音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

ヘイル・トゥ・ザ・シーフ (レディオヘッド/2003年)

2013-08-11 | ロック (イギリス)


多くのミュージシャンがそうであったように、後々に名盤を呼ばれるような大作や超大ヒット作品を残したりすると、暫くはアルバム発売がなかったりする。しかし、レディオヘッドに関しては、そういった過去の慣習も、あるいは一般的な悪しき礼儀も、更には音楽ファンに対するプレッシャーの何れも持ち合わせていなかったようだ。違う言い方をすれば、これまで、ミュージシャンの作品発表の形式というのが常に「音響装置」というものを媒介とした、店舗というルートを通じての「販売」という行為を主としてきたために、そのプロモーションというのが商業音楽の主たる任務であり、それは殆ど専門分野で担われてきたが、彼らは新しい時代にその手法からして変化がない限り、本当の意味での音楽の追求は始まらないと考えていたのではないかと、「キッドA」以来彼らの動向をつぶさに見つめてきた筆者はそう思っていた。そしてその具体的な行動は次回作でついに行われる。しかし、その事前準備というのが、実はこのアルバムに「楽曲」という形で随所に示されていた。これらはファンへの彼らのメッセージであったのだ。

前作「アムニージアック」のプレビューでも若干触れたが、前作は「キッドA」の「裏面」的作品であった。だから発表のタームも短かったし、音楽ファンもこの事実には面食らって、でも、既に世界を代表するバンドの一つになっていた彼らの作品を追いかけるのに精一杯であった。そう、レディオヘッドはある段階から、常にファンを待たせたり、ファンに期待や要望を抱かせたりする以前に、ファンに自分たちをプレゼンテーションする側へとイニシアチブを取る存在、言わば「主導権」を握る存在になっていたのである。こんなことをできたポピュラー音楽のアーティストを、筆者は過去にビートルズ以外に知らない。そしてその理由は「変革」と「スピード」である。何処か「企業論」と似ていない気がしないでもないが、ビートルズも10年間の間に、常に音楽が変わっていったが、レディオヘッドも丁度、この作品がデビュー10年目で、この間の彼らの音楽を振り返ると、それは「変化」であることが最大の要因である。ただ、ビートルズに時代と違うのは、マスメディアとの関わりであり、メンバーはそれらも巧みに利用した音楽発信をしている。例えば、アルバム先行シングルとなった"There There (The Boney King Of Nowhere)"の発表以前にアルバム製作のエピソードを随所で語り、エドは「次のアルバムはメタルだね、みんなでポイズンを聞いて勉強しているんだ」や、トムは「結成以来初めて、アルバム制作中にメンバー同士で殺し合いになりそうになかったのでよかった」などの予告の中に発表されたこのシングルのタム・ビートを全面に出した曲構成に、一体、レディオヘッドは何処に行ってしまうのだろうと面食らった。最終的には従来の電子音楽との融合だという言い方は出来るものの、いや、そんなに簡単な言葉で片付けられる内容ではないことが最近になって分かってきた。多分、この音楽は、今現在は誰も追随できる者がいないが、近い将来、ポップ音楽のスタンダードになるかもしれない、そんな作品だ。それは、もしかしたら来年か、あるいは30年後かもしれない。しかし、その時が来たときに、音楽ファンは改めてレディオヘッドは凄かったって、再評価するだろうと思う。そしてその時、彼らの代表作が「OKコンピューター」や「キッドA」から、この「ヘイル・トゥ・ザ・シーフ」に変わっているのである。そう、こんなところもビートルズにそっくりではないか?

アルバムタイトルは、2000年の米合衆国大統領選挙における一連の投票結果争訟で、ブッシュ批判に用いられたスラングを、そのままのタイトルに変更された("Hail to the Thief" / 『泥棒万歳』 であり、 『大統領万歳』 のもじり)。最初のナンバー"2 + 2 = 5 (The Lukewarm.)"でグローバリズム批判をしていたり、"We Suck Young Blood. (Your Time Is Up.)"での戦争批判。かと思えば、"A Wolf At The Door (It Girl. Rag Doll)"は、ベートーヴェンの「月光ソナタ」をベースにしている。これまでのレディオヘッドの作品の中でも特に綿密に作られた感もあり、ロック音楽の未来への期待が一層膨らむ作品である。


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