(専福寺)
新宿6‐20‐9に所在する専福寺の吉岡家墓地に大蘇芳年(たいそよしとし)の墓がある。絵師としては月岡芳年の名の方が知られているかもしれない。
専福寺
大蘇芳年之墓
大蘇芳年は、天保十年(1839)の生まれ。父は町医吉岡金三郎。長じて月岡雪斎の養子となった。嘉永三年(1850)、歌川国芳の門に入り浮世絵を学び、芳年の画名を与えられた。菊地容斎の「前賢故実」の感化を受けて歴史上の人物を描くのを得意としたが、北斎の影響を受け、また洋画法を摂取して歌川派を脱し、画風は多様な展開をみせた。維新前後においては、長州征伐、彰義隊戦争、西南戦争など時事版画を多く製作。明治十一年(1878)頃からは、新聞挿絵に活躍し「真砂新聞」「絵入自由新聞」「自由の燈」「やまと新聞」などに健筆を振るった。大蘇の号は、強度の神経衰弱から快癒した明治六年(1873)以降から使用した。晩年は種々の災厄を受けて発狂し、明治二十五年(1892)、不幸のうちに没した。年五十四歳。
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