夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

引越し その1 新宿下落合から

2010-03-04 06:59:48 | つれづれなるままに
 昨日は職員が増えてきたので、スタッフの部屋を確保するために終日汗を流していた。私はkの部屋の模様替えが嫌いではなかったから、こういうときには活躍している。なんといっても目先が変わると、生活にも変化が感じられ気分がよい気がする。
 
 私は学生時代から、引越しをする機会が多い方だった。上京して兄の住んでいる新宿下落合に下宿し、その後日大医学部のそばの大山、常盤台、そして最後は青梅市である。青梅でも三度引越しをした。
 学生時代は先輩の卒業と同時にその部屋に転がり込むことが多く、そうすることで家具が増えていった。地方から出てくる学生にとって、帰郷するときに家具を送ることはお金がかかることにつながる。どうせなら後輩にその家具を上げたほうが気分もよいし、自分も助かる。
 部屋の模様替えも引越しよりも規模としては小さいが、折々の気分転換にはなった。それぞれの部屋には、それぞれの思い出が残った。新宿の下宿屋は4条という変則的な部屋で、兄と二人ですむには狭すぎた。しかし兄とはほとんど部屋で一緒になることはなかったから、その狭さは快適なものではあった。下落合は西武新宿線の高田馬場駅の次で下車する。駅から高台にその下宿屋はあり、学生が4人ほど下宿しており、賄いは付いていなかった。閑静な住宅地で庭もあり、散歩するにはとても自然も残されていて気持ちがよかった。この下落合駅の反対側には、早稲田大学の学徒援護会館があった。アルバイトを探すにはまずこの会館に足を運ぶと様々な職種を目にすることができた。それに食事も定職で一番高いものでも一食が120円と割安だったから、結構足しげく通った記憶がある。しかし、もっと通ったのは駅前の食堂だった。まだ友達も余り居ないころだったから、この食堂の若いお姉さんが美しく見えた。遠景のような淡い恋愛感情で、幸せな時代でもあったと思う。
 少しこの町に慣れてくると、結構歩く距離が増えた。早稲田大学に向かう道路の両側には古本屋が立ち並んでいて、格好のウインドウショッピングが楽しめた。それに映画も100円で3本も見られたのだ。西部新宿駅でおりると、その目の前には歌声喫茶「灯」があり、お金があればたまにここで、隣同士仲良くなって歌を歌った。今はやりのカラオケにはない、文化の香りがした。当時は芹洋子や「出発の歌」でおなじみになった上條恒彦らが黒人霊歌などを歌っていたのだった。
 

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