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これが私の生きる道

こむずかしいことやきれいごとは
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報道することに意義はない

2006年04月25日 22時13分15秒 | 思うこと
 岐阜の中学生の女の子が殺害された事件、
そのものにはあまり興味がありませんが
その報道の仕方には疑問があります。

 それは被害者が生前に書いていたブログの内容を
事細かに紹介していることです。
あれを聞いていると彼女の方にも落ち度があるみたいな
煽りかたをしているように感じられて仕方ありません。
 あの報道をきいて、中学生なのに付き合っている、
しかも高校生となんて、みたいな思いは正直あります。

 でもこれが事実だとしてもここまで明かす必要がどこにあるのでしょうか。
これを事件とは直接関係のない我々のようなものが知って
誰が得をするというのでしょうか。
昨日の山手線が運休した理由なんかは
企業にプレッシャーをかける上でも
詳細に、それこそ掘り下げて報道してもらいたいですが
今回の事件、しかも被害者のプライベートを赤裸々に語ることに
何の意味も見出せません。

 報道するほうは「言論の自由」とか「事実を伝える使命」だとか
を御許にして当たり前のように流していますが
要は事件は数字をとるための道具にしか考えていないのでしょう。
警察もこんなことを情報として出しているのはおかしいと思わないのでしょうか。

 大体、死人にくちなしの風潮は相当強いです。
加害者にはプライバシーだ、人権だ、で保護されるのに
被害者に対しては何でもあり、の状態です。
 死んでからもあの世からこちらを見ている、なんてことは
露ほども信じていませんが、
人間としてそういうことをするのは最低だと思います。

 死刑になって当然の事件を担当する弁護士は
あんなに勉強してその職業について
加害者を救って己の良心が傷つかないものなのでしょうか。
いくらそれで成功してもどうしようもないなぁって思います。

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