史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

梅島 Ⅱ

2017年10月20日 | 東京都
(梅田神明宮)


梅田神明宮


教祖之碑(禊教師井上正鐡碑)

 梅田神明宮は、慶長年間の創建と伝えられる。明歴あるいは宝暦年間の江戸の大火にて芝神明宮が類焼した直後、神明社として建立され、のちに梅田神明宮と改称された(足立区梅田6‐19‐4)。
 天保十一年(1840)、井上正鐡(まさかね)大人が神主に就任し、息の行法をもって神道の極意を伝え、大名から庶民に至るまであらゆる階層の人々が入門して教えを受けた。正鐡は禊教教祖として崇められて、梅田神明宮に祭神として祀られている。正鐡によって伝えられた神道行法も、今に伝えられている。井上正鐡は天保十三年(1842)、幕府滅亡を予言するような言動を理由に三宅島に流され、嘉永二年(1849)、現地で没した。

(梅島稲荷)


梅島稲荷

 梅島稲荷(足立区梅田5‐9‐5)の本殿の右手奥に井上正鐡の墓がある。左手には正鐡の妻安西男也の墓が並べられている。
 なお、正鐡の墓は、梅田稲荷のほか、谷中霊園と没地である三宅島の三ヶ所にある。


井上正鐡大人之墓

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