議でなりません。
お陰さまで寒くて眠れないとか目が覚めると云う事がなくなりましたが、これって加齢による身体の変化だったら怖いなあとも思います(笑)。
と云っても、今のところ目立って何があると云う自覚もありませんし、暖かいのはありがたい事ですので心配は何もしてませんが……。
それにしても、この熱はなんだろうなあ。

云い訳

2011年12月26日 | お仕事プラス
久々だし年末だし、仕事の進行がどうなるかと心配でしたが、今日で持ち帰った分は何とか終わる事が出来ました。
やれば終わるのに手をつけられない状態で、後数個だけ残っているまま家の仕事をしなくてはならないのはかなりストレスなので、まずはキリよくスッキリ出来てよかったです。
年末ギリギリに飛び込んで来た仕事でしたので、ありがたいけれど家の事もあるし、どう進めるか困ったなと思っていましたが、とにかく手元にある分が終わって本当によかったです。
後は家の事に全力で(嘘)取りかかるとしましょう。


自分が云い訳三昧で自分に甘く人に厳しいからこそ思うのですが、これを云われたらどうしようもないよなと思うのが、「人間だからミスがあっても仕方ない」と云う事。
これって究極の云い訳ではと思います。
ミスがないに越した事はありませんが、絶対なくならないと云う事も重々承知。
でも人助けをしている人、特に医者のような仕事をしている人にこれを云われたら、もうどうしようもないと云うか……。

セラピストなんかにこの云い訳をされても、何だかなと思います。
と云うのも、大抵云い訳するのは微妙な人が多いから……。
ちゃんとしている人は余りこう云い訳はしませんよね。
と云うか、云い訳しなくてはいけないような事はしないし。
云い訳しないとどうにもならないような言動を普通にしてしまう、要は考えなしと云う事に尽きると思いますが、向いてないと思いますね。
セラピストとしてと云うより、人間性に問題ありではと思います。
もしかしたら傷つけたかもとか、あんな風に云ってしまったけどなんて事は、夢夢思わない。
この手の人は、自分じゃいい事をしている・云ってるとしか思っていないので、相人から指摘されて初めて気付くし、相手の受取り方に問題があるとしか思わないでしょう。
仮に自分に問題ありと思っても、それを認めるなんて事は間違ってもしないでしょうし。
能力とやる気の前に、向き不向きが大きいお仕事と云えるかと……。

云い訳とはちょっと違いますが、かばうと云う事についても、本当にその人の事を思ってと云うより、自分の身に降りかかった時の為にかばっている、そんな気になる人っていますよね。
かばうと云う行為で感じたのは(たまたまでしょうけど)、同胞相憐れむ的なものばかりで、全く賛同出来ないと云うか、ケッ、かばい合いかよと思ってしまう事ばかり多いです。
かばって貰ってその場は逃れられても、後はその人次第です。
かばうに値する人かねえと思う事も随分ありますが、明日は我が身となれば皆さん必死ですから。
外から見ると憐れと云うかちゃんちゃらおかしい状態だったりもしますが、普段ご立派な事を云ってる人たちがこんな風だったりすると、潔さがないってやっぱり何だかなあと云う気になります。

向いてないと云うか困ったチャンセラピストから云われた妙な事と云うのは、どう云い訳されても突っ込みどころが満載です。
トランス状態だったの何のと云われた日にゃ、病院へ行ってくれと思ってしまう。
なんで都合の悪い事を指摘された時だけトランスになるんだって……。
相手の為に誠意と愛があっての言葉なら、きつい云い方になっても相手にはちゃんと通じるものです。
例えその時突き刺さっても、後から必ず納得出来る事に出会うし気付く。
気持ちとか愛のあるなしは、大抵の人にちゃんと通じていると思います。
でも愛もなにもない、心のない事をつらつら云うような人の言葉はその場限り、傷が残るのみで、後から何を生み出す事もありません。

やっぱり、どんな人であれ前に進んで行かなくてはならないのだと思います。
だからこそ、亀の歩みでも、云い訳しない人生をと思います(あくまで希望)。

出会うと云う事

2011年12月25日 | Weblog
ガッツリとホワイトクリスマスになりまして、寒い中、本日はガラスの拭き掃除をしました。
掃除は寒い時にやると手抜きになりますが、このまま年内が過ぎれば暖かさは期待薄ですね。
まだ残りは沢山ありますが、徐々に片付けて行かなくては……。
今年は何に手をつけるのも遅いと云うか、その気にならずに困ります。


そこにちゃんと理由があるのだと思いますが、これだけ沢山の人がいる中で、親しくなる人がほんの一握りと云うのは本当に不思議だなと思います。
まして結婚や家族と云う深い関わりを持つ人を、決めてきたとは云え、どう選んで出会うのか……。
全く付合いがないのに、見た目だけでこの人は苦手とか、顔つき体型だけでも苦手と云う人もいます。
こう云う他人に説明出来ない感覚的な事はバカに出来なくて、むしろ最も信用出来るものではと思います。
それにしても、自覚や実感がなくても感覚的には分かるって、やっぱり不思議ですね。

去年のクリスマス、私はオーラ掃除のワークと云うものに参加していました。
何時もなら車で移動する場所ですが、その時は珍しく電車で行きました。
それだけでも何だか目新しい事をしている気分になりましたが、ワークもホントに楽しかった。
初めて会う人ばかりでしたが、直ぐに馴染めて腐っていた気分が一新されました。
ワークを主催した人に密かに憧れていて、ずっとブログを見ていました。
何時かこの人のセッションをと思っていた夢が、ちょっと違う形で叶ったのですが、お目にかかってますます、この先定期的に会えるようになる!と心新たに思う魅力的な人でした。
が、私の状況はなかなか良くならない。
そこに加え震災があり、何時もとは違う状況になってしまいましたが、その時もその人は大いに活躍していました。
でもブログ更新が止まりその後暫くしたら、その人はいなくなってしまいました。

私が一方的に憧れていてたった1度会えただけ、本当に通りすがりでしかなかったと思います。
でもこの人がいなくなってしまった時の喪失感は、自分でも想像出来ないほど大きなものでした。
きっと会えただけ、何かのご縁があった人と云えるかもしれませんが、もっと長くこのご縁が続いたらと今も思います。

今年は色んな事があって、人との縁と云う事を自分なりに考える事が多かったように思いますが、「袖すり合うも…」と云う言葉があるように、直接関わらずにただ単に知っていると云うだけでも、そこには何かの縁と云うものが存在しているのだと思います。

手帳に「命日」と書かれた日が増えて行きます。
出会えば別れがありますが、自分の中で消化出来ないままの別れは、何時までも痛みが消えません。

こだわってるのは

2011年12月24日 | Weblog
メリー・クリスマスでございます。
勘弁して欲しいほどの雪、悪天候ですね、ホント。
去年のクリスマス、家族不在の中、1人で黙々と雪かきした事を鮮明に思い出します。
それを思うと1年の早さにも唖然としますが、今年は時間の経過がスッチャカメッチャカですね。
で、今日のエントリーも、クリスマスには何の関係もないつまらん話です。

前に書いた事があるかもしれませんが、変わったセラピストとの体験です。
彼女は関東圏の出身で、ご主人も東京の方。
転勤でこの地へ来られたのですが、私と関わっていた頃は、田舎を非常に見下したものの云い方をしていました。
何かにつけ「この辺の人は」と云うのが口癖。
この辺の人は何でも高いと云うし教養はないし東京にこだわるし云々、この辺の人である私に延々とこの辺の人の悪口を云いまくりです。
私は何だと思われていたんでしょうか、ったく……。
しかし類は友を呼び、引き寄せの法則がありますし、どう云う場所にもいい人がいて嫌な人がいる。
この人がどう云う人を教養のある人と思っているかは分かりませんが、そう云う人と出会えないのはあなたに問題があるからじゃね?と思うオレ……。
実は同等レベルの人とばかり出会ってるんじゃないすかねとは、思っても云いませんでした。

ある時、この辺の人は本当に酷いと云われました。
何事かと思ったら、自分は某県の出身ではあるけれどダンナは東京の人だし、高校から仕事も全て東京に通ったから東京出身と云っていたら、出身は東京じゃないのに嘘をついたと散々云われたと云う訳です。
で、そんな云い方ない、この辺の人は酷いと云うのだけど、れっきとした嘘つきだからそう云われただけじゃん。
この辺の人は矢鱈東京に固執すると云うのですが、田舎の人が東京に特別な感情を持つのは至極普通で、全くおかしな事とは思いません。
実は違う癖に東京出身と云ってしまうあなたの方が余程東京にこだわってるでしょ、と思っても云いませんでした。

息子は自慢の種で(ダンナも親も親戚も全部でしたけど)、クラシックが大好き。
でもこの辺の田舎では滅多に演奏会はないから、どれだけ連れて行きたくても行けないのだそうです。
都心にいたら毎日だって連れて行くと云う事なんでしょうか。
でもこの辺も年に数回は海外の有名オーケストラの演奏会があちこちでありますし、その回数を考えれば全ステ可能だと思います。
東京みたいに選択肢が沢山ないのですから。
ある時、地元にヨーロッパの有名オーケストラが来た際、息子にどうしても行きたいとせがまれたので、自分の美容院を1回我慢して連れて行ったそうです。
それっておかしくね?
この辺にいて演奏会がないから連れて行けないだけのはずなのに、なのになぜ美容院を我慢する必要があったのでしょう。
これって何処にいるかが問題ではなく、お財布の中身の問題なのではなかろうか、と思っても云いませんでしたけど。

結局この人は、自分に嫌な事や都合が悪い事は全部田舎にいるから、田舎の人の性格のせいと云う事らしいですが、そのどれもこの人自身の問題ばかりです。
こんな人、何処へ行ったって同じですよ。
この人が云うこの辺の人より遥かに性質が悪いよ、この人は。
私の周囲には、本家本元の東京出身(それも超都心部)と云う人がごろごろとおりますが、みんなここを好きで移転して来た人ばかりからか、この人のような思考をする人がいません。
でもこのセラピストと同じ出身地のやつはメッチャ嫌なやつなんですが、これぞ、ザ・共通点と思ったりして(爆)。
そんなに「この辺」や「この辺の人」が嫌いなら、戻って行けばいいのにと思います。
ダンナの転勤でここへ来たのだから戻る事だって可能だと思います。
まさか左遷で田舎にすっ飛ばされて戻れない訳じゃないでしょう、あんだけダンナ自慢してたんですから。

セラピストだって普通の人間だし、いい人ばかりではないとは思いますが、それにしたって…と云いたくなる人でした、この人は。

珍しく

2011年12月23日 | お仕事プラス
基本、仕事はカレンダー通りに進めていますが、年末の大掃除やら買い出しがあるので、仕事はとっとと進めてしまおうと、今日は作業しました。
まあ何も予定がないので働いても問題はないのですが、何となく休みの日に働くって忙しぶってる気がします(笑)。
進行状況は、ありがたい事にリハビリも順調だったのでサクサクです。
土器が須恵器のお陰ですね、これも。


毎年年賀状はギリギリまで手をつけず、本当に切羽詰まるまでやりません。
とにかく嫌で仕方がない(汗)。
でもお世話になった方にはご挨拶しない訳にもいかず、重いお尻に鞭打ってやっています。
が、今年は受付が始まって直ぐポストイン、もう手元にありません。
スバラスィ~!
毎年1時間もあれば終わってしまう程度ですが、今年はプリンターが新しくなったので、何年かぶりで直接はがきに印刷出来、あて名シールの切り貼りの手間がなかったんですよね。
普通の文書は問題ないのに、はがきの住所印刷だけがズレズレだったので、ず~~っとあて名シールを印刷し、せこせこ切り貼りしていたのです。
なんて云い訳しても、どう云う状況であろうと印刷そのものをとっととしなかったんですが(汗)。

超手抜きなので中身は印刷してあるハガキだし、住所さえ印刷すれば、後はほんの一言添え書きをするだけ。
でもこれがなかなかね。
今年も住所印刷は早々に済んだものの、添え書き出来ないままずっとテーブルの上に放置状態。
何となく、どうしようかなあ~と手に取った勢いで書き始めたら、あっと云う間に終わってしまいました。
枚数少な過ぎ(笑)。

返事を書かないとか不義理な事ばかりして、自分で年賀状の枚数減らしをしているのですが、毎年今年こそ年始のご挨拶は遠慮させて頂きますと云う!と思い続けて、云えないまま早何年です。
とりあえず今回は終わったので、また申送りにします。

クリスマス寒波、勘弁して欲しいですね。
ホワイトクリスマスを喜ぶのはお子様ぐらい、大人は雪かきでヒーコラですよ。
あ~、ホントにやなこったよ、この天気。

リハビリ中

2011年12月22日 | お仕事プラス
数か月振りに仕事再開です。
初っ端が内黒で磨き調整のある土器。
黒光りし過ぎてて調整の方向が分からん。
向きを変え近付け離してと何とか見極めましたが、やっぱ久々の仕事は最初の数個はリハビリ用です。
しかし初日にしては、まあよく頑張った方かなと……。
ザ・自画自賛(涙)。
明日は半日だけでも稼働するか、悩みどころでござる。


ドラゴンさんの事があれこれ出て来ていましたが、ブータン国王ご夫妻の訪日で、ますますクローズアップされて来たように思います。
そんな中、私が信頼している方のブログにユニコーンの事が出ていました。
おお!と云う感じです。
実は数年前にエネルギーワークを受けた際、一緒にチャネリング?をして貰った事がありまして。
その時、あなたの隣に大きくて白い存在が寄り添っていると云われたのですが、私自身もその感覚を物凄くリアルに感じました。
馬のような存在で、ユニコーンかなと思ったのですが、とても暖かくて優しい感じがして涙が出そうになりました。
ドラゴンさんに続いてユニコーン、何だか自分の中で忘れていた事を思い出すし、タイムリーな話題が出て来ます。

しかしまあ、クリスマス寒波ですか?
寒いわ雪は降るわ、エライコッチャで。
去年のクリスマスもエライ雪が降ったのですよね。
突然の親戚の不幸で家族が泊りがけで不在につき、私が1人でヒーコラ雪かきをしたのですが、やってもやってもエンドレスで泣きそうでした。
雪を捨てている場所の蓋も、余りに雪が凄くて見つける事が出来ず、本当に脇に寄せる事しか出来ませんでしたが、今年に似たような状況になりそうで。
夏は暑過ぎ、冬は寒過ぎ、何とかしてくれぃ。