年末年始に実家に帰った際、父親から「読んでみるか」と渡されたのがこの本であった。少し前に評判になり、聞けば十万部を越えるベストセラーになったという本である。少し天邪鬼的かもしれないが、「売れた」と聞くとその途端読みたくなくなる。しかも、勝海舟に肩入れの激しい著者の描く「幕末史」である。読む前から中立な歴史を期待できないのは自明であった。
冒頭、筆者は「反薩長史観」であると吐露しているが、読み通してさほど強烈な「反薩長史観」だとも感じなかった。戦前の薩長史観教育に慣れた眼からすれば、「反薩長」ということになるのかもしれないが、むしろ「親・勝海舟史観」と呼ぶべき論調である。
たとえば、途中、「皇国」という言葉について筆者が語る場面があるが、当時の志士たちが、後の時代と比べればさほど天皇に対して敬意を抱かず、「玉」としか認識していなかったという説である。これについては、特に違和感はなかった。
「坂本龍馬には独創的なものはない」という反語的な表現も見られる。確かに大政奉還論は、そもそもその数年前に大久保一翁が唱えたものであるし、船中八策にしても横井小楠や勝海舟のアイデアの寄せ集めと言えなくは無い。しかし、大政奉還や船中八策を主張した、その絶妙のタイミングは天才のみが見抜けるものであろう。加えて亀山社中という組織を作り活動したことなどは、同時代の誰もやらなかった将に独創的事業である。私は、昨今のマスコミでもてはやされているような英雄にして好男子の坂本龍馬像に賛同するものではないが、それでも坂本龍馬という人物が偉大だということを否定するものでもない。
「あとがき」でいう。これが筆者の一番言いたかったことかもしれない。筆者の「幕末史」には違和感を覚える場面が多かったが、この想いには、共感するところがあった。
――― 東軍の諸藩が弓を引いたのはあくまで薩長土肥にたいしてであって、天皇にたいしてではない。それなのに、西軍の戦死者は残らず靖国神社に祀られて尊崇され、東軍の戦死者はいまもって逆賊扱いでひとりとして祀られることはない。
冒頭、筆者は「反薩長史観」であると吐露しているが、読み通してさほど強烈な「反薩長史観」だとも感じなかった。戦前の薩長史観教育に慣れた眼からすれば、「反薩長」ということになるのかもしれないが、むしろ「親・勝海舟史観」と呼ぶべき論調である。
たとえば、途中、「皇国」という言葉について筆者が語る場面があるが、当時の志士たちが、後の時代と比べればさほど天皇に対して敬意を抱かず、「玉」としか認識していなかったという説である。これについては、特に違和感はなかった。
「坂本龍馬には独創的なものはない」という反語的な表現も見られる。確かに大政奉還論は、そもそもその数年前に大久保一翁が唱えたものであるし、船中八策にしても横井小楠や勝海舟のアイデアの寄せ集めと言えなくは無い。しかし、大政奉還や船中八策を主張した、その絶妙のタイミングは天才のみが見抜けるものであろう。加えて亀山社中という組織を作り活動したことなどは、同時代の誰もやらなかった将に独創的事業である。私は、昨今のマスコミでもてはやされているような英雄にして好男子の坂本龍馬像に賛同するものではないが、それでも坂本龍馬という人物が偉大だということを否定するものでもない。
「あとがき」でいう。これが筆者の一番言いたかったことかもしれない。筆者の「幕末史」には違和感を覚える場面が多かったが、この想いには、共感するところがあった。
――― 東軍の諸藩が弓を引いたのはあくまで薩長土肥にたいしてであって、天皇にたいしてではない。それなのに、西軍の戦死者は残らず靖国神社に祀られて尊崇され、東軍の戦死者はいまもって逆賊扱いでひとりとして祀られることはない。






