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史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

西麻布

2013年04月12日 | 東京都
(長谷寺)


會津老職西郷近光之墓

 西郷近光は、会津藩家老。西郷近思の父、近悳の祖父である。傍らには西郷頼母の長男保科吉十郎有鄰(ありちか)の墓もある。


保科有鄰墓

 戊辰戦争において西郷家は一家自刃という悲劇に見舞われたが、長男吉十郎はその前に家を脱して入城した。さらに父頼母に連れられ城を出て、仙台から箱館へと向かった。明治十二年(1878)二十三歳で病没。


小森駿馬之墓

 小森一貫斎の墓を探して再び長谷寺の墓地を歩いた。結局、発見には至らず、小森駿馬(一貫斎の長男)の墓を見つけただけであった。小森駿馬は、明治四十四年(1911)に没している。

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青山霊園 補遺 Ⅲ

2013年04月12日 | 東京都
(青山霊園 補遺 Ⅲ)

1種ロ8号53側


大竹喜三郎
舊吉川邸墓地改葬 合葬之墓
吉川惟足大人 大竹喜三郎外三十五霊

「幕末維新全殉難者名鑑」によれば、大竹喜三郎は、六石二人扶持。青竜足軽一番杉田隊。慶應四年(1868)五月一日、磐城で戦死。四十六歳。

1種ロ9号4側


蘆澤直保
蘆澤直道
蘆澤直保之墓

蘆澤直保は、会津藩士。慶應四年(1868)会津城下甲賀町口で負傷、同年九月19日城内で死去。五十六歳。墓碑によれば八月二十三日に甲賀町郭門で戦死。

中央の墓は、蘆澤直道のものである。蘆澤直道は、直保の息。戊辰戦争ののち、陸軍少尉兼二等少警部として西南戦争に従軍。明治三十七年(1904)、病没。

2種イ12号8側


斎藤甚左衛門
慶應三年八月廿三日於会津鶴城内没

「幕末維新全殉難者名鑑」によれば、斎藤甚左衛門は大工。墓碑とは日付が異なるが、慶應四年(1868)八月二十七日、若松城で戦死。七十三歳。
斎藤のぶ(墓碑では信子)は、甚左衛門の妻。慶應四年(1868)、八月二十四日、会津小田村にて戦死。六十四歳。



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