日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

何時もの事

2013年11月18日 | Weblog
何時も普通に出来ている事が実はとてもありがたい事だと実感する出来事がありました。
いや、単発ではなく連続で起きている気もします。
こう云う事は気付かせる為に起きると云いますが、私は余程感謝が足りない人間と云う事なんですね。
これはしょっちゅう思う事ですが、どれだけ気付けと繰返されているのかと思うと哀しくなります。

普通にありがたいと思う事、それでは足りない、そう云う事なんでしょう。
毎晩生かされている事に感謝して、ありがとうと云い続けていると涙が止まらなくなって咽び泣くと云うセラピストやヒーラーを数人知っています。
無理……。
これだけは絶対無理です。
どれだけ頑張っても生かされている事に対して泣くほど感謝は出来ない。
日々生きている中での感謝と云うならともかく、生きると云う事に対する思い入れ?が根本から違うので、どうしようもありません。

だから、私は感謝が足りないと云う事になるなら、もうどーにでもしてくれと。
生殺しみたいな状態で生かされてる罰のような人生だし。
とか云うと、ごうごうと批判をされそうですが、色んな思いや事情を抱えて生きていると云う事は誰にも否定出来ないし、受入れない訳には行かない事です。
本当のところを分かっている人なら、逆に何も云えない気もします。

感謝が足りない、泣くほど感謝しないとダメとは云うが、それって誰がジャッジしてんだろう。
勿論感謝出来る事が沢山あるのはいい事だし、そう云う気持ちでいられる状態が多分よいのだろうとは思いますが、感謝のレベルまで計られたら……。
神様が応援したいと思う生き方をしなさいと云うのも聞いた事がありますが、感謝なんてその最たるものでしょうね。
ありがたさに気付くだけではいけない、そこで思いを改めるだけではダメだと云うなら、私なんぞはどーしよーもない人生を生きて行くしかないんだろうなと思います。
今更何を云われても、もう失望もなにもしませんけどね。