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夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

ブルーベリーと人間関係

2008-04-10 08:19:10 | Weblog
 いよいよブルーベリー畑の土壌改良が始まった。後援会長Mさんは中学校を卒業し苦労の末に現在の自動車整備工場を軌道に乗せ、息子さんにバトンタッチしている。これまで14年間に渡り私が困ったときには、答えを探し出してくれた。それというのもMさんの人柄が多くの人々を勇気づけ、そしてMさんに報いようとしている。ヒューマンネットワークがMさんにはあるのだ。
 今回のこのいきいきファームという畑は6反7畝という広い土地ではあるが、その土壌の悪さといったら天下一品である。分譲住宅を造るために池だったところの土砂がここに運び込まれたものらしい。粘土質で乾燥するとがちがちに硬質化して、植物が育って行くには不適当といわざるを得ない。何でもいいから使ってくれといわれたのだった。一昨年に野菜畑にしようと黒土を投入したことはあるが、今回の場所はブルーベリーを栽培するためには、りんご栽培をしている農家の畑からより遠い場所にその場所を決めた。どうしてもスプレーヤの薬がかかるのは避けたかった。
 そんなときにブルーベリーおじさんと出会ったのだった。私がこの土地の悩みを話すと、「ブルーベリーは鉢でも育つのだから、極端にいえば舗装している場所に丸い穴を空けてそこにでも育つということだ」と言った。こうして私の腹が決まった。
 昨日Mさんにユンボとオペレーターを貸してもらえないかというと、早速昨日は仲間に声掛けしてくれてあっという間に溝ができあがっている。ここにJAからいただく籾殻を投入し、ピートモスを入れてブルーベリーを栽培することにしている。水はけを良くすることが今回の土壌改良の目的である。
 昨日はブルーベリーおじさんを尋ねてヒントをいただいた。それはキノコの菌床で古くなったものをピートモスの代わりに使っても良いということだった。障害者施設のR園に確認をとってもらったところ、ちょうど黒土と一緒にそれを混ぜて販売する準備をしていたということで、それを購入することにした。こうして少しだが難題のいくつかが解決していった。
 我々の福祉事業の対象者観にも相通じるものがここにもあるような気がした。それは、対象がどのような問題を抱えているのかという観察眼と、その対象者がどのような性質を持っているかとかいう特性を合わせて考え、もっとも自由に活き活きと伸びる芽を見いだすことである。そのためにはそれを取り巻く環境条件を整備し、根を張るための基礎としての土壌作りこそが最初に必要とされる。そこに専門性と熱情という活性剤が投入してこそ、その植物も人間も伸びることができるのだろう。
 
 

第2回 ボランティアスクール打合せ会

2008-02-16 08:17:27 | Weblog
 長崎にいる大学時代の後輩でお米屋さんをしているTさんから、長崎県の授産施設で作っている「うどん」が届いた。Tさんは本当に優しいお人柄で、大学時代のサークルで一緒だった仲間のことをいつも心配している。私も仲間と言っては当てはまりにくいが3年前に30数年ぶりに大学のサークルメンバーと再会してから、お付き合いが再燃し、りんごやりんごジュースなどの店頭販売などでいろいろお力添えをいただいている。

 さて、その「うどん」を試食する機会だ。昨夜は第2回のいわきふれあいボランティア会主宰のボランティアスクール「自閉症者の支援のあり方」を3月16日(日)に開催するのだが、その中で自閉症の方をわかりやすくするための寸劇の台本を「青森県自閉症支援研究会」代表のH氏が書いて来てくれた。それの読み合わせと手直しの打合せである。
 今までも福祉劇をやって来た実績のある我が施設スタッフは、慣れたもので夜の会合ではまず腹ごしらえから始まる。昨夜はこの長崎製のうどんをいただいた。なかなか汁も美味しく、うどんも腰もあり食感も良かった。本当はお握りと一緒にとも思ったのだが、そうだ家にはパンを売ることが必要なのだとパンを紹介し、見事全部完食した。

 寸劇は「イチロー」君の一日という設定で紹介し、自閉症の特徴をふんだんに盛り込んだ。とにかく笑いが必要だという私の押しで、かなりバラエティになった。
 実行委員全員(8名)がそれぞれの場面で出演し、会話も津軽弁でということになった。朝出勤時の横断歩道でのこだわり場面。横断歩道で「人の足型」にこだわって青信号になっても道路を渡れないイチロー君。バスに乗ってほかの席が空いているのに、毎日同じ席に座らないと気のすまないイチロー君は、他の乗客に嫌がられる場面。この場面ではビフォーアンドアフターの表現があり、アフターでは運転手さんが、「そこは座る人が決まっているので空けておいてくださいと」乗客に言う場面を設けた。イチロー君はバスのアナウンスよりも一つ先に自分でアナウンスをするので、乗客は二度アナウンスを聞ける。だから聞こえにくいお年寄りなども大助かり。
 コンビニでジュースを購入しようと立ち寄り、お金を支払う時には、お金の勘定に時間のかかる場面。パンの生産をする職場では、粉の計量で几帳面な特性を表現。昼食に立ち寄って軽食喫茶で、隣の人の水まで飲んでしまうイチロー。これもビフォーアンドアフターを取り入れた。
 帰り道の公園ではベンチで、腕まくりをしてリラックスしている人の服を直さないと気のすまないイチロー。

 この寸劇をこれから毎週練習することになった。準備をしながらみんなの頭の中には、イチロー君のイメージがほぼ出来上がっていった。役割分担をして、実行委員のそれぞれの持ち味がどのように示されるのだろうか。ちなみに我がスタッフS氏は女装のウエイトレス役を演じるのであるが、クリスマス会の女装が余りにもはまっていて再演が楽しみである。次回から台本の読み合わせと、アクションをつけて行なう。乞うご期待!
 

南風からの通信

2008-01-30 08:29:41 | Weblog
 ミスウインターが故郷沖縄の名護から、桜満開の知らせを送ってきてくれた。アーこれも日本だなと感じ入ってしまう。北の果ては白銀の世界なのだが、南海の島はもう春だ!
確実に確実に春は近づいているのだ。
 それにしても1月は超特急のように過ぎようとしている。来月8日は私と娘(次女マミミ)のバースディだ。なんという偶然なのだろうか。父と同じ日にこの人は産まれてきた。私を決して忘れないでね!とでも云わんばかりである。今朝も彼女の一番のお気に入りの電子ピアノで、私にマミーズジャズを聴かせてくれている。去年は11月に北海道に旅をした。今年はどこに行けるかな?雪が解けるまで白いキャンバスは私たち北国の民人に、雪解け後の夢を見せてくれている。

往く人来る人

2008-01-17 07:02:47 | Weblog
 北国の学校は冬休みが今ようやく終えかけていて、それでも学校によって1日から3日という始業日の違いがあるということに気付く。冬休みはとにかく朝から終日子どもたちの喚声のにぎやかさに包まれるのだ。こんなにも違う子どもたちのパワーだ。
 子どもたちの喚声と共に姿が見えなくなったのは、アルバイトのミスウインターだ。農場のオーナー夫人の話によれば、駅前の酒場で夜行バスを待ちながらお別れ会をやり、すっかり酔っぱらった彼女をオーナーが何とかバスの中に押し込んだという。朝方そんな彼女から無事に東京に着いたと連絡があったらしい。私の所にも、メールがあって、「東京は暑い!」というのが第一声だった。
 お昼近くになると昨年暮れに、胃の手術をした栄養士Yさんが元気そうな姿を職場に運んできてくれた。「無理しないで」というこちらの配慮も、彼女自身の若さでは今や飽きて仕方がないと言うくらいに、「時々来させて」と早速パソコンに向かっている。
 私は新年度の運営方針を一気に書き上げて、次に3月のボランティアスクールの起案をしたあとで、少し気分転換に事務室の喫茶コーナーの整理をし始めた。食器やコーヒーなどを分類整理して食器棚にきれいに並べた。この整理した棚がいつまでこのままなのかは定かではないが、これが新年の仕事始めの気分なのかも知れない。
 職業安定所から求人の応募に来た人の連絡が続く。たった1名の臨時職員の求人に、今や10名の応募者が来ているのだ。贅沢な悩みかも知れないが、この人たちの一人を選ぶのはなかなか難しく感じている。これも出会いの始まりなのだろう。
 
 

家族再会の旅 その5 キタキツネがお出迎え

2007-11-06 07:42:43 | Weblog
 高台のホテルに到着したところ、なんとホテルの前で出迎えてくれたのがこの写真のキタキツネでありました。なんだか逃げるわけでもなく、ゆったりとした歩みでホテルの玄関前を移動して私たちにその姿を存分に見せてくれました。
 それぞれが入浴をした後で、私たちの部屋が和洋室となっていたので集合して来ました。今夜が最後の夜です。お酒もたっぷりあり、みんなで思い思いのお酒を飲みながら、楽しい思い出話が展開しました。
 私の幼い頃の悪がきのエピソードを母がつい昨日のことのように話しました。「このひとは3歳くらいの時に真夏の年寄りが昼寝をしているすきに、裸で3キロくらいのところにある学校まで大きいぞうりを履いて歩いて来たことがあったんだよ。私は授業中だったので、小使いさんの家族に頼んで服を着せてもらったことが忘れられない・・・」
 そうです、この話は私の幼少時の勲章なのです。母を求めて三千里ならぬ、1里でしょうか?朝は早く学校へ行き、帰れば家族全体の家事などで深夜に眠っていた母に、かまってもらいたくての必死の行動だったのですから・・・。ま、それが私のきかん坊(わんぱく)だったという母の思い出の一つなのでしょう。
 旅行も楽しい時間だけに時間はどんどん流れて、もう後一日しかなくなりました。なんだか切ないですね。でも心配していた天候の方も、安定して快調です。
 明日も楽しむぞー!

家族再会の旅 その3 いざ小樽市へ

2007-11-05 22:17:23 | Weblog
 札幌から高速道路で1時間、小樽市に入った。土曜日の小樽運河付近は観光客、それも韓国人や中国人の洪水である。半分以上が東南アジア系の外国人であったかもしれない。
そう云えばススキノグリーンホテルも1泊6000円であり、食事や環境も充分なものであったから、外国人ならずとも人気があるのが伺える。

 〔参考〕小樽運河は、1923年(大正12年)完成までに9年の歳月を費やし、当時は全長1.3km 幅員40mの規模だった、一般的に「運河」と言えば陸地を切り開いて「水路」とするものが殆どで小樽運河の様な水路部分を残して海を埋め立てる方式の運河は極めて珍しいそうです。

 この運河沿いに立ち並ぶ硝子工芸品の店やオルゴール店、一番目立ったのが寿司屋通りでした。我が娘達には石畳が多い道を歩くのは、少し大変だったようです。止む無く観光案内所から車椅子を借りて歩くことになりました。運河通りはレンガ倉庫にシダなどが絡んで、素敵な色合いが川面に映って美しく感じました。お日様が出ていると、なんとかぽかぽかですが、少し雲に隠れると風が冷たく感じられて、車椅子の人など動かない人はかなり寒く感じたかもしれません。でも、観光地としては駐車料金なども良心的で、どこに停めても1時間200円程度ですから、安心でした。
 私たちは昨日の夜の宴ですっかり暴飲暴食の徒と化していましたから、お昼は午後2時近くにようやく回旋丼の店に入店し、またもや美味しい本場ならではの身の大きいホッケの焼き魚定食やら、ウニといくら丼などに舌鼓をうったのでした。おなかも満腹になって、珈琲屋さんに入って、女性群はまたもやケーキをいただき別腹とのたまっていました。かく云う私ももう入らないと思いながらも、女性群がトンボ玉の大正硝子店に入ってなかなか出てこないのをいいことに、娘と二人で金賞に輝いたという熱々のコロッケをまたもや食べていたのでした。(ゲップ!)おいしかったなあー!
 こうして私たちは目と胃袋を満たした後、「ホテルイノシュロス小樽」に向かったのでした。ホテルイノシュロス小樽は、小樽水族館の上の高台にあり、素敵な景観でした。
 私たち家族は和洋室で、ベッドと畳の部屋でした。部屋の窓からは、美しいオホーツクにつながる海が波しぶきを上げて、とても美しく見えました。夜はもう一度市内の寿司屋さんを予約していて、それまでみんなでお風呂に入ることにしました。
 お風呂は温泉ではないのですが、ゆったりしたお風呂で、足も伸び伸び伸ばせて、海も見える素敵なお風呂でした。
 

バリアフリー小噺 一郎の片思いは続く

2007-09-08 07:10:38 | Weblog
その1 印刷屋の娘さん

一郎  ハーッ。フーッ。ホーッ。

母   一郎君。ご飯も進まないし、そろそろ迎えの車が来るわよ!今日はデイサービス    行かないの?

一郎  行きたくなあい!ご飯も食べたくなーい。

母   ひょっとしてまたあれ、誰か好きになったの?
    今度の人はどこの人なの?

一郎  印刷屋の娘さん

母   その人のどこが好きになったの?

一郎  色白で、髪(紙)も切れ長で、全体にプリントしているところかなあ…


その2 牛乳屋の娘と旅行者の娘…

一郎  ハーッ。フーッ。ホーッ。へーッ。ヒー…。

母   一郎君。デイサービスの車が迎えに来たわよー。

一郎  頭が痛いから今日は休むって言って…

母   どうしたのよ.熱もないみたいじゃない。ひょっとして…。
    また恋しちゃったの?

一郎  わかる?眠れないの。胸も苦しい。

母   今度の人はどこの人?

一郎  牛乳屋の千鶴子さん

母   その人のどこがいいのよ?

一郎  いつもきれいにパックしていて、ミルク(魅力)たっぷりなところかな…

母   あなた、ついこの間も旅行社の人に毎日電話をかけていたじゃない

一郎  その人は旅行社だけに、トラベル(トラブル)続きだったもん。


パーカッションコンサート その③ 胡桃林コンサート開始

2007-06-29 06:44:12 | Weblog
 農場の中間に一つの寄り合いの場胡桃の林が広がっています。その傍には幅1m、深さ1.5mくらいの側溝が畑を縦断するように沢に続いています。この側溝は粘土質ですが、この側溝から湯ノ沢遺跡の重要な出土があった場所です。刀剣類も出たというので、縄文から弥生にかけての遺跡なのでしょうか?
 コンサートが今かと待ち構えていたあうんメンバー達が、すっかりなじみの奈良さんの姿を見て、「奈良さーん!!」と叫び、奈良さんは手を上げてこたえていました。そしていよいよ楽器の入っている箱から次々と、打楽器の数々が取り出され並べられて行きます。早速自閉症のT君が興味を示して、傍に接近します。でも奈良さんは平気です。なぜなら、奈良さんは楽器を参加者に自由に触れさせるという、とても嬉しい企画を実践しているからです。
 奈良さんが「これから始めます。自由な格好でゆったりと聞いてください」と挨拶をして、コンサートが始まりました。初めに「目を閉じてみてください」と奈良さんが云い、鐘を鳴らし始めました。鐘の周辺を撥のような鐘を叩く棒でこすり始めると、なんとも奇妙なキーンと響く不思議な音の世界の導入部です。参加者も自由に横になったり、目を閉じた状態で演奏を心で聞こうとしているかのようでした。
 胡桃林の中には夏の日差しがちょうど良く遮られ、木漏れ日と林の間を拭きぬける心地よい風が、奈良さんの演奏を支えます。小鳥達もなんだかいつもよりも沢山集まってきて、鳶も今回は初参加で、天空から「ピーヒョロロロ」と鳴いています。
 
 

フイリッピンの障害者福祉~FMラジオ出演

2007-06-09 06:34:46 | Weblog
 フイリピン・セブ島・マンダウエイ市から、研修生3名が今年もやって来た。今年で3年目の来弘である。今回は初回の10日間を2人の女性教師、後半を1人の男性教師という編成で、2人の女性教師は小学校教諭である。セブ島には30万人を超える人口があり、2人の勤務する学校も4,500人のマンモス校である。2人は生活介護・であいの家あうんの障害程度の重い人への介護や支援のあり方を学ぶほか、就労継続支援・ゆいまあるのパン製造と障害者指導について学ぶことになっている。
 その2人を伴って私が担当するFMラジオ「障害者福祉」の番組に出演していただき、フイリピンの障害者福祉などを語ってもらった。
 要約すれば、フイリッピンには福祉施設がなく、障害者(児童)は学校卒業後も学校にやって来る。(軽度障害者だが)
 日本のJICA・NPO法人クオレ(青森県)が、このフイリピンの福祉への貢献実践として、この学校へのパンの生産設備の寄付やパンを製造するための技術を向上させるために、日本(青森県)の福祉施設での3年間の研修を目的とした人材招請などの支援を行なっている。
 フイリッピンでは障害程度の重たい方々は、家庭内に隠されて生活していて、学校をはじめ社会での生活体験は考えられない状況のようだった。また、せっかくこうして日本などの障害者福祉を学んでも、その体験した教師などが高い給与のもらえる外国を目指していってしまうので、なかなか障害者福祉が育ちにくい環境があるなどの問題も示していた。
 日本とセブの違いについては、日本のことに青森県では(東京などの首都を除き)若者が少なくて高齢者が多いほか、日中を初め夜も静かである。セブではまったく逆で、若者が多く、夜昼となくにぎやかであることなども紹介された。
 彼女達は昨年まで、あうんの宿泊施設で滞在してきたが、今回は日本の生活や文化などを体験してもらうことを目的に、禅宗のお寺様で曹洞宗「勝岳院」さんに依頼してホームスティが可能となった。VIP扱いでお姫様のような生活をさせてもらって、感激していると語った。
 フイリピンでは入浴などは習慣としてなく、いつもシャワーだけのようだ。そのために、日本の温泉などに入ることに、とても抵抗感が強い。今回滞在先の奥さんが温泉に誘っているらしいが、どうなることだろう。
 30分間(正味25分間)のラジオ出演が無事に終わった。二人のうちヴァイオレッタさんは饒舌で、少しも緊張感が感じられなかった。もうひとりのシャルロットさんは逆にシャイで、ほとんど写真の彼女が話しを進めていた。
 ところでフイリピンも地球温暖化の影響なのか、夏は30度を越える日々だそうで、シーズン中に何人も死んでしまうらしい。通訳をしてくれたあうんのM事務主任は、フイリピンを訪問した経験をもつが、彼の話しでは冬でも暑かったという。そういう意味では、日本はとても快適だと話していたのがまた印象的だった。
 

年度末・忙中に閑あり

2007-03-28 07:03:03 | Weblog
 このところ寒さ以上に風が強く、車のドアも開閉が大変なくらいだ。これが春風といわれる東風(こち)なのでしょうか?予報ではきょうも気温は最低温度4℃で、最高温度は11℃ということだからかなり温たかになって、気象予報ではテレビのアナウンサーが「タイヤ交換もOK」とのたまっていた。本当だろうか?
 昨夜は職員会議があり、夜9:00まで事業計画や規程・規則の変更事項、倫理綱領、法人の運営方針などを説明した。
 それにしても、スタッフが3名、利用者1名がインフルエンザでお休みをしており、今ごろ津軽で流行している。予防接種をしてもしなくてもA,Bが外れれば、何にもならないらしい。それにこのところのタミフルという抗生物質がいろいろな子ども達への異常行動疑惑もあって、何だかいつもの春と違う気がしている。これも春の兆しの一種なのだろうか?
 朝からヘルパーへの説明やら職場でもバタバタしており、来客対応、電話応対、重症児を守る会の記念講演の準備関係、新任研修などで息をつく閑もないくらいだったが、午後1時間30分に思い切って施設から抜け出して、マッサージを施術してもらうために車を走らせた。昨年の自転車事故以来、右肩が回復せず、痛みと言うのか「ガタが来た」といった方がよいのかもしれないような、ちょうつがいの異変が身体全体に影響を及ぼしている。
 1週間に1回だが、鍼灸マッサージ診療所のベッドの人になって、Tさんとの会話が心のマッサージにもなっている。時々、眠りの淵に落ち込み、意識を失っては「眠っていましたよ」と言われることもある。私の体の筋肉の凝りを、彼の指はたちまち探り当てて、「何でこんなところが凝ってるのかなあ?」などといわれると、「あーそれは、酒の飲みすぎのための肝臓が、お疲れなのかもしれないねえ」などと会話している。心の疲れは会話でほぐすしかない。それもT君との掛け合いでの笑いを楽しむことで、クリアーな状態になるのだ。こうして私の生活習慣病の一端が癒されて行く。
 帰還後にはまた、新任研修とH学院大学の実習についてF先生が来て、実習の中身を打ち合わせている。3月もいよいよ残り少なくなってきた。
 
 ・東風吹いて雪代の川水嵩み勢いづいて年度変わりぬ