表題にある「覚悟」という言葉が出てくるのは、物語の最終盤である。家族とともに会津に落ち延びようとする小栗に対し、権田村の名主佐藤勘兵衛が追ってきて、村に戻って欲しいと懇願する。小栗は官軍に殺されることを覚悟して村に戻ることを決意する。この姿を「逃げない。逃げるような卑怯な真似はしない。小栗はそういう覚悟のある生き方をしてきた。」と評する。
小栗と対照的に描かれるのが、十五代将軍慶喜であり、政敵である勝海舟である。あるいは松平春嶽や小笠原長行も小栗の「覚悟」を際立たせるための脇役である。
慶喜については「自己を飾ることと責任を回避することに終始した卑怯者」と一刀両断。海舟については「勝の主張は正しい。しかし、仮にも徳川の家来であるなら、二百数十年来の恩顧を考えるなら、なんとしてでも報わなければならないと、この時代のまっとうな倫理感覚の持ち主なら考えなくてはならない」と痛いところを突いている(個人的にはこのご意見にはまったく同感である)。
春嶽は「政治好きのとっちゃん坊や」、長行については「腹の据わりの弱さ、ひ弱さが窺える」とばっさり切り捨てる。小説上の演出ではあるが、小栗が優れた人物で、ほかはダメ人間という色分けがあまりにはっきりし過ぎていてややしらけてしまう。人間というのは、長所短所を合わせ持った生き物であり、徹底的にダメなんていう人間はそういないし、常に正しい判断をできる超人など実在しない。
たとえば、文久元年(1861)のロシアのポサドニック号による対馬占拠事件である。その年の四月、外国奉行にあった小栗は現地に急派される。小栗はさっそくビリレフと対峙するが、老獪な応答に翻弄される。終には半ば切れて帰京を決める。小栗はかくなる上は武力対決しかないと腹を括ったとされる。
対馬露寇事件は、安藤信睦老中の要請を受けたイギリスの軍事圧力を受けてロシア艦隊が立ち去り、解決を見た。筆者は「幕末もこの時点ではまだ幕府に威があった。九州の諸侯に動員をかけてかけられぬこともなかった。そのうえでロシアと戦えば、府中をはじめとする町は焦土と化しても、陸地でのゲリラ戦に持ち込めば五分以上に戦えたろうし、文永・弘安の役のときのように幕府を中心に国は一本にまとまることができた。無傷ですんだということでは安藤の対応・対策のほうがよかったということになるが、結果は、どう見てもその場しのぎであり、幕府からいえば絶好の機会を失したことになる」と、飽くまで小栗の肩を持つ。しかし、ロシアと武力衝突となると、最悪の場合、対馬を奪われる可能性もあった。私には大局的に見て安藤老中の判断の方が正しかったように思えるのである。
ポサドニック号事件の対応に限らず、小栗の主張は、常に武断的であり、武力に訴えることが多い。それは「小栗が終始「徳川家の復権」を座標軸において行動した」からであるとする筆者の見解に同意。その小栗が戯れ言であっても横須賀の製鉄所(今でいうドック)建設にあたって「土蔵付売家云々」と口にしたというエピソードに対し、筆者は疑問を投げかけている。確かに「らしからぬ」発言であることはご指摘のとおりである。あるいはこの逸話は栗本鋤雲の脚色・創作かもしれない。
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