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史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

坂東

2016年08月20日 | 茨城県
(高聲寺)


高聲寺

 暑い日であった。茨城県坂東市には鉄道が通じておらず、公共交通機関としては路線バスがあるのみである。高聲寺に行き着いた時には汗が止まらなかった。


官軍先鋒 長門藩
田中甚吉藤原利一之墓


田中甚吉藤原利一之墓

 山門左手に長州藩田中甚吉の墓がある。大きな墓標の裏にある小さな墓石が本墓であろう。田中甚吉は長州藩装条銃足軽。第一大隊。慶応四年(1868)四月二十日、下総岩井における戦闘にて戦死。二十四歳。
 岩井で戦争があったことはあまり知られていない。田中甚吉は恐らく数少ないその戦死者である。

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寄居

2016年08月20日 | 埼玉県
(大日堂)
 松澤良作の墓を訪ねて、寄居の大日堂を訪問した。本堂に向い合うように松澤家の墓所があり、その一角に「松澤正景」と記された墓石が良作のものである。


大日堂


松澤正景(良作)墓

 松澤良作は、富田村(現・埼玉県寄居町)の出身。文久三年(1863)、清河八郎が画策した浪士組に参加し、江戸に帰還した。横浜異人街への焼き討ちを計画したが、清河八郎が幕府の手によって斬殺されたため、計画は頓挫した。松澤良作も、同志村上俊五郎、石坂修造、和田理一郎、藤本昇、白井庄兵衛らとともに捕縛されそうになったが、唯一人重囲を脱して生き延びた。明治十二年(1879)八月、六十一歳で死去した。

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前橋 Ⅵ

2016年08月20日 | 群馬県
(大胡)


大前田英五郎の墓

 先日、大前田の大前田英五郎の墓を訪ねたところであるが、同じ前橋市内大胡の墓を訪問した。最寄駅は上毛鉄道の大胡(おおご)駅。向町の交差点の少し東側に墓地があり、その前に「大前田英五郎の墓」と記された大きな石碑が建てられている。向町は大前田英五郎が屋敷を構えた場所である。
 この墓石にも大前田の墓と同じく、英五郎の戒名「歓広院徳寿栄翁居士」と刻まれている。


大前田英五郎像

 墓の横には英五郎の石像や事歴を刻んだ過去碑、座像を浮き彫りにした碑も建てられている。英五郎の辞世の句

 あらうれし 行先とほき死出の旅

(三夜沢赤城神社)
 三夜沢(みよさわ)赤城神社は、赤城信仰の中心をなし、長い歴史をもつ。明治二年(1869)に建造された本殿や中門、拝殿はいずれも県の文化財に指定されている。


赤城神社


石燈籠

 ここに大前田英五郎寄進の石灯籠があるというので、参道の燈籠を一つひとつ確認して歩いたが、特定することはできなかった。鳥居を入って右手の石灯籠には大前田村の文字が刻まれていたので、取り敢えず「参考記録」ということでご了承願いたい。

(産泰神社)


産泰神社


大前田英五郎寄進の石燈籠

 産泰(さんたい)神社は、安産祈願、七五三、お宮参りなどで賑わう。参道の一番下の石灯籠には大前田英五郎の本名である「田島英五郎」という名前が寄進者の一人として刻まれている。

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