夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

人生の分岐点

2010-01-30 09:11:01 | 私と福祉とであいの旅
 26歳のわたしは、東京から一家で岩木に引き上げて来たのはいいが、内定していた就職先の身体障害者療護施設が開所の年を一年延期したことがわかった。情報をもう少し早く提供してもらえれば、前職を辞めずにすんだのだが、結局あとの祭りだった。プータロー生活が一ヶ月ほど続いて、職業安定所通いが続いた。当時の職安は弘前城公園内の東側(今は土塁でその跡形は見えない)で、かつて弘前警察署、現在の中南土地改良事務所の向かいから入り口があった。かつて陸軍の兵器庫とか聞いたが、古い建物で暗い室内の印象があった。
 私の仕事先を何とかしようと、亡義父と義母は自分の関係のあった伝の人を何人か紹介してくれた。
 一人は市役所の助役をしたN氏(既に亡くなられたが、社会福祉法人理事長も後半勤められた)で、もう一人の方は元弘前市の民生部長を勤められたT氏(故人)である。
その方々の紹介もあって、わたしは5月から弘前市の福祉事務所保護課(生活保護)医療係での嘱託職員としての職を得たのだった。
 
 昨日私の元へ、そのときにお会いしお力添えをいただいたT氏のひ孫に当たるMさんが、私とほぼ同じ年齢で東京からUターンして来て仕事を探して目の前に座った。私はその彼の話を伺いながら、自分の当時の状況と重ね合わせていた。
 聞けば彼は母子世帯で育ち、関東の大学に進学した。その後幼稚園に勤務し母を東京に呼び寄せようとしたが固辞され、結局彼が弘前に帰ることにしたというのである。母親を残しての東京住まいは、気がかりなのだろう。そのやさしさが妙に気になったのである。
 大学では児童学科に属して、絵本なども関心を持っている。前の幼稚園には障害児も一緒のインクルージョンクラスにいたという。まだまだ若い彼のこれからの人生を少し後押ししてみたいとそう思う今の私である。
 
 

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