(金刀比羅宮)
金刀比羅宮
JR水道橋駅を出て北側、現在都立工芸高校や宝生能楽堂のある辺りにかつて高松藩小石川下屋敷があった。ほとんどその痕跡は見いだせないが、工芸高校の裏手にある金刀比羅宮東京分社(文京区本郷1-5-11)は、屋敷内にあった内社である。高松藩松平家は松平頼重を藩祖とし、水戸家の徳川光圀とは兄弟であった。
(礫川公園)
地下鉄後楽園駅に隣接する礫川(れきせん)公園(文京区春日1)入口の石垣は、文京シビックセンターを建設した際の発掘調査によって出土した旧大名屋敷で使用されていた石垣を再利用したものである。
春日局像
礫川公園入口の石垣
公園には春日局の銅像が建っている。春日という地名は、春日局が拝領した地名に由来し、かつてこの辺りは春日殿町と呼ばれていたそうである。
(アイガーデンエア)

讃岐高松藩上屋敷庭園跡
かつてアイガーデンエアのある場所には、讃岐高松藩上屋敷があった(千代田区飯田町3‐10)。庭園には景石や中島をもつ泉水があった。遺跡調査により出土した護岸石や景石が再利用されている。
維新後、この地は軍用地となり、明治二十八年(1895)には甲武鉄道飯田町駅が開業した。以後、神田川の水運と鉄道を結ぶ貨物ターミナル駅であった。

金刀比羅宮
JR水道橋駅を出て北側、現在都立工芸高校や宝生能楽堂のある辺りにかつて高松藩小石川下屋敷があった。ほとんどその痕跡は見いだせないが、工芸高校の裏手にある金刀比羅宮東京分社(文京区本郷1-5-11)は、屋敷内にあった内社である。高松藩松平家は松平頼重を藩祖とし、水戸家の徳川光圀とは兄弟であった。
(礫川公園)
地下鉄後楽園駅に隣接する礫川(れきせん)公園(文京区春日1)入口の石垣は、文京シビックセンターを建設した際の発掘調査によって出土した旧大名屋敷で使用されていた石垣を再利用したものである。

春日局像

礫川公園入口の石垣
公園には春日局の銅像が建っている。春日という地名は、春日局が拝領した地名に由来し、かつてこの辺りは春日殿町と呼ばれていたそうである。
(アイガーデンエア)

讃岐高松藩上屋敷庭園跡
かつてアイガーデンエアのある場所には、讃岐高松藩上屋敷があった(千代田区飯田町3‐10)。庭園には景石や中島をもつ泉水があった。遺跡調査により出土した護岸石や景石が再利用されている。
維新後、この地は軍用地となり、明治二十八年(1895)には甲武鉄道飯田町駅が開業した。以後、神田川の水運と鉄道を結ぶ貨物ターミナル駅であった。
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