三澤敏博氏よりメールが届いた。
「ここ最近、二冊ほど幕末関係の書籍を出版したのですが、 なかなか一般の書店で入手できるものでなく、よろしければ、献本させて頂きたいのですが、いかがでしょうか。」
お断りする理由があるはずもなく、喜んでお受けさせていただく旨、返事を送ったところ、ほどなく二冊の分厚い本が届いた。「越後新潟幕末維新グルメ物語」と「勝海舟関係写真集」という二冊の書籍である。驚いたことに合わせて一万円という高額なものであった。お言葉に甘えて頂戴してしまったが、恐縮してしまった。これは心して読まなくてはいけない。
もとより、花粉が舞うこの時期はあまり外出できない体質の上に、折しも新型コロナウイルス感染拡大防止対策ということで、家にいる時間が長くなった。まず「越後新潟幕末維新グルメ物語」から手にとった。読み始める前は、そのタイトルから推して前書「江戸東京幕末維新グルメ」の続編かと思っていたが、その取材の深さ、こだわりの強さは、前作を遥かに凌いでいる。読む前には「せっかくだから、全国の幕末維新グルメ本を出せば」などと無責任なことを思ったが、「あとがき」によれば本書の取材には約五年を費やしたというから、このペースで四十七都道府県を取材していたのでは一生かかってもシリーズの完結を見ることはできないだろう。でも、東京編、新潟編に続く作品も読んでみたいところである。
結果からいうと、私は本書を一度読んだ後、もう一度読み返した。二回目は地図を見ながら精読した。それほどはまってしまった。
本書の舞台は新潟県である。県下では北越戦争の激戦が交わされた。今も至る所に史跡が残っている。本書はそういった史跡を紹介しつつ、その周辺に在る老舗の菓子屋や醸造元、料亭などを紹介する。私も小千谷を訪ねた際に、河井継之助と二見虎三郎が小千谷会談決裂の後、昼食をとったといわれる料亭「東忠」は訪ねたが、それでもその前で建物の写真を撮った程度であり、そこで食事をとるというところまで思いもよらなかった。
普段も、お昼は会社の地下の食堂で一杯二百四十円の蕎麦で済ませている。同僚からは「いつも同じものを食べているけどよく飽きないね」と呆れられているが、別に蕎麦が好きだというわけではなく、定食コーナーより行列が短いから並んでいるだけなのである。食事が終わったら、さっさと外に出て職場から行ける増上寺、愛宕神社、青松寺や浜離宮庭園などを歩いている。
こんな調子だから、史跡の旅でも食事抜きかコンビニのおにぎりで済ませてしまうのが常で、昼食に十分も時間をかけることはないし、二千円や三千円も払ったことなど一回もない。本書を読んで「それでは現地を訪ねる楽しみを半分捨てているようなものだよ」と教えられた気分である。
一章を割いてサッポロビールゆかりの中川清兵衛(与板出身)を紹介しているのも嬉しい。明治二十四年(1891)、中川清兵衛が札幌麦酒会社を退社した経緯は、本書で初めて知った。
本書では、明治天皇が明治十一年(1878)九月、新潟県下を行幸した際の足取りを細かく紹介しているのが特徴である。「明治天皇を崇敬し、研究をつづけている」という筆者の明治天皇への傾倒ぶりが伝わってくる。
明治十一年(1878)というと、明治政府は前年鹿児島の反乱を鎮圧し、戊辰以来ようやく一定の安定を迎えた時期である。天皇を中心とした国民国家の形成を急ぐ明治政府にとって、天皇巡幸は重要なイベントだったのである。同年五月には維新以来政府を支えてきた大久保利通が暗殺されるという非常にショッキングな事件が起きたが、それでも天皇の北陸・東海道巡幸は計画とおり敢行されたのである。
明治天皇はどこでも熱狂的な歓迎を受けたが、越後諸藩は大半が戊辰戦争で反政府側であった。それだけに明治天皇の聖蹟は他県と比べて数も多いし、丁寧に保存されている印象を受ける。
我々は歴史的事件や人物と時間を共有することはできないが、その場所に立つことで空間を共有することはできる。これが史跡を訪ねる楽しみである。所縁の店で明治天皇や河井継之助らが味わった料理やお菓子やお酒を食べることは、歴史的人物との「味覚の共有」というもう一つの楽しみがあるのである。久しく新潟県の史跡から遠ざかっているが、本書を片手に「もう一度新潟を歩いてみよう」という意欲が高まってきた。一日も早くコロナ騒動が収まってくれることを祈るばかりである。
なお、非常に細かいことで恐縮だが、明治十一年(1878)九月十二日に、三条市で明治天皇が休憩をとった場所は、「妙法寺」ではなくて「恕法寺」が正しいと思われる。細かいことですが…。
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