史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

千歳烏山

2009年02月07日 | 東京都
(妙高寺)


妙高寺


従三位子爵水野忠弘之墓(左)
従四位水野忠精之墓

 山形藩主水野忠精、忠弘父子の墓である。水野忠精は有名な水野忠邦の実子で、弘化二年(1845)、忠邦が失脚すると同時に家督を継ぎ、同年浜松から出羽山形五万石に転封された。幕府奏者番、寺社奉行を歴任し、文久二年(1862)には老中、外国御用取扱を命じられた。慶応二年(1866)職を辞して家督を長子忠弘に譲るが、明治元年(1868)朝廷の命により上洛して一時軟禁された。明治十七年(1884)江戸田町邸にて没した。五十三歳。
 忠弘が家督を継いだのはわずか十一歳のときであった。明治元年(1868)父とともに上洛して勤王を誓約したが、戊辰戦争にて山形藩が新政府軍に反抗したことをもって謹慎を命じられた。間もなく許されて山形藩知事となった。明治三十八年(1905)、年五十にて没。

(浄因寺)


浄因寺


舊福岡藩 戊辰戦役 戦病死者 旌忠碑

 同じく千歳烏山の寺町にある浄因寺には、戊辰戦争で犠牲となった福岡藩兵の忠魂碑がある。碑の裏側には犠牲者の名前が刻まれるが、うち半分は姓を持たない。この碑は大正年間になって建立されたもので、この碑の建設には福岡出身の右翼の巨魁頭山満も関わっていたようで、建設世話人の中に頭山の名を見ることができる。

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