(賢崇寺つづき)
賢崇寺を再訪。川崎道民の墓を訪ねた。
鐵翁道眠居士墓
川崎道民は天保二年(1831)の生まれ。佐賀藩医。長崎海軍伝習所に送られ、万延元年の遣米使節団、文久の遣欧使節団に医師として同行した。海外では報道・新聞・写真等を学んだ。帰国後、鍋島閑叟(直正)の写真を撮影した。明治五年(1972)には佐賀で最初の新聞「佐賀県新聞」を創刊した。佐賀の「写真技術の元祖」の一人とされている。明治十四年(1881)没。
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