TSUNODAの経営・経済つれづれ草

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地元伊勢崎の八坂用水を歩く

2010-07-17 18:25:23 | 地域文化・地域資源
今日は、地元伊勢崎市の八坂用水沿いを散歩しました。

 八坂用水は、宝永3年(1706)に完成した全長15キロメートルの用水で、前橋藩領のうつぼい村地内の桃木川で取水し、うつぼい、増田、二之宮各村の水田を灌漑しななら、伊勢崎藩領の八坂村、波志江村、今泉村、茂呂村などの約300メートルを潤しています。

 伊勢崎藩の広瀬川左岸は、粕川が流れる程度で田植え時には水不足に悩む地域で、新田開発には用水の確保が必要でした。伊勢崎藩では、安定した用水を得るために用水を得るための灌漑用水を引く計画をたて、その担当役人として、小畠武堯があたりあmした。

 問題は、湧水すべき下増田村と八坂村の間に神沢川が流れていることでした。小畠武堯は、この神沢川に70メートルを超す木製の大樋(おおどい)をを架けて通水させることを考えました。

 その大樋(おおどい)は今は、コンクリートとなって、神沢川の上を通っています。
 
 その様子が下の写真です







 下の写真は、大樋を通って八坂の流れる用水です。

 

 この用水は、偉大な先人の歴史を今に伝えるものです。そして、後世にしっかりと伝えていきたいものです。

 

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