日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

停止中

2012年11月28日 | 仕事
1個体、内面調整の確認をして貰わなくてはならないものが出て来ました。
ハケ目となっているのですが、単位のみ書かれていて肝心の調整が未実測。
と云う事は磨滅していてハッキリしないからか、単に面倒(汗)で単位のみ書いたのか、どっちにしても注記も何もないのに実測図がOKになってしまったと云うのが不思議です。
で、この内面調整をトレースで入れるのかどうか、確認していますが返事が来ません。
やっと連絡が来たと思ったら、土器が行方不明だそうで……。
忙しい事もあって時間が欲しいとは云われましたが、これ1個体残したまま作業が止まっています。
急がないものとは云え、確認に何日もかかるとちょっとなあ。
今トレースしているのはエライ大昔90年代中頃のものですが、問題のある図は最近書かれたものです。
だからこそ、何でちゃんと書かれていないのかと余計に思ってしまうのですが、毎回こんな調子とは云え、何だかなあですね。

ぼちぼち

2012年11月27日 | 仕事
先々週末、年金支払い2回分の仕事の依頼ありで引受けて来たものの、期限は特になしと云う事で、まだ作業の途中です。
単純に他に優先しなくてはならない事がある事、気力が湧かないと云う事の2点において、なかなか手がつきません。
個体数はそこそこですが、調整のないものが殆どないので時間がかかります。
特に甕が多いくそれなりの大きさなので。
何とか今週中、と云うか、11月中にには終わらせたいので、まずはトレースだけでも進めたいと思っています。

余地なんてもの

2012年11月19日 | Weblog
セラピストでもヒーラーでも、自分の運気を下げるような人とは関わりたくないのでしょうね。
如何に凄いお力を持っている人であっても。
で、大事な事は全てお金払わないと教えてあげないって事なんですよね。
そりゃそーだ、セラピストもヒーラーも、ご飯食べて家賃払わなくちゃだもんね。
みんな一緒に幸せになるなら、別に出し惜しみしなくたっていいんじゃね?と思うのですが、やっぱり人は選別、淘汰されていると云う事になると思います。
だから、ふるいにかかって落っことされたら、もうどうにもならないと云う事です。

下手な事云えないんですよ。
云っちゃって頼られちゃったら最悪だし、そんなの面倒み切れないし、ウキウキワクワク人生に最も邪魔な存在だし。
セッション受けてもちっともよくなれなかった人がいるんだけど、いい事だけしか宣伝に使えないからそんな人の事はどーでもいいし。
って事だよね。

後ろを向くな、前を向かないとますますダメになる。
ホントにそうかな。
必死に何度も前を向いて来た結果が今だったら、努力の先に期待なんて出来ない事もよくよく分かっています。
今からどうやって前を向けと云うんだろ。
同じ事をしていたって、よくなる人とそうでない人は確実にいる。

自分の人生、いいも悪いもなくただ生きなくてはならないと云う時、何にも気力を見いだせない時、どうやって日々をやり過ごせばいいのか。
したい事もないけれど、したくないと思う事の方にしか生きる術を見いだせないなら、それでもその中で生きるしかないと云う事。
したいもしたくないも関係がない、要するに選択の余地なんてものは存在しないと云う事、振り落とされたものに。
死にぞこないは、その前よりも更なる地獄を味わう、そう云う事です。

悟ったとか

2012年11月11日 | Weblog
私はバカなので分からない事だらけですが、今の世の中で「悟った」と云うか「覚醒した」と云う人ってホントにいるのかなあ。
日々の積み重ねで、ある事に対しては悟った(学習した)と云える事は大いにあると思いますが、なぜ生きると云うような、いわゆるスピ的悟りっつ~か覚醒した人は、今迄通りでいる必要はないのではと思ったりして。
と云うか、感覚的にそうはいられないのではなかろうか。
でも人間に生まれて来たからそれを全うしますって事なのかな。

下々のものを覚醒に導く為に活動しているとしたら、大きなお世話的な気もします。
実際悟っちゃったと思っているのって本人だけで、どんなレベルにいるかなんて誰にも分からない気がするんですが。
と云うか、ひとつの経験で覚醒したと思ってしまえるところがそもそも凄いかもしれない。
何を持って、そんなに確信を持って語れるのだろう……。

覚醒しちゃったと自覚するセラピストやヒーラーの多さに辟易ですね。
特に、ウキウキワクワク心が躍る事をしろとか、セミナーに参加しないとスイッチが入らないとか、自分のやり方がひたすら正しいと云ってるセラピストやヒーラーは、今今死んじゃうぐらい辛い状況の人にも同じ事を云えるんでしょうかね。

こう云う自分の中に抱えていたもやもやを晴らしてくれる気持ちのいいブログに出会い日参しています。
スピに生きている方ですが、エセスピやとんでも系に対する考察が鋭過ぎて気持ちいい。
こう云う方の文章を、多くのセラピストやヒーラーは受入れられないと思いますが、どれだけ云い訳三昧出来るスピでも、きちんと納得出来る反論も恐らく出来ないと思います。
なぜなら、実はまだまだ自分一人の世界でしかあり得ない事を、全てを悟ったかのように勘違いして思い込んでいる人ばかりだから。
散々とんでもセラピストに煮え湯を飲まされちゃったバカクライアントのオレとしては、直接攻撃できる訳でもありませんが、この方の文章を読むだけでスッキリします。
もうちょっと早く出会いたかったな……。

好きじゃなくなった人

2012年11月09日 | Weblog
好きだったのに嫌いになった人がいます。
正確には元々好きではなかったのかもしれませんが、あれよあれよと云う間に嫌いになって行きました。

何時も見下されているので上からモノを云われるのにとても敏感ですが、その人もどんどん上からモノを云うようになって行きました。
多分自分では気付いていない、自分が変わった事で起きたよい変化とでも思っているかもしれません。
が、こう云う事の本質は案外分かり易く伝わるもので。
どんどん鼻持ちならない感が増して行き、シェアの振りした自慢話ばかりになって来ました。

やっぱり人から凄いと云われたいのだろうし、またその人自身も凄いと云われている人と近付きそう云う人の中に入りたいと思っているのだと思います。
その辺は余りに普通の人と云うか、過ぎるほどに俗っぽいと思いますが、本人は夢夢そんな風には思っていないと思います。
普段上から云っている事と俗っぽさとのギャップも、いいようにごちゃまぜにしてしまえる才覚があるから。
と云うより、そう云う俗っぽさもある種の売りなのかもしれません。

羨ましさと云う事において、憧れとか羨望を含んだ羨ましさか、或いは嫉妬がベースなのかでは、発せられるものが大いに違って来ると思いますが、その人には大量の守護があるようなので、どんな状況になっても悪くなる事はないのだろうと思います。

自分に出来る事は誰にでも出来るなんて、一寸自分を下げたようでいて全くそんな事はないと云うのに気付いていません。
それが出来ない人への罪悪感の元凶になっていると云うのに。
もしかしたら分かっていてやっている確信犯かもしれませんが、どっちにしろ、自分はあなた方下々のものとは違うと云う事は暗に云っている訳で。
こう云う人が人助けを仕事にしているのですが、そう云う皮をかぶって自己主張をしているだけと云う事、分かっているのかな。
どれだけ凄い能力や力があったって、受入れられない・受付ない人がいると云うのは、そう云う事ではないのでしょうか。
あらゆるものに通じている風だけど、だったら受付ない人なんているはずないだもの。
波長があったものだけが同調するのなら、現状は理解出来ると云うものですが。

でも現実は、こう云う人がよい目を見ます。
平等だの何のと都合のいい事を云いますが、実際そうではないって、この人が証明しているんじゃないのと思うんですけれど。