日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

着火

2010年12月31日 | Weblog
長い事、毎年の年末の行事として必ず出かけていたコンサートがありました。
中学生の頃から大好きなミュージシャンのコンサートですが、ここ数年、日帰りが難しい場所だけになり、更に回数も減ってしまったので全く行く事が出来ずにいます。
このコンサートは1年の垢を落とす、私にとっての最大の浄化作業のような大事なものでした。
このコンサートへ行けなくなってからも、他に見たいコンサートへは行けていたので、このコンサートへ行けない事が自分にどれだけ影響しているか、殆ど考えた事がありませんでした。
が、たまたま某ようつべでふと見たら、忘れていた部分に着火されてしまいました。
あー、これだ、これだよ、私が欲しいと思っているもの。
ほんの少しでも触れていないと、段々壊れて行くのに気付かない。
私に欠けているものを知らない内に補ってくれている、魂の栄養剤……。
離れて初めて気付く事があるとは云いますが、たかが音楽されど音楽、どれだけこの人の奏でる音に救われていたのだろうと、改めて思いました。
沢山ありがとうと云いたい気分です。
一方的に、ただ聞いていただけの事でも、救われていたと云う事がよくよく分かりました。

さて、今年も本日を残すのみとなりました。
色々思う事は多々ありますが、今更どうする事も出来ず、またどうにかしようと云う気にもなれず、不毛な1年と云うに尽きるかなと思います。
辛い事がないなんて事はあり得ない話だと思いますが、何もかもを総括して、いい1年だったと云える年末が来る事はあるのかなんて事を、ふと考えたりします。
細々した事に救われつつ、何とか生き延びてここまで来ましたが、来年は如何になりますやら。
ブログをご覧の皆様のご多幸をお祈りしつつ……。
どうぞよいお年をお迎えくださいm(__)m。

今年最後

2010年12月28日 | Weblog
先日、今年最後の乳検査に行きました。
今回は若干良い兆しを自分なりに感じましたが、エコーで実は逆だったらしい事が発覚。
トホホと思いながらも、私の人生なんてこんな事ばっかだしと、余りショックでもありませんでした。
結果が出るまでは1週間かかりますが、どの道年末だし、面倒な事になっても年明けになるのかなと思ったり、結構色々考える時間だったりします。
でも今迄は少しは不安に似た感情があったのですが、遂に今回はそれすらなくなってしまいました(汗)。
なるようにしかならないとかそんなもんじゃなく、本気でどーでもいいと云うやつです。
結果を聞く日の予約日時は覚えてないわ、その日にうっかり他の予定を入れてしまいそうになるわ、とことんどーでもいいと云うか忘れていると云うか。
常々余裕を持って動く方ですが、今回は珍しく病院の予約に遅刻しそうなギリギリに到着しました。
何か嫌だなと思いつつ、毎回の事ですが、覚悟を決めて診察室に入りましたが、先生がとうとうと読み上げる検査結果、最後は問題なしと云う事で今回も延命されました。
やはり、大丈夫と云う結果を聞くと、身体中から中からが抜けて行く感じがします。
なるようにしかならないと思っていますが、何度経験しても、結果を聞いた後はこんな具合でとことん情けないなと思います。
まずは今年最後の嫌な仕事が終わったなと云う感じ、また次の検査まで、何事もなければだらだらと生き延びる事でしょう。
あ~あ、こんなんでいい訳ないんですよね。
徹底的に情けないです、自分……。

当たり

2010年12月26日 | Weblog
私はくじ運がいい。
今年は初売りから2万円するものを当てたし、他にも結構な当選率。
宝くじも、1万円台がかなり当たりました。
その割に実生活はトホホですが。
スピ系の大手サイトのプレゼントも結構当選するのですが、去年は2冊本が当選して、その内1冊はレバナ先生の直筆サイン入りの著書、今年は春に2万円相当のリーディングに当選しましたした。
で、今年最後の当たりが出まして、オラクルカードでした。
が、このカードは難しい……。
ドリーン博士のオラクルカードは正位置・逆位置と云うものがありませんが、今回当選したものにはある。
タロットみたいな感じですね。
カードによっては、正・逆位置がない1種類の意味だけのものもありますが、殆ど2種類の意味があります。
逆位置だからと云って悪い解釈ばかりではないようですが、ドリーン博士のカードよりは難しいかなあと云う印象です。
大体カードと云うのは抽象的な意味合いを、どう自分で解釈するかと云うのがポイントですからね……。
でも今年最後の大当たりですので、大事にしたいと思います。

もうひとつの当たりですが、これは楽しくない当たりです。
親戚やご近所など、秋口からまあ亡くなる人続出。
こんなに亡くなる人が多かった事は、未だかつてないのでは思うほどの大多数です。
亡くなるにはまだまだ早い方も沢山亡くなり、お隣の葬儀の朝に、まさかの叔父の訃報が舞い込ん来まして、こんな事あるんだとただ呆然。
大雪の中、両親は叔父の住む関東圏へ出かけて行きましたが、これが本当に最後の不幸になるのか、なって貰わなくてはちょっと辛過ぎるなと思います。

どんどん人生が悪化して早3年、来年は上向きだすのか、はたまた底はまだで落ち続けるのか、もう想像する力も湧きません。

移り変わり

2010年12月25日 | Weblog
1つの出来事で、どんな風に感情が変化して行くか、ふと考えました。
物凄いダメージを受けた時、最初はショックや哀しみですが、それが段々怒りに変わり、最後はそれがまた繰り返されるのではと云う恐怖になる。
私の場合、三段階の変化と云う事になるでしょうか。
多分1番長く続くのはショックや哀しみですが、怒りと恐怖は行ったり来たりと云うのが正しいかもしれません。
と云うか、怒りの根底に恐怖があると云う感じかな。

なんて事を考えていたら、オーラの浄化をすると云う、オーラ・ソーマのセミナーに参加する機会を得ました。
非常に有意義で楽しかったですね。
主宰されている方がエステシャンもされている方なので、サロンもとても綺麗で女性性がパワーアップされるような感じ。
日程の関係で参加者が少なめだった事もあり、初顔合わせでしたが和気あいあい、すんなり輪に入れて頂けて嬉しかったです。
変な緊張感もなく、云いたい事も云えて、これもスッキリ。

とても面白かったのは、参加者の1人が選んだボトルと着ていた服の配色が一緒だった事。
啓子先生の新刊にも書かれていた事ですが、自分のテーマに関係ある色を選んだり服を選ぶと云うのを、目の当たりにしました。
それから、私以外の人が話した内容が、全部私自身に被る事ばかりと云うのも驚きでした。
オーラの掃除をする時のイメージやその後の話で、行く前に読んでいた本の内容やイメージで見た事が次々出て、これにもちょっとビックリ。
私がオーラの掃除をした方に感じたイメージは、ご本人にしっかり自覚ある事でしたし、私にして下さった方が感じたもの私に自覚のある事で、双方しっかり出来たかなと云うところでしょうか。
オーラの掃除終了後、みんなでその時の事を話していたら、手に金粉が出ました。
これ、大昔に1度ありましたが、えらい久し振りな上に、今回は色んな色のキラキラで、これにもちょっと驚きました。

前日カードを引き、出たのが「美を見つめる目」と云うカードだったのですが、これは協力者を表すもので、まさに今回のセミナーの主催者そのものだなと思いました。
カードの意味も、主催者の方が話した事と被っていて、改めてビックリです。
主催者の方は美人さんで、写真を見る限りはふんわりしたイメージの方ですが、きっと1本芯の通った方だろうと感じていました。
やっぱりその通り、1人でサロンを切り盛りして今も色んな事を学んでいる、見た目は可愛い女性ですが、その辺の男性なんぞ叶わないだろうなと云う清々しい男らしさを感じました(笑)。
何より、人を見定めるようなところが一切ない。
常に誰にでもフラットな感覚で接してくれるのが分かるのが嬉しかったです。
セレブな方が多く通っているサロンなので、私はかなり腰が引けていたのですが……。

私は鍛えればスピ力が開くと云われましたが、鍛えようもないし、自分の事にはちっとも役に立たないし……。
でも今回のこのセミナーに参加した事は、今年最後の大収穫でした。
苦しいまま年を越すのは本当に嫌だったので。
少し救われた気がします。

バラ

2010年12月23日 | Weblog
12月に入って、1輪だけバラの花が咲きました。
上を向くと云うより下を向いてひっそりと云う感じですが、何だかいじらしいと云うか何と云うか。
比較的暖かい12月とは云え、ぐっと冷え込んだ朝など、下を向いて耐えているように見えて来る。
時々バラの他に椿も狂い咲きをするものがあるのですが、今年はバラでしたね。
何か見せてくれたんだろうか、そう思えて来る光景でした。

お引き寄せ

2010年12月22日 | Weblog
自分が引き寄せていると云われたらそれまでですが、仕事でもプライベートでも、どうも上から目線の人に遭遇する率が高く、なんだかな~と思う事が多いです。
普通と云うか低姿勢っぽくしていても、100%こちらが知らないと云う大前提で話をされる事が多く、なぜ頭から相手が知らないと思いこむのか、その辺がとても不思議。
ご当人は自分の知識が特別なものと思っていて、そうそう他人は知らないだろうと云う感覚なのかもしれませんが、案外そうでもない事って多いんですけど、私って、余程バカに見えるんですね、トホホのホ。

クライアントの方がセラピストより知識があるなんて事は結構ある訳ですが、私の知人はセラピストが知らない事をうっかり聞いてしまい、随分と嫌な思いをしたようです。
当然プロとしてやっているのですから、知っていると思って聞いたら、どうも怪しい。
で、知っている事に対しての嫌味みたいな事を散々云われたらしいですが、特にそのセラピストは、クライアントが自分よりものを知っている事に異常に反応する人でしたので、当然と云えば当然の反応ではあったと思います。
でも、こんな事でカリカリしたって仕方がないのにねと思わないでもない。
知らなきゃ、まだ知らないと云ってしまえばいいだけの事です。
そう云う素直な言動を軽蔑したり反感を持ったりする人はいないと思うのですけどね、無駄なプライドがあるばかりに、相手にまで不快な思いをさせているのに気付かない。

セラピーに行った時も、自分の知っている事を話していいのかどうかは雰囲気で分かるし、あえて云う必要もありませんから、聞かれない限りは黙っています。
知っている?と聞かれ、こちらがYESと云えば話が弾んだり、説明端折るねとサクサクやってくれる人ばかりじゃないんですよね。
クライアントがセラピストに気を使いつつって云うのも変な感じですが、セラピストやヒーラーの人間性がどうかなんて会ってみない事には分かりません。
ましてこう云う場合、嫌な思いをするのは断然クライアントの方なので、空気読みつつって事になると云う訳で。

こう云う場合だけではなく普通の状況でも遭遇する上から目線ですが、私の持っているものを見て、それは○○だから○○してとイキナリ云われた事がありました。
一瞬、は?と思いましたが、持っていると云う事は、当然自分が云った事を私が知っているとは思わなかったのかなと云う疑問が湧きました。
自分だけが知っている、な~んかそんな云いようで、○○だよねと、同意を求めるような云い方であればまた違ったと思います。
最初から丸っとあなたは知らないけど私は知ってるから的云い方はカチンと来ましたよね。
こう云う時に思うんだよなあ、何でそんなに上からなのって。

自分が思っている以上に、隠している気の本音と云うのは相手に伝わるものですが、上からのもの云いも同じ、そんなつもりじゃないと云うのでしょうけれど、そうなっている事に気付いている人は少ないと思います。
まあ人のふり見て我がふり直せと云う、教訓ですね、こう云う事って。
でもねえ、こう云う上からの人ばかり、引き寄せてるつもりは毛頭ないんだけどねえ。

怖い事の理由

2010年12月20日 | Weblog
分かっていた気もするので、蓋をしていたのかもしれませんが、私は怖いんです。
見えない存在に繋がりたい、そうしないとどうにもならないところまで追いつめられていて必死で願っているのに全く繋がれない。
この理由、恐らく恐怖が1番ですが、なぜ怖いかと云う事に徐々に向合えて来たと云うか、何と云ったらいいでしょうね、音に出せたと云うか……。
怖過ぎる事、強烈な怒りや恥ずかし過ぎる事と云った、自分に強いマイナスな感情を呼び起こす、度を越したものと云うのを、音に出して発音出来ないんです、私。
それを音に出して云えるようになると云う事は、多少なりとも克服傾向にあると思っていいのですが、最近やっと、見えないものに繋がれない恐怖の最大の理由が分かった気がします。
それは否定です。
私は自分がどれだけダメな人間か、よ~く分かっています。
だから今をもっと否定されたらどうしよう、ダメだと云う事ばかり云われたらどうしよう、何よりそれが怖い。
その上、自分が無理だと思っていたりやれそうもない事ばかり云われたらどうしよう、それが出来ない時、今以上に認めて貰えなかったら見放されたらどうしよう、どうしようどうしようどうしよう……。
私に、いい事や希望の持てる事を云ってくれる訳がないのです、なぜなら本当にダメな人間だから……。
こんな事を考えるだけで発狂しそうになります。

繋がる事で、最後に頼ったものから否定されて見放されるかもしれない、そう思う時の恐怖は、生きている必要なしと云われるのと一緒です。
経験したのは生きている人からの否定が殆どですが、他人から伝えられた、指導霊と云われるものからの全否定で受けたダメージと失望は、尋常ではありませんでした。
これが現状を作った発端ですが、また起きる、何度も起きるとなったら、とてもじゃありませんが耐える自信がありません。

私が恐れている事は、まだ自分の想像の産物でしかありません。
本当に愛のあるガイダンスを受取った事がないし、これが正しいと確信の持てる答えを得られた事もない。
自分の頭で判断した結果で生きて来るしかなかったので、信じたいと思っている見えない存在との繋がりと云うものがどう云うものか、それすら分かりません。
ある日突然、一方的に否定された事しかないので。
ですから、愛があると云われる事については、何もかも想像するしかないのですが、そこに否定と云うものがどうしても浮上して来る。
マイナスの想像しか出来ないのは、自分の経験でしか判断出来ない普通の人間だから、そして、自分が出来損ないと分かっているからです。
素晴らしい、愛が溢れているとどれだけ云われても、経験や実感出来ない事は想像すら出来ず、更に実感を伴うと云うのはどれだけ難しい事か……。

恐らく、人間なんかには想像のつかない事だらけなのでしょう、許すと云う事についても。
もしかしたら、この出来損ないですら許して貰えるのかもしれません。
でもやはり怖い。
否定されない保証なんてありません。
自分がよくなる事なんて想像も出来ないんです。
ずっと長い経験がそう云っています。

初めの感覚

2010年12月19日 | Weblog
1つの事で高い水準に行ける人は、他の分野にもクロスオーバー出来る。
とあるサイトで見つけたインタビューの一文ですが、何となく納得、分かるような気がしました。
と云っても、他でも本来の分野並みの高水準に行けるかは分かりませんが、そこそこ、或いはそれ以上の結果は出せるのかなと想像します。
そう云う人は、ほんの一握りだと思いますが、羨ましいですね。
何についても可能性が見えている感じがします。

仕事の速度について、早い人はいい仕事をすると云う話があります。
あれこれ迷ったり悩んで何度やり直しても、最終的に1番最初のものが1番よかったと云う結論になったりすると云う話は結構ありますが、気合いと緊張感、それに最初は全身全霊の度合いが1番高いのかもしれません。

何に関してもそうらしいですが、1番最初に感じた感覚、これが魂の声と云われています。
その後に思い浮かぶ否定的な感情のあれこれ、それを排除して1番最初の感覚だけで進んで行かれれば、多分何事も上手く行くのだと思います。
でもこの魂の声を否定するエゴと云うのは、本当に強力・強靭・強者です。
上手く行かない事、囚われている必要のない事のみを増幅させ、それだけに意識を集中させる。
ほんの少しの幸せな気持ちなんて、いとも簡単になきものにしてしまいます。
何とか努力して、あり得ないと思いながらもいい風に考えると云う事をしてみるのですが、どうしても心底思う事が出来ない事は、即エゴが勝利してしまいます。
自分がよくなれるはずがないと云う強い思い込み、この根拠が何処から来ているのか自分でも分かりませんが、これが全てを阻んでいます。

自分の感覚だけを信じてみる、これを短期間でも出来たらどう云う変化があるのだろうと、ふと思います。
でもまず最初にやらなくてはいけない事は、直ぐに出て来る否定的な感情を封じ込める事。
心にも破魔の札を貼れないものかと思います。

人の事ではなく

2010年12月17日 | Weblog
セラピストやカウンセラーの中にはクライアントの相談に対し、自分や他人はこうだと云うような事を云う人が結構いるのですが、何を意図して云っているのかよく分かりません。
クライアントを安心させる為?或いはあなたなんてまだまだ、もっと大変な人がいると思わせる為?
何にしても他人の経験談なんて、問題真っただ中のクライアントに話す必要のある事とは全く思えない。
そんな事より、まずはクライアントが良い方へ行く為の方法、それを1番に考えて下さいよと云いたくなるのですが……。

そもそも他人の話を持ち出して来ると云うのは比較の原理な訳で、そう云う基準で話されるのは本当に苦痛です。
私は私、自分自身を認めて愛せなんて云われますが、他人の話をされると云う事は、クライアントと比較していると云う事、なのにまずは自分ありきだなんて云われたって説得力ゼロだし。

いい例え話をした気になっている人もいますが、それって自己満に過ぎません。
誰かとの比較でしか思考や話が出来ないなんてどうなのよと思いますが、自分はクライアントより上と云う発想があるから同じ目線で考えられず、こう云うやっつけ的な事が起きるのだと思うのですよね。
比較した事で自分が幸せだと実感出来る人がいたとしても、他人の話は本来すべき事とは思わないので、こう云う事でどうにかなると思っているセラピストやカウンセラーは、中途半端と云う気がします。
他人やあなた個人の話しなんてどーでもいいのです、まして友だち同士じゃあないし、余談として聞かされてる風でもなく、立派にアドバイスした気になられてるのですからね。
本当にプロと云えるセラピストやカウンセラーって、一体何人いるのかなと思っちゃいますね。

パワスト

2010年12月16日 | Weblog
パワストが欲しいと思っても、ピンと来るものにはなかなか出会いません。
色々なモノが売られているし、サイトにもアップされていますが、欲しいと思うのは、とても信頼しているソウルナビゲーターのKさんの作られるものが殆どです。
今年は幾つも欲しい~~と切に思うものがありましたが、ブレスとペンダントトップ1つずつが、ようやく私の手元に来てくれました。
Kさんのサイトにアップされるパワスト類はとても人気があるので、欲しいと思っても、一瞬迷っている内に完売してしまったりで、なかなか手元に来てくれません。
どれだけ欲しくても、自分の中で価格の折り合いがつかないと云う時は、本格的に縁がないと諦めるしかありませんが(涙)。
このKさんは石の仕入れもご自分でされますし、しっかり石とお話もされます。
またどう云うものを作るか、そう云うアイディアや指示も上から来る方。
ですから購入者にとっても、必要あって手元に来た、来るべくして来たと云う感覚が大で、これはKさんご自身もおっしゃっていました。
更に同じものでも、どれが誰に行くかは、天使の指示や天使と一緒に決めるそうです。
と云うか、サイトにアップした時点で、もう行く先が決まっている気がするとおっしゃっていました。

何でもそうですが、縁があるから手元に来るのですよね。
何もかもが有効に使われるとは限らず、逆に不必要を知る事になるかもしれないし、その縁がどう云う風になるかは分かりません。
でも(大きく出ますが)人生に一切無駄なしと云うなら、こう云うモノや何においてもそう云う解釈は成り立ちます。
と云うか、実際そうだろうと思います。
辛い思いや哀しい思いをする為に出会う出来事には疑問を感じる事も多々あります。
その事が深い傷になり、トラウマとして来生に持ち越しなんて事にならないとも云えないし、起きなくていいと思う哀しい事は山のようにあります。
でも必要な出来事だ、意味のある事だと思えば、何とか乗り越えても行ける。
それを意味がない事をしたとか、遠回りばかりしているとか云われたら、ただでさえどん底なのに、死にたくもなるってもんですよ。
そう云う無駄な事云々云う人は信用出来ないと思っていいし、またする必要もないとキッパリ云われましたが、なぜかこう云う人に振り回される羽目になるのですから困ったもので……。

と少々横道にそれましたが、Kさんは越智啓子先生からも信頼厚い方で、お2人とも、低級なものから高次の存在にまで、自在にチャンネルを合わせられます。
またセラピスト、ヒーラーとは何たるかを自覚され、お会いした時、100%信頼出来ると感じた数少ない方だし、何よりスピについての考え方が本当に真っ当で、勘違いやインチキなスピ業者に爪の垢を飲ませてやりたいと思うような方。
暫くぶりにまたお目にかかって、エネルギーチャージしたい、そう切に思いますが、無理なんだよねえ(涙)。
本当にお目にかかりたい方にはなかなか会えないものなんです、トホホ。