音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

シンクロニシティー (ポリス/1983年)

2012-05-03 | ロック (イギリス)


これがポリスの最後のレビューだと思うと、ずっと躊躇ってしまっていた。しかし、これを書かないとスティングのレビューも書けないし、時代的にはこの後のオルタナに関しても、また、2000年のポップ音楽についてもはっきりと書けないと、前回1984年、プリンス「パープルレイン」のレビューを書いていてそう思った。だから残念だけど書くことにした。とはいえ、この作品のことについては実は色々なところで書いているので、今回はちょっと違った切り口も入れて。その前に一言、私はポリスとジャムの2バンドの活動中に関して共通して思っていることで「良かった」と思うことのひとつに2枚組アルバムを作らなかったことがある。そう、これは持論であるが、「ポップのアルバムの2枚組に名作はない」という事である。2枚組の名作で思い出すものといえば、例えばボブ・ディランの「ブロンド・オン・ブロンド」、通称ホワイトアルバムと言われる「ザ・ビートルズ」、ピンク・フロイドの「ザ・ウォール」、そしてクラッシュ「ロンドン・コーリング」と、せいぜいこんなものだと思う。しかし、ディランとビートルズは、他にこれを越えた名作が自身に作品にある。クラッシュの場合、実際は1枚組として発表した。だから「ウォール」だけであるが、これも一般的には「狂気」の方が評価は高い(私は「ウォール」の方が好きだが・・・)。要は、2枚組というのはある種「散漫」になってしまうのである。また、ジャムが全ての作品を40分以内に収めているように、私は一作品の限界はこれくらいでいいと思っている。クラシックの交響曲なんかも、40分を超えるとちょっと集中するのも厳しい。また、アーティストというのは作品を創っていく過程において文章でいるところの推敲を行う。今、出来得る表現を再考するというのは芸術家にとって大事な作業であり、だからその段階で勿体無いと思ってもカットすることが多いが、それで良いものが生まれる。そんな訳でポリスも結局、最後までファンを魅了できたという大きな要素のひとつにこの点が挙げられると思う。

最近、ポップ音楽を体系的に聴くことに努めていて分かった点があるのは、やはりニューウェーヴというのはパンク・ロックが派生したものではないことだ。この勘違いは、私がことにこのポリスやジャム、クラッシュそしてストラングラーズなんかをリアルタイムに聴いていて、で、彼らの作品発表とポップ音楽のムーヴメントが並行だったために混同してしまった点にある。そう、大事な要素としてレゲエがロンドンを直撃した事実をついつい忘れてしまうのだ。ボブ・マーリーがイギリスでブレイクしたという70年代の事実は重大だ。つまりニューウェーヴの誕生要素として、ロンドン・パンクの隆盛と、レゲエのイギリス上陸のふたつの事実が基盤になったということで、パンクがそのまま引き継がれたという訳ではないこと。だからニューウェーヴはかなり細分化し、ロック音楽に新しい解釈を取り込んだことで、これが後々にオルタナティブにも繋がっていく。ポリスでいえば、まさにその時代を生きたバンドであるから、確かにその兆候はあったがパンクバンドではなく、寧ろ、ファーストアルバムから「レゲエ色」が強かったことになる。そう考えるとこのトリオのスタンスはとても明解で、やはりなんだかんだいってもポリスを支えていたのは音楽的にはリズムセクションのふたり、そして精神的にはアンディ・サマーズだったことがよく分かる。それにしてもこの作品、ポリスの作品としては実は「アウトランドス・ダムール」が一番好きなのであるが、ロック音楽という括りで考えると私に評価はかなり高く、10枚に入る筈である。それに、この3人は、この当時にこの域にたどり着いいてしまったということは凄いことだと今でも思う。特に"Walking In Your Footsteps"、"King Of Pain"、"Wrapped Around Your Finger"、"Tea In The Sahara"という名曲揃いである、いや、全てが名曲で、同時にアルバムのバランスが絶妙である。

シングルカットされた"Every Breath You Take"は全米8週連続1位で、この時期に英米で、同時期にシングルとアルバムが1位になるという快挙(このアルバムは何と全米で17週連続第1位だった・・・)となった。つまりは作品の内容的にも、また興行的な部分ではチャートの記録的にも最高の栄誉に輝いた、要は「世界が認めた」訳である。だとすれば彼らにとって、もうこの「ポリス」というバンドを続けている必要も無いはずだ。なぜなら、次に出す作品はこれを上まって初めて評価されるのであるのだから。勿論、彼らの思い切りも良かったが、どちらかというと「自然消滅」的に解散したのも、三人が三様に「同じ思い」に浸っていたのだったのであろう。短い間だったが、いいバンドだった。


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