(正燈寺)
正燈寺
桂川家之墓
地下鉄の駅でいえば、入谷駅からほど近い住宅街の中に正燈寺がある。
正燈寺墓地に医師桂川家の墓がある。桂川家は桂川甫筑を家祖に持つ医家の名門である。その分家筋に当たる甫純は、明治四年(1871)に留学生として派遣された五人の少女の一人、上田悌子を妻に娶った。上田悌子は、留学後一年で病気により帰国した(ホームシックだったという)。悌子は甫純との間に二男四女をもうけている。女子留学生の中ではもっとも長生きし、昭和十四年(1939)八十五歳で世を去った。『明治の女子留学生』(寺沢龍著 平凡社新書)によれば、正燈寺の桂川家の墓に葬られているらしいが、墓石にその名前は無い。
正燈寺
桂川家之墓
地下鉄の駅でいえば、入谷駅からほど近い住宅街の中に正燈寺がある。
正燈寺墓地に医師桂川家の墓がある。桂川家は桂川甫筑を家祖に持つ医家の名門である。その分家筋に当たる甫純は、明治四年(1871)に留学生として派遣された五人の少女の一人、上田悌子を妻に娶った。上田悌子は、留学後一年で病気により帰国した(ホームシックだったという)。悌子は甫純との間に二男四女をもうけている。女子留学生の中ではもっとも長生きし、昭和十四年(1939)八十五歳で世を去った。『明治の女子留学生』(寺沢龍著 平凡社新書)によれば、正燈寺の桂川家の墓に葬られているらしいが、墓石にその名前は無い。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます