夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

古の道を

2013-12-12 07:04:04 | 私と福祉とであいの旅
12月12日(木)

 昨日の午前中は、弘前大学農学部の学生さんの卒論取材のお付き合いでした。千葉県出身の彼は今年四年生で、卒論も大詰め。テーマは「お山参詣と農業」?だったかな???

 お山参詣の実行委員長は私の隣家の町会長さん。卒論の彼は弘前大学で登山囃子のクラブに加入しており、二年間で難しい笛をかなり上手に吹けるようになって、今年参加してくれました。驚異です!

 彼は千葉県銚子市出身で、卒業後は市役所勤務が内定しており、土地改良の仕事につくとか・・・。

 65年ぶりに復活を遂げた「お山参詣」は、何故実現したのか・・・。それがきょうの取材だったようです。タップリと朝10時から12時まで2時間の取材に付き合って、私も色々学びました。町会長さんは現在76歳で、白山姫神社氏子代表、当地区の社協会長、特別養護老人ホームの理事長など務める傍ら、自宅の生業はリンゴ農家で多忙なようです。
 小学生(昭和22年当時11歳)だった町会長さんの記憶の中にあるお山参詣のお話は、65年間忘れることなく、いつか自分もお山参詣を町会で実施しようと思い続けてきたようです。
 戦争中はもちろんお山参詣などできるわけもなく、林檎の木も伐採令が出されて、野菜の作付けを推奨されたとのこと。米もお国のために供出させられて、大変な時代だったようです。
 戦争も終わり、人々はようやく終えた暗黒の時代から開放された安堵感から、お山参詣を挙行したようです。そのお話の中で登場した、亡き義父も当時はまだ青年時代だったようです。18歳から20代の青年団の人たちが中心となって、お山参詣を実施したとのこと。
 当日は大雨で約3時間がかりのお山参詣は、牛車も動員して行われたとか・・・。

 現在の社会状況と違う点がこの辺にありそうです。現在の社会には、ないものがないという物余り状態です。敗戦後から復興期は、なんにもない時代で空腹の時代だったように思います。だからこそ、物のありがたみが分かり何度も何度も修理をしては使い回していたのです。テレビもない代わりに、青年団活動が活発で、楽団と称して若者が楽器を手に演奏して歩いたりで楽しんでいたそうです。宴会も、手拍子一つで楽しめた時代であり、囲炉裏では家長がお茶をいれるなど、客の接待をした時代です。
 
 町会長さんのお話では、来年も是非続けたいという思いを語っていました。しかし、今の60代は精神的に疲労感が強いのか、諦めにも似た厭戦ムードが強いのです。
 私もこの「お山参詣」という行事を通じて、町会住民が一つのことを継続することがこれからの町会を担う力だと思っています。さて、どうなることでしょう。

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