音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

戦慄の王女 (クイーン/1973年)

2013-08-10 | ロック (イギリス)


クイーンというバンドに関して、結構、筆者の評論は実はいい加減だと思う。レビューの順番もかなりいい加減だ。また、サードアルバムに関して言えば、多分かなりこのブログの初期に書いたものなので全く考察ができていない。なので、近々書き直す。ただ、冒頭の理由として、まだ、ロック音楽の情報が国内では中々乏しかった頃に、真っ先に市民権を得た"MUSIC LIFE"という専門誌の偏向記事と読者層の偏りによるものが大きいと思う。当時、自身もまだ9割方はクラシックに傾倒していたし、60~70年代前半のロック音楽が確立した時代を、短期間に修得しなければならなかった時代だったにも関わらず、肝心な情報より、まるで雑誌「平凡」「明星」のように、このバンドは御三家アイドルと同格で取り上げられ、その記事の割合も圧倒的に多かった。そんなことからのジレンマ、不満をすべてこのバンドに投げかけてしまったのかもしれない。だから今でも、「オペラ座の夜」「華麗なるレース」は、筆者が選ぶ、ロックアルバムワースト10に入っている。

しかし、クイーンの初期は違う。特にこのファーストアルバムを聴くたびに、クイーンは何故この方向性に進まなかったのかと残念でならない。しかも、後年、前述ワースト2作品後に、彼らは軌道修正して、ロック音楽界の金字塔たる作品を2つも発表しているのだから惜しい。無論、その理由として、本国、及びアメリカで苦戦したことは商業音楽の恩恵にのってしまった彼らなのだから致し方ないことは認める。クイーンと言えば、"Keep youeself Alive"というのはロックファンなら常識だ(クイーン・ファンは違ったりするのが可笑しいが・・・)し、発表から40年経ったいまでもそれは変わらず、また新鮮である。それだけでなく、この作品は至るところにこのバンドが様々なアイデアと、実験、それにロックバンドに先達に倣っているところが見受けられる。無論、それはツェッペリンであり、デビット・ボウイであり、また、なんとディープ・パープルだったり、T-レックスだったりしている。一方で、ストーンズとか、サバスの臭いが全くしない。ましてやビートルズの要素など微塵もない(にも関わらず、日本の音楽メディアは第2のビートルズで売り出した。反省して欲しい)。この辺は、彼らの主張はしっかりしていると思う。クイーンは、例えばグランドファンクのように前座時代に観客を圧倒したとか、同期のバッド・カンパニーのように、新人バンドと言ったって殆どメンバーは元フリーだから、そもそもからして器が違う、と言ったようなデビュー時代に伝説や逸話があったわけではない。しかし、地道にアメリカでライブという草の根運動をこなしてしてきた結果が、シングル”Killer Queen"本国英国でも大ヒット。全米チャートでも初のトップ10入りを果たした。このスタジオ盤では、妙にディストーションがかかったギターサウンドも、ブライアン・メイの手作りギターであることがライブでも話題になった。クイーンを代表する曲"Liar"、また初の日本公演では矢鱈長時間演奏したが評判の良かった"Son And Daughter"(これぞ、ツェッペリン??)など、名曲が多いのだが、この時代の曲が後々のコンピレーション・ベストアルバムに入っていない("Killer Queen"より前の曲は敬遠されている)のは残念だ。また、セカンドアルバムの予告も最後に入っているところなどは粋である。

この作品、邦題は「戦慄の王女」である。Queenは「女王」なのに(「王女」はPrincess)、そう表記しなかったのは英国王室への配慮だったそうだ(原題はセルフタイトル)が、だとしたら「戦慄」なんていわないで「旋律の女王」とすれば、綺麗で良かったのではないか?? 当時のプロモーターの耳に、この旋律の良さは届かなかったのだろう。参考までに、ベーシストがディーコン・ジョンになっているが、これは当時のメンバーの意見で、名前を入れ替えたらしいが、セカンドアルバムでは元のジョン・ディーコンに戻っている。


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