日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

やり切れないこと

2013年09月28日 | Weblog
ちょっとでも関わった事がある人に関する哀しい話しを聞くと、やはり胸が痛みます。
最近この手の、本当にやり切れない事があって、何だか落着かなく胸がもやもやとしていました。
周囲の人達もどれだけ気をもんでいたかと思うと、気の毒でなりません。
見えていた結果とは云え、現実を突きつけられると何とも云えないと思います。

どうして、と云う思いしか湧いては来ないのですが、今更どうする事も出来ません。
ただ冥福を祈るのみ。
一瞬だったけど、すれ違っただけでもご縁があったのだと思います、ありがとう。

決められない

2013年09月22日 | Weblog
やると決めて始めた事ではありますが、大枚もはたいたのですが、興味もあった事ですが……。
どうもしっくり来ない。
始めてみても、やる気が起きないんです。
心がもやもやしている理由は、1つハッキリしている事があります。
でもこれが解決したからと云って、やる気が起きるかと云えば違う気がします。
何か違うと云うか、リサーチ不足で自分によい事だけを考えていたと云うのもあると思いますが、それでも始めたらきっとやる気が出て来ると思っていたんだけど、どうもいかん。

嫌いな事ではないし、やればやるほど奥も深いし極めて行きたいと感じると思うのだけど、あるところから動かないんです、心が。
私はそこまでは別に…みたいな思いが湧き出て来てしまう。
かと云って、離れる事はないと思うんです。
また離れようとも思いません。
でもこれ1本でやって行くと云うところには行きつかない。
せめてもう少し気合が入ればと思うのですが、この件に関してのスイッチが一向に入る気配がありません。
暫く放置しておくしかないかなあ。
これはこれとして、別の方向に本気を見出す事になる道しるべかもしれませんから。

転びますた

2013年09月21日 | Weblog
お彼岸でお墓参りに行き、水桶を返そうとしたところ、段差にかけた足がしっかりかかっていなかったようで、思いっきり転びますた。
顔のラインの骨、鎖骨の上、膝を強か打ちまして。
ちょっと前にエントリーしましたが、最近左側だけに怪我や不具合が起きますが、今日も見事に左側でした、全て。
単純にバランスの問題と云えばそれまでですが、なんか変な感じです。

顔の骨、噛むとメッチャ痛みます。
虫歯の時みたい。
時間の経過と共に内出血と腫れ。
ますます見苦しくなります、トホホ。
明日は筋肉痛だろうな……。

鎖骨のところ、擦りむけて赤くなっているのですが、某所のフードコートへ行ったら、見知らぬオバサンがじーっと見るのですよ。
そのオバサンと一緒にいたオバサンが、「知ってる人なの?」と尋ねるのが聞こえた。
そうしたら「知らないけど、キスマークなんかつけて」と来たもんだ。
人間の出来ていないワタクシはカッチーンと来まして、「転んだんですけど」と云ってしまいました。
オバサンは勿論知らんふりです。
ったく、下衆の勘繰りもいいとこだよ。
後から合流した母に話したら「あら~、形もそれらしいもんねえ」と笑うし。
そのオバサン方、携帯を持つのが如何に不経済かと云う事を延々と声高に話していました。
自分らに聞こえる声の高さで話せって~の。
ああ云う事を云う事からして立派にかっぺな訳ですが、散々痛い思いをして変な勘繰りをされ、不愉快極まりなしですぜ、全く。

それにしても、お墓参りに行って本堂の前で派手に転ぶって何、かあるんじゃないかと思ってしまいます。
目撃者多数(笑)。
が、誰ひとりとして助けには来てくれず(家族も含み・笑)。
心の中で、誰か助けに来いよ!と思いつつ、よろよろと起き上がるオレ。
厄落とししたんじゃないのなんて云われましたが、そうなんでしょうか。
ってか、そうでも思わなくちゃやってられんですけどね。

トリビュートアルバム

2013年09月17日 | Weblog
11月に大貫ター坊のトリビュートアルバムが発売されるのだそうで。
ほほーと云う方々が名を連ねております。
ファンにとってこれは買いですね、間違いなく。
暫くター坊の声を聞いていませんでしたが、還暦だそうでビックリですね。
あの少女のようなター坊が還暦。
遥かに若輩者ではございますが、感慨深いです、自分の事と絡めても。

数日前急にター坊の「突然の贈りもの」と云う曲を思い出し、通しで歌ってみたりして(笑)。
そうしたら今日アルバムの事を知ったのですが、その流れで、故・大村健司さんがギターを弾いている「突然の贈りもの」をようつべで聞きました。
カッコええ……。
歌なしのインストだけでも、これは泣けますぜ。
ギターのソロを聞いた途端、この曲を初めて聞いた頃に感じたような、胸をぎゅーっと掴まれてその場から動けなくなるような感覚を覚えました。
なんでこんなカッコいい演奏を今迄知らずにいたのだろう。
そして、何で大村氏は逝ってしまったのだろう。
亡くなって随分経ちますが、突然の訃報でしたので、はぁぁ?!と云う思いでした。
私が好きで聞いていたミュージシャンのギタリストは殆ど大村氏だったのです。
ホントにカッコいいんですよね、演奏が。
この「突然の贈りもの」、ヘビロテです……。

何か、ここ暫く感じた事がないような、昔の、普通に前を見ていた頃を思い出しました。
昔聞いていたもの、その頃に心が引っ張られてゆくようです。
それにしても……、泣けるわ……。

敏感

2013年09月16日 | Weblog
耳がいいとか鼻が利く(普通の意味で)とよく云われるし、自分でもそう思います。
いい音やいい匂いを感じるだけではなく、音や匂いが変わった事で不具合を察知するのが早い。
結構嫌なんですよね、これ。
早く分かっていいと思われそうですが、幾ら訴えても取り合って貰えない、それぐらい些細な変化と云う事も多々あります。
それに、あ~、またよくないと察知した時の嫌な感じ。
壊れるとかダメになるとか、そう云うのが分かるのってかなり嫌だったりします。
云っても分かって貰えないと思いながら変になった音や匂いを気にして過ごすのも、かなりストレスです。
どう云う訳か、我が家に来るものは不具合が出る事が早いし多いので、この嫌な感じをしょっちゅう味わっているもので、胸がもやもやします。
こう云う事に鈍感だったらどんなにいいかと思います。
今も凄く悪くなっていそうな変な音が聞こえているのですが、どうする事も出来ません。
あああ、嫌だ……。

利き足

2013年09月15日 | Weblog
最近自転車に乗る事が多いのですが、こぎ始める時に右足からペダルを踏みます。
私は右足が利き足と云う事ですが、本当に左足に力がないと云うか、歩いている時に感じるバランスみたいなものも、左が断然弱いと実感するようになりました。
と云うか、自転車だと特に感じますが、本当に脚力がない。
情けないほどに弱いもので、出だしは坂道と云う事もありますが、ふらふらします、トホホ。

左足が弱いと云えば……。
私は怪我をするとか何か不具合が起きる時は何時も右側でした。
が、最近それが左側に映って来まして。
スピでは左右で女性性と男性性と云う風に分けてあれこれ解釈しますが、と云う事は、私の中で何かが変わったと云う事になるのでしょうかね。
よく分かりませんが。
どっちにしても左右どちらかに偏ると云うのは、バランスがよくないと云う事です。
バランス、なんですよ、何でも。
難しいな……。

な~~んか

2013年09月14日 | Weblog
自分がいいと思えばそれでいいのだとは思うのですが……。

お料理が得意と云う人がお弁当をブログにアップしているのですが、はぁ、これが料理上手の弁当ですか、みたいな事を思ってしまったりして。
料理ベタな私が何を云えた義理もでないのですが、自分で自分を凄い、出来ると思えばそれでいいって事なんでしょうね。
今は私でさえこうして公に文章をアップ出来るのですから……。
それにしても、こう云うのもありなのか、としみじみ思ってしまうブログやら何やらって多々あります。

変に気取って、自分のセンスが凄いと云うのを暗に云っているのを見ても、いや~、これはないだろと云うのってありますが、写真をアップするって、やっぱり自信があるから、ですよね。
単に知人への周知とか報告って感じじゃないですから。
それに対して「凄いですぅ」「最高ですぅ」「素敵ですぅ」ってなコメをする方って、本心で云っているんでしょうか。
その辺がかなり気になります。
私が捻くれている、普通のセンスとはかけ離れていると云う事かもしれませんが、これはないだろーと思うようなものをアップされてると、色々思う事があったりする訳です。

ブログとかFBとか、相当脚色された事が書かれています。
と云う事を実感してから、それらにアップされているどんな文章を見ても本気に出来なくなります。
単なる弁当の写真とかなら自己満上等の世界ですが、嘘とは云わないまでも云い過ぎでしょってな現実を見てしまっていると、な~んかね。

ネット上の情報でしか判断出来ないと云う時、これは本当に大変な事だと思います。
いい事だけ大袈裟にアップされている事が殆どだと分かってしまったので。
アップされている事がどの程度までと考えるか、その判断は個人に委ねられる訳で、難しい事この上なし、です。
言葉はよくありませんが、どう騙すか、騙されないようにするにはどうするか、なんだかそんな世界って感じ。
面倒くせーと思ってしまいます。

作って行くもの

2013年09月10日 | Weblog
人を作って行くのは、経験なんでしょうね。
勿論それだけではないでしょうが、経験して学習して行く訳で、そこに色んな感情が伴って来る。
やっぱり経験が少ないと、人としても薄っぺらと云うか、中身がないと云う事になるんだろうか。

色んな経験をする中で好きな事が見つかり、そこから何かに繋がって行くと云うのはあると思いますが、私は同じ事の繰返しのような日常をちょっとだけ出た今、新たな経験をしてはいても、それにやる気を感じたり希望と云う風に見て行く事が出来ずにいます。

同じ事の繰返しに思える中にも少しは新しい事は加わってはいて、変わらないと行っても止まっているとは思いません。
生きていると云うだけで、止まり続ける事事態あり得ない。
だから、どう云う状況でも人は変化し続けていると思いますが、大きく動かないと変化と取らない人達も沢山います。
動かずにいて結果を出せない人間が何を云うと思うかもしれませんが、動く変わる事ばかりが能じゃないとも思います。
実際動いても、私には行動を起せの何とと云う人達が云うような結果はついては来ていないので。

何だか最近もやもやしていて、心が沈む。
元々明るくはありませんが、無理にでも明るくいないと厳しいと云うのに、その無理をする自分を斜め上から「バ~カ」と嘲笑しているもう1人の私もおりまして。
無理をしてもしなくてもやってる事に結果なんて出てないんだから、何やっても無駄だよ~んと、斜め上の私が云う訳です。
御尤もで返す言葉もなく……。
しかしながら、どう云う状況であろうと生きなくてはならないのも事実。
世の中オリンピックで浮かれポンチですが、蚊帳の外なオレ。
ふりだけでも一緒に浮かれポンチになりたいもんですわ。

どちらかと云うと

2013年09月04日 | Weblog
自分にとっていい人が他の人にもそうかと云えばそんな事はありません。
私は特に問題もなく普通に付合える人に対し、あの人とはテンションが合わないと云われて、ちょっとびっくりした事があります。
要は嫌いって事です。
私が知らないところで対面しているので、その時にテンションが変に高かったのかなと思いましたが、正直私としては、合わないと云った人の方のテンションが微妙だったりして。
何でこんな事に異常に受ウケて反応するの?と云うような事に延々と大笑いし続けたりするのです。
面白いと云えば面白いけれど反応の仕方が異常と云うか、周囲もそこまでしつこく反応しなくてもと云う。
こればかりは本人の笑いのツボなので、こっちが異常に感じても人それぞれで仕方がないのですが、それこそ普段のその人のテンションと比較すると、軽く引いてしまう感じです。

私はどんどん無感情みたいになって来ているので、真っ当な感覚とは違っているかもしれません。
大して面白くもない出来事だけど、前の私ならこれぐらいでも面白いと思ったかなあと思いつつ、面白い振りをして結構疲れながら笑っているのが現在の私です。
流石にちっとも面白くないと思っても、それを表には出せませんからねえ。
これでも少しは人に合わせる事も出来るようになったもんで。

素の自分を出しても問題のない付合いは、そうそうあるものではないと思います。
まして仕事絡みだったりすれば余計。
だからこそ、と云えるのか分かりませんが、あんたの方こそどうなのよと感じる人に、他の人のテンションがどうこう云われると、それって人に合わせた作りものかもしれないじゃんと思ったりします。
結局単に嫌いなだけって事だと思うんですけど、そう云わないのがね……。

人の裏側を見てしまうと云うか、真意は何だろうと云う事を常に考えてしまうので、人間観察は好きなのだと思いますが、単なる傍観者であれば達観出来る事も、当事者となるとそうは行きません。
ちょっとした、こんな風なテンションがどこうこ云われただけで、な~んか嫌な気分になってしまう。
どんな人にも、こう云う人もいるよねってな具合に、さら~っと流せるようになりたいもんですな。

躾って

2013年09月02日 | Weblog
先日あったあるイベントでの事ですが、子連れはOKと云う事になってはいましたが、参加者は大人ばかりでした。
が、2組ほど子連れのママがやって来た時の事……。
メッチャ煩いんですな、ガキ、もとい、お子様方が。
当然っちゃー当然だと思います、子供にとっちゃ全く面白くも何ともないイベントなので。
しかしながら、親達は全く子供を大人しくさせる気配なし。
ひたすら話しを聞いていて子供は野放しです。

百歩譲って、その場にいるのが自分達だけならそれでもよしとしましょう。
が、他にも参加者がいるんですよね。
なのに子供はスルーで騒がせ放題。
他の参加者がいるなんて眼中になし。
聞くところによると、一切怒らない子育てを実践している方たちだそうです。
人様の子育てに口出しする気はございませんが、自分達だけの時ならいいでしょうが、他に人がいる時にこれってどうなんでしょう。
しかも、大勢の人がいる公共の場でどんだけ騒いでも放置してるって、何処へ行っても騒いで平気と思っちゃうよ、ガキなんて。
で、自分達を怒った人を逆恨みするよ。
それは子供だけではないかもしれませんがね。
こう云う親子を周囲が怒ったりしたら、逆切れ必須でしょう。

どう云う状況でも自分達の子育てを実践するのも結構ですが、その場にいて迷惑被った人に対して、どう云う気持ちなんでしょうね。
その人たちだって時間を割いて来ていると云うのに、煩いガキのお陰でろくに話しも聞けないなんて、このオトシマエどうつける気だって云われても仕方ない。
怒らない子育て上等、でも、な~んか勘違いしてやしませんかって話しです。
正直、これじゃろくなガキにならんだろと思いますけどね。

どう云う場所へ行くのか出かける前によ~く考え、OKと云われても、子供が飽きる、長時間大人しく出来そうもないと云うなら、諦めるのもありかと思います。
結局子供にかまけて肝心な事が出来なくなってしまうから。
余りに子供を放置するとか、子供だからと云う都合のいい云い訳する親のお陰で、本来の目的が果たせない事が多々あったりすると、どうしても厳しい見方になってしまいます。
ちゃんとしている親がいる分、余計に……。