日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

想像出来る事

2013年07月31日 | お仕事プラス
本日、引受けて来たトレースを開始しました。
トレペの貼付はサクサク済みましたが、上手く行かない事に時間を取られ、実際の作業にはなかなか入れず。
今日も半日程度の稼働しか出来ないのでどこまで出来るかと思いましたが、この仕事だけは早いワタクシ、大きなところは終わってしまいました。
後は細かい文様を入れ、それが終わったら修正で終了。
次に作業できるのが何時かってのが、ちょっと微妙なとこなんですが、でも始めれば早い、なので何とかなるでしょう。
お盆の頃には目途がついとるだろう。


閑話休題。
リアルにイメージできる事は現実になると云います。
逆に云えば、リアルな想像が出来ない事は実現しないとも云える。
イメージの力を使って現実をよくしていこうと云う方法があって、私も試している事があるのですが、どうにも途中から映像がぼやけてしまいます。
最初からそこまでは実にリアルなんですが。
ここがブロックなのかと思うのですが、どうにもダメですね。
私が生きる上での最大のネックを克服する為のワークなんですが。
あああああ……、ここを何とかしたい。
もう少しだけでいいからリアルな映像でイメージしたい。
毎日頑張っていますが(頑張るのがいけないとか云われそうですが・汗)、リアルを求め頑張りますよ……。
脱したいんだよ……、もうこんな人生嫌なんだよ……(泣)。

自信の源

2013年07月30日 | Weblog
自分に自信がない。
何をどうしたところで、その事によって自信を得られると云う事もなし。
何が出来るとかそんな事で、自分に自信を持つなんてとても無理です。
それはそれ、これはこれ……。
バックボーンとか、秀でているものを持っているとか、そう云う事で自信満々な人もいますが、それが自分自身の個としての自信には結び付きません。

もう相当な昔の話しですが、相変わらず当時から何をしていいのか全く分からない状態で、高名な霊能者の先生にアドバイスを頂いた事がありました。
云われた事は自分にとっては突拍子もない事で、絶対無理だと思いましたが、何もないなら云われた事をやるしかないと思い、1年半ほど頑張りました。
ある資格を取ると云う事でしたが、私は自分に自信がないから資格を取って自信をつけなさいと云う事だったんですね。
かなり難しい資格でしたので、不合格覚悟でしたが合格しちゃいまして。
で、一瞬は自信を持つ事が出来ました。
何より異常に頑張れた事とその頑張りには、自分でも驚きましたし。
ですが、その後はその自信をことごとく打ち砕かれるような事ばかり続き、また元の木阿弥、と云うより、もっと自信を失くした自分になってしまった気がします。
変に鼻を高くしてるんじゃないと云う戒めでもあったのかもしれませんが……。

自分自慢ばかりしている人を見ると、これは自信あっての事か、逆に自信のなさの裏返しのひけらかしか、どっちなのかと思います。
が、自慢できる事があると云うのは羨ましい事ではあります。
少なくともその事については自信があるから云えるのでしょうし。
私には何もない。
出来る事もないし、したい事もない。
自信も何も、持ち合せてはおりません。
こう云う人間が、こっそり傷つかずに生きて行かれる場所ってないものでしょうかねえ。

喜怒哀楽

2013年07月29日 | Weblog
何の症状だったか忘れてしまいましたが、例えば鬱だとこう云う症状が出ます的な一覧を見ていたら「喜怒哀楽がなくなる」と云うのがありました。
一瞬ドキッとしたオレ……。
最近外へ出る機会が増えていますが、そこで矢鱈大笑いするオバサマ方に遭遇したりするのです。
が、正直何がそんなに可笑しい訳?と思うような事に大笑いしているのが、鬱陶しくもあり不思議でもあり。
単純に自分にとって全く笑えないネタであると云うならいいのですが、恐らく何年か前の私なら間違いなく一緒に笑っていた、しかもツボに確実にハマっただろうなと云うネタにまで笑えない。
喜怒哀楽の喜と楽のところがスコーンと抜け落ちてしまった感じです。

昔は感情の起伏が激しいと云うか、直ぐ感動するし笑うし怒るしと、こいつは情緒不安定だと云われるほどでしたが、それは怒と哀より喜と楽に多く該当していました。
ところが今は逆も逆、怒と哀ばかりです。

自分でも、楽しいと感じたり可笑しいと思う事が極端に減った事は実感しています。
とにかく笑うと云う事が本当になくなったので。
笑うほど楽しいとか可笑しいと思う事がない。
と云うより、自分の感情が触れないんです、どうにも。
こんな事の一体何がそんなに面白いんだろ、可笑しいんだろうとしか感じられない。
前の自分なら間違いなく大笑いしただろうなと、心の奥で分かっているけど笑えない。
麻痺してるんだと思います、そっちのアンテナと云うか感覚が。

前のようには無理でも、少しは元に戻る事ってあるのだろうかと思います。
今は正直辛くて苦しくて、笑とかそう云うものに心が触れない状況が如何に苦しいかはよく分かります。
だから笑って楽しい気持ちになってと云うところへ戻りたい。
そしたら歯車がカチッと合いそうな気もするのですが……。

無理してでも笑顔になれればいいと云うのは分かるのです。
が、無理しないとそう出来ない自分がまだ哀しいし、何より楽しくも可笑しくもないのに笑顔を作る事が出来ない、ひきつります。
心が固く閉じている時、周囲がわ~~っと笑い声を上げている。
その時の、全然心が触れずにそこにいるのにいないような虚無感、泣きたくなるような感じ、分かってくれる人っているのかな。
面白い事なのに笑えない自分、可笑しいと感じない自分、くだらない事としか思えない自分。
そして、それを更に俯瞰して見ている自分……。
元に戻りたい、戻したいです、素直な喜怒哀楽を感じる自分の心に。

相変わらず

2013年07月24日 | 仕事
作業上の疑問点などがある場合、仕事の依頼をくれる業務委託の担当者を通すので、遺跡の担当者とは直接のやり取りはしません。
委託担当者の方から直接話すよう云われた時以外は、必ず遺跡の担当者との間に委託担当者と云うワンクッションがあります。
そう云うやり方をしないと、云った云わないとかしょーもないトラブルが起きるので、面倒でもあえて第三者を通して監視して貰うと云うようにしています。
余程の事がない限りはそんなつまらないトラブルは起きませんが(起きなくなったと云った方が正解かも)、この辺は結構ちゃんとしておかないと、委託が被害を被ります。
って、話しが訳の分からん方へ行きそうになっていますが……。

今回トレースを引受けるに当たり、委託担当者に幾つか疑問点の確認をお願いしました。
大まかなところは同じでも、細かいところが遺跡の担当者によって違ったりするので、その辺りを確認して貰ったのですが、毎回簡潔に回答がされて来ます。
と云うか、そうするか・しないかと云う程度の事でしかないと云いますか、大した問題ではない事ばかりだったりするのですが、今回も、実測図では破線になっているところはそのままでいいか(前は実線にしたので)とか、実測図とトレースで変わってくるのではと思われる点の確認でした。

そうしたらですね、どう見ても委託担当者ではない人(遺跡担当者)が書いたであろう文章も一緒に送られて来まして。
委託担当者は親切で添付したと思うのですが、それを書いた遺跡担当者が誰か、記名がなくても図を見たら分かっちゃったものとしては(大体何でこの人だけ無記名なんだかねえ)、出ました、と思ったのです。
要は、実測図の通りにやれっつ~事で、何でそんな事聞いて来ますかね的匂いがぷんぷんとして来る訳です。
なぜ実測図ではこのようになっているのか分からないんですか?って云うね、そこから解説されてるんですが、それは実測する人ならわざわざ云われなくても分かってますと云う事なんですね。
しかし、例え実測図がどうであろうとトレースで表現を変えると云う事は普通にありまして、しかも今回のやり方であれば、図のままでは辻褄と云うかバランスがおかしいのではと思うものについて、このまま書いていいかと聞いたのですが、なぜこの図がこうなっているかの説明からなんですわ。
んなもん、聞かなくたって分かるわい!
通常のトレースならな~んも云いませんよ。
でも今回違うでしょ?だからこのままでいいか聞いたんだろーが。
別に私はこのまま書いたっていいんですけどね(直すのは手間だから聞くってのもあるんだけど)。

私がトレースすると知っていて、こう云う云い方をして来るから腹が立つんですよね。
相変わらずの悪魔ぶりです。
嫌いな人をやりこめると云うか一言多いと云うか、ただ単に白か黒かYESかNOかって答えでいいところに、あーだこーだと云わずにいられない、自己主張の激しさと云うか。
呆れます、余りに変わってなくて。
正しい事を云っていても、云い方が嫌味っぽいと云うか、一言余計で意地悪くしか聞こえない。
ホントに偉くなったもんですなあ。
人は変われるとは云いますが、自分は正しいのだから絶対変わらない、周囲が変われ!と云う悪魔さんは相変わらず、変化なしのようです。

やる事にした

2013年07月23日 | お仕事プラス
依頼された仕事、引受ける事にしました。
結局最後はこうなるんだけど、稼がなくてはならないし、出来る事で稼ぐしかないし。
時間の猶予はかなり貰ったので、この時間内なら大丈夫でしょう。
引受けた以上は無責任な事はしたくないし、出来るだけ早く片付けたいとは思いますが……。

何時も云っている事ですが、この為なら頑張れる、この為に頑張ると云うものが私にはありません。
一つ、嫌でも頑張らなくてはならない事がありますが、どうしてもそこへエネルギーを注げません。
やればそれなりに面白いけれど、やりたくて始めたと云うより降って湧いた話しに、何とかこれなら出来るかなと云うノリで始めたので、リサーチも何もあったもんじゃない。
好きな事と云えるかも微妙。
でもこれをやるしかないと云う状態。
要するに後がないって事です。
なので、嫌とかしんどいとか出来ないとか云っていられないんだけど、私は心から楽しいとかやりたいと思う事を見つけられないままで終わるのかと思ったら、人に迷惑かけようと好きな事してワクワク生きてるセラピストやヒーラーが心底羨ましく感じます。

選択する時ワクワクとか楽しい感じのする方を選べと云うけど、そのどれにも不安しか感じない時はどうしたらいいんだろう。
全部ダメって事だとしても、その中から選ぶしかないとしたら……。
こう云うの、分からない人には絶対分からない事だろうなと、今改めて思っています。

罪悪感のような

2013年07月22日 | お仕事プラス
疲労が蓄積していて抜けない、そんな今日この頃です。
新しい事を始めるにあたり、全く未知の分野と云う事もありますが、全く悪い事でもなんでもないのに妙な罪悪感があってどうしようもありません。
それに、どうしても自分の事として考えられないと云うか、余りに違い過ぎて気持ちがついて行かないと云うか、折り合いをつける事が出来ない部分が多過ぎて困っています。
どうにかしなくてはいけないのですが、慣れるしかないのだろうか。
なかなか慣れない、気持ちの切り替えが出来ない自分にも罪悪感を感じてしまう。
なんとかしなくちゃいけないのですが、ん~、少々しんどいです。

ドタバタってほどでも

2013年07月12日 | お仕事プラス
ドタバタしていると云う程でもありませんが、とっても気ぜわしくてしんどい毎日です。
また目まいも復活して来ていて、頭を動かすと世界が回り出す。
が、その時だけで今迄みたいにず~~っと続く訳ではないと云うところがなんだかね。
楽ではありますが変な感じです、何時も通りじゃないので。

ちょっと前、依頼先から仕事の話しが来ました。
これからは100%でこの仕事にはかかれないので、期限やその他で融通がきくのであれば等々返信しましたが、それに対する返信はなし。
断るに近い返信が来るとは想定していなかったか、単にメールを見ていないか。
どっちにしても近々ご縁は切れてしまうと思うので、それが早いか遅いかでしかありませんが。
ワタクシは徹底的に舐められておりますんで、何でもありと思われている。
仕事を断る事自体、あり得ないと云うくくりでしょうな。

家族にも自分にも、起きた事がない変化が起きていて、そのどれにも慣れません。
慣れないままそれが普通になって行くのだろうか。
落着く日が来るのか、想像する事が出来ません、今は……。

ちなみに地球の地軸がどうこうと云う話しを聞きましたが、それで目が回っている人がいるそうな。
でもそれはオレ様の事じゃあなさそうです(爆)。

やっぱり違う

2013年07月09日 | Weblog
手持ちがなくても必要な事にはお金はついて来るとスピではよく云います。
当然、何も犠牲を払う事なくと云う事で、仮に借金するような事になっても直ぐ返済出来るとか埋め合わせが出来るらしい。
私は全くそう云う事がないので、きっと必要な事と云うジャッジがなされてないんだなと思うのですが(何時もの事ですし、ジャッジするなと云うスピにおいて一体誰がジャッジしてんのかと不思議なんですが)、私がどん底に突き落とされたセラピストが話していた事が、どうしても引っかかってなりません。
前にもエントリーした事があるかもしれませんが……。

セラピストとしてやっていく為のスキルを学ぶのに必要なお金について、2つやりたい事があって、その2つには必要なお金が出て来たと云うのです。
が、1つは息子が大怪我をした事で得た保険金で、もう1つはセラピスト自身が癌を患って九死に一生を得た時の、これまた保険金だそうで。
聞いた時から違和感があったのですが、その時は、そんなもんなのかと納得しました。
でも、やっぱりおかしくないですか、こう云うの。
どっちも保険金ですよ。
息子の怪我も自分の病気も必要な事だったのだとは思います。
でもそれで得たお金がスピで云う必要なお金は得られるものと云う風には、ちょっと考えられないと云うか。
お陰で支払えてスキルも学べてと、ご本人たちはご満悦な様子でしたが、どうもねえ。

この事を先日知人たちに話す機会があったのですが、即行「それ変でしょ!」
ですよね~~となった訳ですが、やっぱ普通に考えて変なんですよね。
何でもスピにすり替えて考えれば、はぁ?と云う事もその為に起きたと云う解釈が成り立ちます。
確かに人生無駄な事はないとは云いますが、それでもこの事に関してはちょっと違いませんかと云う感覚が否めない。
それでも気持ちの持ち方で先が全く変わって来ると云われたら何も云い返せません。
が、直感を信じろと云うなら、これまた変としか思わない訳で、自分の感覚を大事にと云われても同じ。
必死によい風に考えなくてはやって行けないのかもしれないけれど、何もかも都合よく持って行く、このやり様にはビックリです。
このぐらいでなくちゃ、出来ないんでしょうかねえ、セラピストとかヒーラーって。

違うと思うのよ

2013年07月07日 | Weblog
陰気なセラピストやヒーラーは端からご勘弁願いたいですが、よく云う事ですが、変に明るいとか自慢ばっかりと云うのも同じぐらいに遠慮したいです。
幸せのおすそ分けだのシェアだの云っては自分の自慢ばかりするセラピストやヒーラーって、ホントに勘違いも甚だしいと思います。
明るい話題ならいいってもんじゃありません。
自慢は最も聞きたくない話しですが、それを分かってないんだもんな。
自分の幸せでみんなも幸せになれると云う発想、一体何処から来るのでしょう。
自分は何様だと思ってんでしょうか。
自分の幸せが他人までをも幸せにする、これってその人を余程慕っているとか心酔してる人でもなけりゃ該当もしないと思うんだけど、知った全ての人がそうと思ってんだもんな。
物凄い傲慢な考えだと思うんですが。
信者から「素敵ですね~」だの「凄いですね~」だの云われると、すぐ調子こいちゃうし。
でも度が過ぎると、どんな親しい人でも、場合によっては嫉妬や妬みにも直結です。
考えようによっては、頭の中も幸せと云えるかもしれないけれど、大体他人の自慢たっぷりの幸せ話しを聞かされて、同じように幸せになったり感動したりする人なんているんかいな。
自分を好きと云う人にだけに語っているならまだしも、誰もが見られる媒体使って、単なる自分自慢だもん。
エライ進化を遂げて、覚醒だか悟りを開くだか、そんな凄い事になっちゃったようですが、そう云う人はもう俗世間に浸らんだろうと思うんだが。
どうも云ってる事とやってる事がバラバラのアンバランス。
こう云う人がセラピストでヒーラーで、いいんかいな。

変わってゆく

2013年07月06日 | Weblog
変わる事を恐れてはいないと思っていましたが、実はとても恐ろしいと感じている、と気が付きました。
一つではなく色んな事に対してですが、変化と云うワードを当てはめる事すらない、自分にとって余りに当たり前と思っている事も実は日々刻々と変化していると、今更ながら気付いた。
この変化は避けては通れないものですが、受入れるのは苦しい。
分かっていても受入れられない、と云うか、頭の中と心とのバランスが崩れてしまうような事なのだと思います。

転職とか、自分自身の変化についても、自分で考えている以上に恐怖心を持っているらしい。
他人事のようですが、じわじわと湧いて来る感覚が、そんな事ないと思っていた自分を打ちのめしている感じです。
身が縮む、そんな感じです。

何にでも真正面から立ち向かう事が正しいとは思いません。
解決策を見つけないから同じ事を繰返して苦しむ、だから真正面から立ち向かってと云うのも分からないではありません。
でもそれで解決する事ばかりではないし、逆に悪化してしまう事も多かったりする。
何が正しいかなんて人によって違うのですから、すたこら逃げていいならそうしたっていいと思います。
どれだけ立ち向かったところでどうにもならない事はあるのだし。

ただ変化する時は逃げられないなと思います。
自分の意思云々とはかけ離れたところで起きている事と云う気がするから。
変化とは、自分でコントロール出来る事ではないように思うんですよね。
有無を云わさないマストな出来事。
だから、心が折れそうな、避ける事の出来ない哀しくて辛い変化をどう乗り越えて行くか、これは試練だと思います。
そう云うものが確実に待ち受けていると分かっていて、心の準備なんて云ったところで、多分そんなものは現実には勝てません。
ただ巻き込まれてしまうような気がしますが、その方が楽で自然な事なのかもしない。
乗り越え方がどうであれ、とにかく乗り越えて行くしかない事、そう云う変化が差し迫っています、幾つも。