夢発電所

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幼少時の記憶から~家屋構造

2010-01-26 07:34:02 | つれづれなるままに
 幼少時の実家のあり様が、脳裏に焼きついて消えない「原画」がある。村の中ではかなり大きな農家だった。屋号は「小林」といって、村の庄屋から譲られた屋号らしい。戊辰戦争で敗走する「長岡藩」河井継之助らが陣屋を張ったのは二軒と聞く。一軒は庄屋で、もう一軒が小林家であったとか。
 私の記憶の中の実家は、二度目の建築らしい。雪深い新潟にあって、不思議の一つは瓦屋根であることだろうか。二階家で鬼瓦も鬼門に葺かれていた。正面玄関と勝手口とがあり、客人でないと正面玄関からは入らない。
 勝手口から居間に入ると、まず右手には囲炉裏や竈で使用する薪置き場があった。そして20畳ほどのスペースには、煙抜きのある囲炉裏があり、自在鍵が囲炉裏に下がっている。五徳には鉄瓶が置かれていて、囲炉裏の四角い木枠はいつも黒光りしてきれいだった。
 掘りごたつが一つ囲炉裏の脇にあり、冬場は納豆作りのための大きなツトが藁で編まれ茣蓙様のものに巻かれて掘りごたつの一画を占めていた。
 ツト納豆といえば、自家製の納豆はなかなかおいしいのだが糸を引きにくく、食べるときは粗塩を入れてかき回していると、白い糸を引いてくるのを熱い炊き立てのご飯にかけて食べていた記憶がある。勿論台所には竈があって二つの丸いつば釜が入るように並んでいた。このつば釜で炊くご飯は手間がかかるが、釜の下側にできるおこげが絶品だった。祖父は「早起きは三文の得」といって、早朝に目覚めるわたしに祖母が塩味のおにぎりにして食べさせてくれた。

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