音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

ロキシー・ミュージック (ロキシー・ミュージック/1972年)

2013-06-09 | ロック (イギリス)


たいへん恐ろしいことに、筆者はこのブログに於いて、このバンドに関して過去に「アヴァロン」のレビューしか書いていないことに先日気がついた。しかもこのレビューはかなりいい加減な内容だ。だから、この「アヴァロン」を書き直すことを念頭に、ロキシー・ミュージックの歴史を辿りつつ彼らの作品を振り返ってみようと思った。とはいうものの、このバンドほど、作品を出すたび、いや、中には作品も出さなく、ツアーのためだけにメンバーが変遷したという例も他には中々見当たらない。というか、20世紀後半以降にデビューしたバンドはこういう類いが多いが、それ以前に、しかも然程、商業音楽の軋轢を受けなかった時代にもそういう繰り返しが有りながらバンドを維持してきた特異性に関しては、まず以て敬意を表する。アメリカにもスティーリー・ダンが同じような活動思考を持っているが、若干それとは異なる。その辺も両者のレビューで多少触れて行くかもしれない。

最初に、ロキシーは色々評論者によって意見も違うが、大きく分けるとその活動は3期に分けられる。第1期は1971~1976年まで、作品でいうと、スタジオ盤「サイレン」まで(ライヴも含めれば「ビバ!ロキシー」まで)。第2期が1978~1983年、前述「アヴァロン」の発表までであり、その後、ロキシーは暫く活動を休止するが、2001年にライヴ活動を再開する(残念ながら作品は発表していない)。この間、ポップ音楽界に於いて、常に先進性を持っていたにも関わらず、一部に熱狂的なファン、及び影響されたミュージシャンは多数あるものの、例えばストーンズのように常に音楽界の頂点にいた訳でもないし、また、ボウイのように常に問題提起し話題を振りまいて注目をされ続けてきた訳でもない。だが、一方で、とっても微妙なバランス感覚を持ってポップ音楽界を支えていたことは事実であり、そしてそれを、ミュージシャンもファンも、プロモーターや音楽関係者も常に了解していたにも関わらず、これほど、敢えて無関心を装われたバンドも他に例がない。本当に不思議だ。

一般的に彼らは、「アート・ロックの始祖」という扱いをされるが、これは正しくもあり正しくもない。というのもアート・ロックとは一般的に言われるところがどちらかというと、日本のプロモーターが使った販促に使った言葉とされていて、その代表は1960年代のクリームやジミ・ヘンあたりが最初。つまりはサイケデリック時代に、サイケデリックの要素だけではなく更に「アートを付加した」という意味が込められていたようだ。だが、実際当時そんな呼称に値するミュージシャンがいたかというと、当時、サイケとは別に言われていた本来の「アート」という意味からすると、せいぜいヴェルヴェット・アンダーグラウンドくらいのものでないかと思う。しかし、ヴェルヴェットにあり「アート」というのは、例えばアンディ・ウォーホールという別のアートを添加したという要素を誇張された部分が大きく、本来ロック音楽自体がアートなのかと言うと、実はそんなでもない。また、もうひとつのアート・ロックの解釈として、ビートルズ「ラバーソウル」で始めたような、テーマ性を持ったアルバム作品を中心とした活動体系の変化が上げられるが、これは「アート・ロック」の本質を示すものではない。では、ロキシーはと言うと、彼らが明確なのは、コンセプト的にアートなのではなく、ロックという音楽にアートを持ち込んだということに置いては、このロキシーというバンドが最初であるからなのであり、無論その功績はイーノにあるのも事実である。その音楽が開花するのは次作の「フォー・ユア・プレジャー」であるが、このデビュー作品では、あのピート・シンフィールドがプロデュースしたということもあり話題になり、また音楽的にはフィル・マンザネラがギターとして加入(ギタリストとしてオーディションを受けたが採用されず、暫くはサウンド・ミキサーとしてバンドに関与していた)したことで楽曲が整理されたのも事実である。参考までに、この時期までに既に結成から僅か1年でバンドのメンバーが4回入れ替わっており、この時期も含めると、バンドは第4期になっているという見方も出来るのである。

本国イギリスでは兎も角も、まだアメリカ音楽市場にこのバンドの音楽性は到底取り入れられるものではなかったが、やはり、かなり完成度が高く、全く新しいバンドのデビュー作品であった。


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