日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

メッキ

2013年11月24日 | Weblog
スピは救いのようでいて、実は混乱の元だったりします。
何かこれと云うものがないと辛い。
宗教にハマる人は信仰と云う名の元に、何かにすがりたいのだと思いますが、これを信じれば救われると思いたい気持ちは理解出来ます。

私は小さい頃から周囲に馴染めないし、常に心の中に、何か妙か感じが何時もありました。
大きくなるにつれ、起きるトラブルが、話しても信じて貰ないような突拍子もない事が増え、現実に原因を見出せなかった私は、問題は見えない世界にあるのではとスピに目を向けるようになって行きましたが、それが救いも求めたと云う事になったと思います。
当初は全てが新鮮でしたが元来が疑り深いので、端からケッと思うものはあったし、そう云うものは当然スルーでしたが、これこそ苦しい状況から救ってくれる事だと思える事は、本当に何でやりました。
でも深く知れば知るほど経験すればするほど、あれほど信じていた事に色々疑問や矛盾が湧いて来る。
能力と人格、人間性が全く比例しない事も肌で感じ、また関わって来るお金の事やら何やら、どんどん疑心暗鬼になって行きました。

とは云え、散々はぁぁぁ?な思いをした今でさえ、まだ信じているところはある。
情けないような気もしますし、やっぱりそこが行きつくところだからと云う気もする。
多分行きつくところは同じなのだと思いますが、そこへ行くまでの道のりをどう行くか、そこがそれぞれと云う事でもあり、また騙され易く傷つけられ易いところでもあるのかも。

とにかく云い訳が無限にあり、常に自分達に都合がよく、謝ったら終わりとでも云わんばかりに非があっても謝る事をしない、そう云う連中は淘汰されて欲しい。
今、色んな隠し事が表に出て来ていますが、スピにおいても、本物だけしか残らないと云う風に動いているならいいなと思います。
騙される方が悪いと云う人もいますが、そんなの騙す方の詭弁です。
人を無意識であっても傷つけたりインチキしていい思いをした人は、相応の事が起きて然るべき、文句云えた義理じゃないと思います。
メッキがどんどん剥がれてボロが出て、ちゃんと相殺されるならいいのですが、色んな膿が出始めたとは云っても、基本理不尽なところはなかなか変わりませんからねえ。