(南面岡公園)
三倉鼻公園の地蔵
三倉鼻公園から南面岡公園の地は、八郎潟を眼下に見下ろす景勝地であった。八郎潟は、かつて琵琶湖に次ぐ国内二番目の大きさを誇る湖であった。東西十二キロメートル、南北二十七キロメートルという広大な湖の干拓事業が始まったのは、昭和三十二年(1957)のことで、以来二十年の歳月を費やして事業が完遂された。三倉鼻公園の山頂からは、埋め立てられた八郎潟を見ることができるが、今そこに大きな湖が広がっていたと想像することは難しい。
八郎潟
南面岡(なづらおか)公園
南面岡碑銘
三倉鼻公園からJR奥羽本線の踏切を越えると南面岡公園がある。公園の入り口に近い場所に南面岡碑銘が建つ。題字は、明治天皇の巡幸に随行していた有栖川宮熾仁親王。明治天皇が当地に滞在した明治十四年(1881)九月十四日からわずか二カ月後に建てられた。明治天皇がこの地を訪れた日、朝から風雨が強かったが、真坂に到着した頃、ようやく雨が上がった。
さらに公園の奥には、明治天皇行在所跡碑が建てられていたが、何故だか台座のみが残されていて、石碑は影も形もなかった。
明治天皇行在所跡碑
小松宮殿下御手植之桜
踏切を三倉鼻公園に戻ると、左手に芝地があり、子規の句碑や小松宮、閑院宮の手植記念碑がある。石碑に刻まれたところによれば、小松宮殿下がここに桜を植えたのは、明治三十四年(1901)九月のこと。
正岡子規句碑
秋高う入海晴れて鶴一羽 子規
(清源寺)
明治十四年(1881)九月十四日、明治天皇は東北御巡幸の際、八郎潟町(旧・一日市村)の清源寺に宿泊した。そのことを記念して、清源寺前には明治天皇行在所記念碑が建てられている。巡幸から五十年を記念して、昭和五年(1930)九月十四日に建立されたものである。
清源寺
行在所では、鉱石類や稲穂が陳列されるとともに、献上された鈴虫が夜の御座所の庭に放たれたという。
明治天皇行在所記念碑
観農嘉蹟
観農嘉蹟碑は、明治天皇御巡幸の際、畠山善太郎が稲刈りを天覧に供したことを記念に建立されたものである。この石碑は、昭和三年(1928)十一月十四日、善太郎の息女畠山登美恵が、停蹕された大道一番地に建てたが、のち清源寺前に移建された。
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