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史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

銀座

2009年03月07日 | 東京都
(銀座六丁目 松坂屋前)
 新橋に勤めていながら、何故か銀座は縁遠い街である。特に用事がないのである。
 休日出勤したこの日、春の陽気に誘われて銀座を歩いてみることにした。街にはたくさんの人が溢れていた。


商法講習所跡

 明治八年(1875)、駐米日本代理公使を終えて帰国した森有礼が、渋沢栄一、福沢諭吉、大久保一翁(当時の東京府知事)の協力を得て設立した私塾である。その後、改称、改編を繰り返し、一橋大学に発展した。

(木村屋)
 銀座四丁目にある木村屋総本店に掲げられている「木村屋」の大看板は、山岡鉄舟の揮毫によるものである。明治八年(1875)、明治天皇が向島の水戸徳川家下屋敷に行幸の折、当時侍従を務めていた山岡鉄舟より、木村屋のあんぱんが献上された。天皇、皇后両陛下は非常に気に入り、引き続き上納するようにとの栄誉を賜った。


木村屋

(銀座二丁目 東京銀座通電気灯建設之図)


東京銀座通電気灯建設之図

 銀座二丁目の交差点近く、ビルの壁面に目立たぬレリーフが埋め込まれている。明治十五年(1882)十一月、当地に初めてアーク灯が灯され、銀座に不夜城が現出した。当時の模様を描いた錦絵を彫刻したものである。

(銀座一丁目 煉瓦銀座之碑)
 明治五年(1872)二月、火事により銀座は全焼した。延焼は築地にまで及んだという。当時の東京府知事由利公正は、銀座全域にわたって燃えにくい煉瓦造りで再建することを建言し、政府はこれを容れて煉瓦造り二階建てアーケード式洋風建築を国費で建造した。煉瓦銀座之碑の床面に敷き詰められた煉瓦は当時使用されたもの、背後に建っているガス灯の灯柱も明治七年(1874)製の実物を使用し、当時の灯具を忠実に再現したものである。


煉瓦銀座之碑


ガス灯

コメント
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