音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

ブラッド・レッド・スカイ=四騎= (U2/1983年)

2012-02-24 | ロック (ヨーロッパ・その他)


U2は私と同世代のバンドであるからデビューのときから大変注目していた。結成はメンバーが皆16歳だった1976年。高校の掲示板にラリー・マレン・ジュニアが、バンドメンバー募集の貼り紙を掲出、これを見たポール・ヒューソン(ボノ)、アダム・クレイトン、それにエヴァンス兄弟(兄ディック、弟デイヴ(ジ・エッジ))が反応し、5人でアマチュア活動を始める。バンド名は何度か変遷があったが最終的には、1978年の、ディック脱退後に「U2」と決まった。出身はアイルランドのダブリン。この時代のアイルンドは御存じの通りイギリスとの関係から政局が不安定であったし、私の幼い時は「エール」という国名として習っていた。私も16歳のときにはロックバンドをやっていたが、ロック音楽の持つ社会派的存在という部分には、やはり土壌的にもかなり敏感で、その辺りは我々の比ではなかった(なんで、U2と対等な比較を論じているのだろか?)そんなことから、このバンドには等身大の自分を映してしまうのだ。

この作品はアメリカでも評価の高かった前作「WAR(闘)」のレコーディングと略、同時期の音源を使用したライヴアルバムだが、何しろライヴには定評のある彼ら。ある意味、スタジオ盤の内容よりも初期のU2というのはライヴを熟すことによってその人気を上げてきた、いわば、50年代後半のロックンロールの浸透と台頭に似ている。特に70年代後半から、アメリカにおけるライヴというのはその良し悪し、出来不出来の質と基準が変わって来ていた。ロックの王道的なバンドが次々失速。そんな中で、音の迫力を追求し、スタジオ盤にもフィード・バックをしたのがヘヴィメタであり、一方ライヴというよりショウの要素を盛り込んでいったのがマイケル・ジャクソンなどであったが、その中間にいた層のライヴは然程定評のあるものではなかった。その理由としてAOR系のバンドはライヴでの再現が難しかったことがあげられるし、またメンバーが一定化していないところも残念な要素だった。その点、このU2はそんなアメリカン・ツアーの現状を知っていたか否かはわからないが、久々にライヴ活動をエネルギッシュに熟した数少ないバンドのひとつであったし、本家本元にはそういうバンドが少なかった。だからこの時代の英国ロックの台頭はこのバンドに限らず勢いがあったのかもしれない。ライヴの演奏曲もよく、先に発売していた3枚の代表作に、アルバム未収録のシングル曲を混ぜての構成だから、ライヴでもありこの時点のベスト・アルバムでもあるようだ。このベストアルバム的な作品からU2ファンになったという輩も、米日共に多かったのが印象的でもあった。

しかしただ、残念なことがひとつある。本来はアメリカのレッドロックス野外コンサートの模様を収録する予定で、このアルバムタイトルも現地の夕焼けを意味した「ブラッド・レッド・スカイ」と付けられていたが、よりよい音源を選択するため、本アルバムでは同年8月の西ドイツ公演を中心に選曲している。この辺りはU2が音に関して妥協を許さないという現れだろう。


こちらから試聴できます。



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