(銀座6丁目スクエア)
何かの本で「銀座六丁目の日産本社が東京商工会議所発祥の地」とあったのを見て、日産本社を訪ねたが、その時既に日産本社はここになく、そのまま諦めてしまった。今般、「勝海舟関係写真集」(出版舎風狂童子)にこの史跡が紹介されていたので、早速小雨の中、昼休みに職場から往復してきた。現在、当地は銀座6丁目スクエアというオフィスビルになっている(中央区銀座6‐17‐1)。
東京商工会議所発祥の地
この地に商工会議所の前身となる東京商法会議所が開設されたのは明治十一年(1878)三月。この場所は、明治二十四年(1891)まで農商務省、次いで商工省が昭和十八年(1943)まで所在し、明治以来、日本産業発展のための官民協力の発信地であり続けた。建碑は、東京商工会議所創立百年となる昭和五十三年(1978)。当時の商工会議所会頭永野重雄の名前が刻まれている。
「勝海舟関係写真集」(三澤敏博ほか共著 出版舎 風狂童子)によれば、当地はもともと森有礼の所有地で、森が商法講習所の講師としてウイリアム・ホイットニーを招待したことから、この敷地内にあった屋敷にホイットニー一家も暮らすことになったという。その後、商法講習所の校舎もこの場所に建設され、ホイットニー一家は引き続きここに住むことになった。なお、ホイットニーの三女クララは、勝海舟の三男梶梅太郎と結婚して一男五女をもうけている。当時としては珍しい国際結婚であったが、のちに離婚している。
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