音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

イン・スルー・ジ・アウトドア (レッド・ツェッペリン/1979年)

2010-08-03 | ロック (イギリス)


事実上、ツェッペリンの最後のアルバムである。しかし、既にこのアルバム録音時の光景自体がゼップの終末観を物語っていたようだ。「聖なる館」のレビューで、ゼップの前期と後期と分けたと書いたが、正確に言うと(あくまでも、このアルバムが真のゼップアルバム最後として・・・)、このアルバムをひとつとして、3期に分けることもできる。

オリジナルのアナログ盤は、レコードジャケットが6種類作成され、何れも店頭にはクラフト紙の外袋に包まれていたために、まず中ジャケが分からなかった。おそらく6種類すべてを手に入れたファンもあっただろうと思うが、それほど、デザインも中々凝っていて、セピア基調にバーカウンターに座っている男性の構図が様々な6種類であった。これは単にデザインの妙だけで、前作「プレゼンス」の様な作品を象徴したり、音楽的な拘りがあった訳ではない。ただ、ひとつ言えるのは、今までのゼップではないということで、そういう意味では、過去の作品がすべて、ジミー・ペイジが主導で作成したものであったことを考えると、この作品は顕かにジョン・ポール・ジョーンがバンドの中心に座っている。この傾向は「聖なる館」からあった訳なので、ゼップの活動を前半・後半の二分割に考えることも可能いであるが、一方で、まだ前作までは、ジョン・ポール・ジョーンズの色が出てきたというだけで、音楽の中心はジミー・ペイジであったのと、今回はプロデュースこそジミーの名前になっているが、リードコンポーサーはジョーンズの名前になり、殆どペイジの色がないことで考えると、ゼップの活動をこのアルバムは別として3区分することも可能である。特にレコーディング以前から曲のサンプルはジョンが殆どシンセサイザーでデモを作り、その音を中心に作られていったのと、ジミーは全くその作業には関心を持たなかったと、後日ジョンの回想にある。また、このアルバムの録音前は、愛息を失ったロバート・プラントが失意のどん底に入り(それだけでなく、彼には色々な問題が露呈していた)1年以上の活動休止をし、バンドの将来が危ぶまれていた時期であった。このアルバムタイトルが「ドアの外側から内側へ」という音楽ファンの関心を促す内容タイトルであることと、同時に当時の音楽シーンの背景を考えると、アメリカではディスコブーム、イギリスではニューウェイブ、そして、音楽全体ではポップ自体がかなりテクノ音隆盛であり、そういう意味では、シンセサイザーを入れても、正統的なロックの音を取り戻そうとするロック界を牽引する誇りを提示したという言い方もできる。確かに最初の3曲は今までの、荒削りロック(ゼップにはこういう表現は似合わないが)よりも、洗練された楽曲の構築という評価がくだせるのではないか。但し、それはゼップが辿り着いた音ではないことが残念だ。やはりゼップは「天国への階段」に代表される第1期(これが結論であり最高だという見方もできるしそういう論評は多い)、第2期は「アキレス~」が絶頂期であった。

レッド・ツェッペリンがポピュラー音楽界に残した功績は多大である。それは、ビートルズや、ストーンズとも全く別のものでありながら、この世界には同等の価値を残した。また、その中にあって、この3つのバンドの共通する拘りは、「商業音楽化」しなかったことではないかと思う。


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