(ハトヤ瑞鳳閣)
此付近 新選組最後の洛中屋敷跡
京都駅の近く、ハトヤ瑞鳳閣というホテルの前に最近「新選組最後の洛中屋敷跡」という石碑が建立された(下京区西洞院通塩小路角)。
慶応三年(1867)六月、新選組は「七条堀川下る」に新しい屋敷を構え、入居した。正確な場所は特定できていないが、「此付近」であることは確実のようである。同年十二月の王政復古、それに続く鳥羽伏見の戦争により、新選組は京都を離れることになる。従って、新選組がこの地に本拠を置いたのは、半年余りのことであった。

此付近 新選組最後の洛中屋敷跡
京都駅の近く、ハトヤ瑞鳳閣というホテルの前に最近「新選組最後の洛中屋敷跡」という石碑が建立された(下京区西洞院通塩小路角)。
慶応三年(1867)六月、新選組は「七条堀川下る」に新しい屋敷を構え、入居した。正確な場所は特定できていないが、「此付近」であることは確実のようである。同年十二月の王政復古、それに続く鳥羽伏見の戦争により、新選組は京都を離れることになる。従って、新選組がこの地に本拠を置いたのは、半年余りのことであった。