日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

愚か者ですから

2010年11月21日 | Weblog
我儘だし、そんな事起きないと分かっているのですが、心から信頼出来る人に肯定され背中を押して貰いたいです。
これも他力本願と云われるのでしょうけれど、自分自身を信頼出来ない、自信がないものにとっては、信頼出来る
誰かに云われる事と云うのは100%なのです。
それが肯定であったらどんなに気持ちが楽になるでしょう。
他人から認めて貰えると云うのは、生きていていいと云われている気がします。
愚か者と思って頂いて結構……。

ずっと体調が悪く臥せっていました。
どうしようもなくなり嫌々病院へも行きましたが、本当に弱くなってしまいました。
家族からもしみじみと云われた……。
調子が悪いと思うと、そこで止まるとか治ると云う事がなくなってしまいました。
即悪化、更に長引くと云う状態です。
単純に身体が弱くなったと云う事もあるでしょうが、それだけではない気がする。

今の私には、今迄以上に何もない。
支えにするものもないし、別にどうなっても問題ないし、そもそも生きている必要がない。
やるべき事や夢があって、自分の為に生きてられていると云う人はいいのです。
そう云うものが何もない私みたいなもんは、誰かのためになっているとか必要とされているとか、そう云う感覚が
ない事には、生きてる事に意味を見出せません。
理由や意味のない事はないと云いますが、見出せずにいるものもいる。
分からない人には全く分からない事でしょうけれど、とっても辛い事です……。

都合よく

2010年11月20日 | Weblog
何でも自分に都合よく解釈出来たら、多分人生変わっていたのかもと思います。
たらればはないとは云いますが……。
嫌味や褒め殺しが一向に通じない人と云うのがおりまして、とっても素直だと思えればいいのですが、その手の
人と云うのはどう云う訳か、単に空気を読めない人だったりする事が多いので、周囲の方が苛々したりするもので。
こう云う人は、全てを自分によく解釈するので、恐らく罪悪感とかそう云うものとは縁遠いと思います。
大抵、機嫌良く生きてますよね。
周囲の空気を読めない分、どう思われているかも本当のところは全く分かっていないのですから、当然褒めて
貰える自分はみんなから好かれている存在と信じて疑わない。
嫌われているなんて考えもしないでしょう。
本当の事を知った時は、なぜかを理解するのにも相当時間を要すると思いますし。

自分としては好きではないタイプですので、こう云う人にはなりたいとは全く思いませんが、ある種の羨ましさは
感じるかもしれません。
とにかく自分に都合よくだけ解釈するし、本心で云われているかなんて事は気にしない、お褒めに与ればありがたく
お受けします状態、裏を読むなんて事は一切ないのです。
しかも、自分の言動で他人が傷ついても、自分はいい事をしたと思っているなら、酷い事をした事にもならない。
罪悪感を感じる事すらないのですから、余計な労力も使わないし、天真爛漫と云えるのかも。
スピ的に上手く行く人って、こう云う思考じゃないといけないのではと思います。
自分の思ったままに生きると云えば聞こえはいいけど、悪い方での自分本位と云うか、そんな風にしか感じられない
人ばかりな気もするんですよね。
だから幾らスピ的に上手く行くと云われても、なりたいとは思えないのです、こう云う人には。

今より

2010年11月18日 | Weblog
仕事をし始めた事の私は今以上にへなちょこで撃たれ弱く、時々早退したり病院へ行くと行っては会社を抜け出して、
叔母のところへ行って泣いていました。
家に帰る事はとても出来なかったので。
状況はどんどん悪くなるし、今迄仲良くしてくれた先輩から冷たく当たられるようになり、それが決定打で会社へ
行くのが怖くなってしまい、結局最初に勤めた会社は退職しました。
これは母から聞いた話ですが、こんな状況を家族以上につぶさに見ていた叔母は、余りにも私の情けない状態に
同情し、母に、この子は外に出さない方がいい、何とか家に置いておけないのかと直訴してくれそうです。
この事ばかりでなく、私を小さい時からよく見ていて、時には母の代わりになってもくれた人なので、私のへなちょこ
具合をよくよく分かっていたのだと思います。
しかしそんな事、母が許すはずもなく(祖父もだったでしょうが)、その後何年も私の地獄は続きました。
この時のトラウマは、子供の頃から人と上手く関われなかった私にとっての決定打となり、今どれほど切羽詰まった
状況に追い込まれていても、絶対外に仕事に出て行きたくないと云う頑なな思いに繋がる元になっています。
大昔の事を引きずっているなんて、本当に情けないと自分でも思いますが、持って生まれて来た性格と云うものは、
そう簡単には変わりません。
上手く騙し騙しでやって行くしかない。
それをよい方へ向けられる事にも出会わないまま、ますます人との関わりに恐怖と警戒が深くなりました。
本当に苦しいのですが、良い方へは行かず、同じ事だけが繰返されて来た事を分かっているだけに、今度こそと云う
気力も失せてしまいました。
こんな私を、弱い、根性がない、あれこれ云う人が沢山いて、それをよくよく分かっている私は、辛いけれど認めて
うなだれるしかなく……。
こんな私でもいいのだ、生まれて来てよかったのだ、誰かそんな風に肯定してくれないものか。
社交辞令なんかではなく、親や家族でもない存在から、心の底から自分を肯定出来るような言葉を貰えないものかと
思うのです。
でも無理なんだな。
自分自身が自分を肯定出来ないのだもの。
自分が嫌で嫌で、存在している事が耐えられないんだもの……。

どっちもどっち

2010年11月16日 | 仕事
久々の仕事の話のエントリーで思い出した事があります。
昔、ほんの一時期でしたが、民間の外注として仕事をしていた事がありましたが、効率の悪さには本当に閉口しました。
メインは写真実測でしたが、この場合原体がよく分からない事が1番の問題でしたが、基本的には写真をそのまま
トレースするので、大きな問題点についてはまだ少なかったかとは思います。
困ったのは普通の実測です。
写真実測もとにかく書け的ではありましたが、どこでも正面になりそうな土器の正面を何処にするか、こう云う図が欲しい、
こう云う図にしてくれと云う指示が全くないまま、まずは書けと云うもの、当然サンプル図もない、これは最悪です。
一切の指示がなく書く訳ですから、こちらの純粋なミス以外の書き直に関しては、新たに追加料金が発生して然るべき
なのですが、入札と云う制度上、そう云う事は依頼先には無関係なんですね。
書き終わると、「どこを取ったのか分かりませんが云々」依頼先から嫌味を云われつつ、正面にする場所がおかしい、
ここではなくここを断面にするべき等々ここでやっとご指示が出て、書き直しをさせられる。
これって最初に云って貰えたら、問題にもならないところなんですがね、こう云う至極当たり前の手間を省く訳です。
で、そのとばっちりは、当然外注であるこちらに全てかかって来る。
安く落としていた分、おっしゃる事は何でもやります的な超低姿勢なのだろうと想像しますが、依頼先も落札する方も、
随分と外注を舐めたやり方だと思いました。
依頼先は、内省の時もこんな無駄100%みたいな事をしていたんだろうか?
負担がかかるのは我々外注だけですから、どんだけアバウトな仕様書であっても、会社や関わる人にはどうでもよかった
のでしょうけれど、逆に云えば、幾らでもこちらに都合のいい解釈も出来るほどアバウトな仕様書でもあったのですけどね。

土器の実測と云うのは、担当者の好みが大きく影響するので、AさんはOKでもBさんからはダメ出しを食らうなんて事は
日常です。
だからこそ、どう云う図が欲しいか、この土器の特徴は何で何処を強調するか等々、きっちり先に云うのが筋と云うもの。
図と云うのは書き手によって変わると云う事が分かってない訳ではないと思うのですけどね、まずは一旦書かせてダメ出し
するなんて、時間とお金を何だと思ってるんだと思いましたよね、毎回。
ってか、そう云うとこが、流石お○人だなあと感心もした。
毎回同じ人が確実に書くと分かっていても、担当者が変われば図の好みが違うのですから、その都度指示されない事には、
書き手にはどうにも出来ません。
民間と云うのは役所と違い、無駄な事を極力なくす方向で仕事しているとばかり思っていたので、この会社のこう云う
仕事の仕方はかなりの衝撃でした。
こちらからの申送りに一切回答もないし、毎回もの凄~く文句ばっかり云っていたので、ぱったりお仕事が来なくなりましたが、
正直ホッとしています。
あれ以上続けたら、完璧に禿げたと思うので(汗)。
いずれ、上に立つ人のお好みがあらゆる事を左右するお仕事なのに、最低限の事もちゃんと申送りされない状態で作業
しなくてはならないのは、ホントに大変ですよ。

そんなもんです

2010年11月15日 | 仕事
久々に仕事ネタですが、私の話ではありません。
でも、こう云う思いは私はしょっちゅうなので、怒りが収まらないのは察するに余りある……。
知人の話ですが、遠方での仕事に明日出発と云う前日の、それも夕方ですが、依頼先に挨拶の電話を入れたところ、
何と準備が出来ていないので延期して欲しいと云われたそうな……。
機材も沢山あるので車に積んで準備も万端、遠方ですから宿泊必須の仕事先ですので、ホテルも当然予約済み。
その他あれこれある訳ですが、わざわざ出かけて行く相手に、後十何時間かで出発するような時に、よくも平気で
延期してくれなんて云えるもんで。
しかもこちらが連絡をした場で初めて云うのですから、予定通りに出かけていたらどうするつもりだったのでしょう。
どの面下げてって、この事ですね。
こう云う事で発生する不利益は、全て委託業者だけにかかって来ます。
ギリギリになるまで分からなかったのではなく、分かっていて手をつけなかったと云う怠慢から起きた事。
これって立派にお仕事なんですけど、こんな事してもど~って事なく、この先もこんな感じでのらりくらりで行くんだな。
これでまかり通っちゃうと云うのが凄いし恐ろしいところです。
何とかなると思っちゃってるんですね、相手が仕方なく何とかしてるのに。
私も予定変更は日常茶飯事ですが、仕事でも、委託業者は何でも云われた通りにするのが当然みたいに思っている
依頼先があるし、とばっちりを食うのは何時も立場の弱い方です。
自分が同じ事されたらどう云う反応するんでしょうね。
バカにしてますよね~~、ったくよー!

罪悪感

2010年11月14日 | Weblog
私は子供を持った事がないし、他人と家族になった事がないので、そう云う状態である事で起きる色んな感情を
理解出来ない事が多いのです。
想像し、ある程度実感出来る事もありますが、子供を産むと云う経験をしていないので、自分の子供と云うものに
どう云う感情を抱くのかが理解出来ません。
血の繋がりのある身近な子供に対する周囲の感情と云うものが、よく分からないのです。
仲のいい親戚の子供に関しては、尋常でなく可愛いと思うし、この子たちに何かあったらと思うだけで、居ても
たってもいられない気持ちが起きますが、親が自分の子供に持つ感情は、私が感じている比ではないでしょう。
それを考えた時、私が起す行動に両親はどう感じるか、それを思うと色んな事に制限がかかります。
自分を思ってくれている人を哀しませたり苦しめる事が自分の選択と云う場合、そう云う事を一切考えなくていい
人には理解出来ない葛藤が生じます。

自分の人生とは云うけれど、自分だけの思いで決められる事ばかりではありません。
それを許される環境にある人もいるでしょうが、そうではない場合、自分の気持ちを殺す事で生き延びると云う事も
あるのです。
不快にさせてはいけない、心配をかけてはいけない、波風を立ててはいけない。
自分が我慢する事で平穏が保たれ、自分自身にも害が及ばないなら、我慢と云う選択肢もあると云う事でしょう。
私は、あなたは自分を生きていないと云われた事がありますが、そうかもしれないけれど、それはそれで私の人生で
ある事に変わりありません。
いざ自由に決められるようになった時、全く自分の中に何もなくて、決めるどころか選ぶ事すら出来なかったけれど、
それを今更後悔したところでどうにもなりません。
そして私はただ云われるままにボンヤリ生きて来て、色んな状況にある人の心を察する事も出来ないのです。
私は全てにおいて経験不足であり、故に出来損ないと云えるでしょう。
だから他人にあれこれと、意見などしてはいけないのです。
経験もしていない癖にあなたに何が分かると云われたら、何も答えられません。

それは酷です

2010年11月12日 | Weblog
新聞記事だったと思いますが、今の若いものは直ぐに苦しくないなら死にたいと云う風に、死ぬ事を簡単に
口にするが、夢がなくても希望がなくてもただ生きる事だけで生きる気にならないのか云々と云う事が
書かれていました。
私は若者とは程遠い年齢ではありますが、苦しくなければ死にたいと思う人の気持ちは容易に理解出来る。
今の人に、生きる為に生きろみたいな事を云うのは酷ってもんですよ。
夢や希望がないと、前向きじゃないみたいに云われ、かと云って、本当にしたい事が見つからない、何をして
いいのか分からないとなると、なぜ生きているのかと云う疑問にぶち当たります。
スピ的には何でも理由はありでしょうが、今普通の人間をしている人殆どに、そんなスピ思考なんて語っても
無駄だと思います。
生まれてしまった以上生きるしかありませんが、生きる事に希望を見出せない人は、悪のように云われます。
生きたくても生きられない人の事を考えたら死にたいなんてよく云える、なんて、意味不明の事を散々云われて
一方的に傷つけられる。
本当に自分の進む道が見えて来ない時の絶望感、夢も希望も何もないのに命があると云う理由のみで、
ただただ生きなくてはならないと云う辛さを、理解出来ない思考の人には、恐らく何を云っても通じない世界だと
思います。
世の中、色んな人がいる。
命に関わる事はなかなか云い辛い事が多く、特に死ぬ事を肯定的に考えるだけで非難ごうごうな世の中では
ありますが、生きている事自体がもう地獄と云う人がいる事も否定出来ない事実です。
こう云う事は、自分の価値観から外れた時点で、相容れない人とは永遠に平行線だと思いますが、認める事が
出来なくても、それもありと受入れざるを得ないのではと思います。
直ぐ死にたいと云う事の、深い根のところまで見ないのに、斬捨てられてはたまりません。
それこそ死にたくなるってものですよ……。

スピ的思考ではよく、努力も何も必要ないし、夢が叶った時の事をリアル思い描きワクワクするだけでその状態に
なれると云われます。
幸せになる事に人間性も何も一切関係なし、悪人だって嫌なやつだって幸せな人生を引き寄せられる、必要なのは、
リアルな思考あるのみと云い切っている訳ですが、当たらずも遠からずとは思います。
でも努力を続けて来て上手く行かなかった人にとっては釈然としない思いが残るし、どれだけ悪人でも、罰も受けず
幸せに生きられると云うような云われ方は、ただ落胆と云う感じです。
実際努力は実るとは限らないし、世の中は不公平で不平等。
分かっちゃいますが、単に思考のみで幸・不幸が決まり、いい人も悪い人もないなんて云うのはどうにもねえ。
スピに救われると思いつつ、全くそんな事はない。
酷な事ばかりですね。

意味

2010年11月11日 | Weblog
孤独感と云うのとは違うのだけれど、自分は1人だと感じる事は多々あります。
何かあっても頼れる人が誰もいないし、愚痴を聞いて貰える人もいない。
こうしてブログに垂れ流すしか、悩みや思いのたけを吐き出す場所がないのです。
流石に自分でも、自分を可哀想だと思ってしまいます。
と云っても、自分の愚痴や辛い話を、幾ら友だちであっても果てして出来るかと云えば、実はそれは昔から
出来なかったりもする。
何でも自分で解決するんだね、エライよねと、嫌味ともつかない事を云われた事があるけれど、自分の事、
それも楽しくない話は、人に聞かせるのはいけない事のように思います。
だからセラピストのように、ちゃんとお金を払っている人には、雪崩のように語ってしまうのですが、それも大いに
失敗が続いています。
誰にも云えない、吐き出せないのは辛いです。
ブログに書いても書きっ放しでしかなくそこに何があるでもなく、解決策が出て来るでもない。
話しただけでスッキリする事はあるし、それの書くだけ版もありますが、段々そう云う事をしている事自体が
虚しく感じられてきます。
何か打ち込める事や、光や希望に繋がる事でもあれば違うのかもしれませんが、私には何もありません。
人とかかわれば、なぜか傷つく事が多く起きるし、段々人と上手く話せなくなって来るので、元々余りよく思われ
ないのにますます変な人だと思われ、それが鬱陶しいからもうどうでもいいやと思う。
実際、今更どうにもならないので、全てを諦めこのまま生きる以外にないのでしょうが、私は小学生ぐらいの頃から、
何の為に生れて来たのだろうと云う疑問を持ったまま、今に至っています。
打ち込める事もなく暇だからこんな事を考えるのでしょうが、ただだらだらと生きるだけの事に、一体どう云う
意味があるのでしょう。
立場の違う人の事を理解する、心を寄せると云うのは難しい事ではありますが、目的なく生きなくてはならないのは、
そうではない人が想像する以上に苦しい事です。

自分で決めて来た人生だそうですが、それは生まれる時全て忘れてしまうらしい。
だとすれば、自分の人生を嘆かわしく思う事もあって当然。
答えは自分が知っているそうですが、私には一向に分かりません。
知れると云うやり方をやっても分からない……。
結局は、ちゃんと見えない世界と繋がっている人以外は、凡人は凡人らしく、バカな自分の頭で考えて行くしかない、
そう云う事です。
ヒントも何もないし、進むべき道を照らす僅かな光もありません。

よくなる為に努力しても、凡人の自力ではどうにもならない事が沢山あります。
繋がっているであろうセラピストやヒーラーの力を借りなくてはならないとしても、それも1回で済む事は稀。
私なんぞはお金が続かず、結果を見る前に強制終了しなくてはならず。
繋がれてない人間と云うのは、一事が万事こんな感じで報われません。
絶対に繋がっているから大丈夫、なんて云われたところで、実感の持てない事をはいそうですかと簡単に
信じるほど、素直な人間ではない。
実際ちゃんと繋がっている人には分からない感覚でしょう、常に繋がりを実感しているのだから。
どんどん信じるものが失われ、心も荒み、どうしようもない状態になって行く気がします。
どうにかしたいと思う事によって、繋がれていない事を再認識し、希望を失くすこう云う心になるのですから、
とことん報われないものなんだなとしみじみ思います。
ただただ苦しいばかりです。

切替え

2010年11月10日 | Weblog
やってみて続けてみて上手く行かなかった事を、新しいスキルとしてアドバイスされると、ちょっと辛いです。
実はやったんですと云いたくても云えない……。
そう云う事が本当に沢山あるので、それ、上手く行かなかったんです、とは云い辛い。
短いものなら最短3週間と云うものから3ヶ月以上かけるものまで、或いは地道に続ける事も含めて、我ながらよく
色々試したものだと思います。
そのどれをとっても結果に結びつかないのですからね、笑うしかないんですね、もう。

きちんと分かる人には分かる事なのでしょうが、見えない世界の事について、一緒くたに考えてしまう人は少なく
ないと思います。
守護天使と守護霊は違うらしいとか、そう云う事って厳密に考える事は殆どない気がする。
見えない世界からのメッセージは、発信元が同じだと思いがちだし、また何処が違うのかもよく分からない。
私は守護・指導と云う名の元にある見えない存在から云われた事で、信じて来たもの全てを否定するようになり
ましたが、それはこっちの見えない世界の存在とは違うものですと云われても、見えない世界の存在全てを信用
ならぬと思ってしまった後ではどうにもなりません、明確な何かでも起こらない限りは。
本来助けになってくれると思った存在がそうではなかったと云うだけの事で、私のような超凡人にとっては、あっちは
こうだけどこっちはこうだと云う違いなんてものは関係ないのですよね。
ずっと信じて来たものから否定されたら、それをまた信じるのがどれだけ大変な事か、身を持って実感しています。
それを信じる以外になす術がなくなった今でさえも、心はそう簡単には戻るものではありません。
否定され裏切られた事のあるものでなければ、この感覚は理解し難いのかもしれませんが。
最近、嬉しいとか楽しいと思う事にすら罪悪感を感じるようになって来た……。

「ホ・オポノポノ」のスキルは、起こっているあらゆる出来事は記憶の再生なので、元になっている記憶をクリーニング
して行くと云うものです。
でも1人ではダメで、インナーチャイルドの手助けが必要。
インナーチャイルドが手伝ってくれなければ殆ど機能しないと云ってもいいようで。
「ポノポノ」におけるインナーチャイルドと云うのは、普通のインナーチャイルドとは違い各自の潜在意識と云う概念。
でもイメージするにあたっては、普通のインナーチャイルドと似たような小さな子供として行います。
これをイメージし易いと思うかはその人次第だと思いますが、インナーチャイルドにお願いしても、一緒にクリーニング
してくれるかはその人の接し方次第だし、何よりそう云う状態になれているか、それが分からないのが辛いところです。
自分では上手くやれていると思っても果たしてそうか、結果が出なければ焦りますが、結果が出ないと思う事も
よくないのだそうで。
このスキルを始めてもう3年は経ちますが、こんな状態。
好転反応のように辛い状況が再生され続ける事もあるそうですが、ふと思ったのは、自分の存在そのものも、記憶の
再生だとしたらどうかと云う事。
辛い状況の元になっている記憶のクリーニングなんてまどろっこしい事ではなく、自分の存在を再生している記憶を
クリーニングした方が断然いいのではなかろうか。
そうしたら、上手くすれば自分が消えてしまえるかもしれません。
クリーニングする記憶を切替えようと思います。

で、甲状腺も、病院へ行くのを辞める事にしました。
と云うより、あの嫌いな同級生が受付にいる病院行きそのものを、キッパリ辞めようと思います。
これで全部スッキリです。

哀しい夢

2010年11月08日 | Weblog
大好きな方のワークショップと云うかセミナーに参加したくても叶わずにいたせいか、その当日夢を見ました。
ちなみに夢分析はして頂かなくて結構ですので、あしからず。
ワークショップの時間まで後5分と云う時、主催する方(私の大好きな方です)が私のところへ来て、5分ぐらいなら
遅れてもいいからおいでと云ってくれました。
やったー!と思い即身支度を始め、ちょうど5分の遅刻で大丈夫だと時計を見るのですが、何と液上のファンデが
胸のところに垂れているではありませんか。
やばいと思って拭き取ろうとすると、何とどんどんシミが広がって行きます(涙)。
なぜか私はこれだと思って制服を選んで着ていましたが、その紺色の胸全体が肌色のにシミで一杯に。
こんなんじゃ行けないよと焦って着替えを探すのですが、なかなか服が決まらない、時間はどんどん過ぎて行く。
結局大幅に時間が過ぎてしまい、今から行っても無駄だし迷惑になると思い、哀しい気持ちで諦めました。

時間に遅れる夢と云うのは、子供の頃からよく見ていました。
本当に後味が悪いと云うか嫌な気持ちになりますが、今回はその事に増して、胸に付いたシミが強烈でした。
ファンデなので肌色なんですが、それが目立つ紺色の制服をあえて選んで着ていたし、たった1滴、本来ならちゃんと
吸いとれて最小限の汚れで済むと思ったのに、あり得ないほど広がってしまい、胸の部分がどんどん汚れてダメに
なって行く様……。
あの時の気持ちを何と表現していいのか分からないですね。
起こるはずのない事、自分の経験値で測れない事が起きていると云う感じでした。
全てにおいて、今の精神状態を反映しているのかなと云う気がしないでもありませんが、普通に考えて、よい解釈は
出来ないでしょう。
未だに思い出すと哀しい気持ちになる夢です。