今週号の週刊東洋経済に社会学者の山田昌弘中央大学教授がリスクに関する文を寄稿しています。
以下その要約引用です。
日本は、政府から一般の人々に至るまで「リスク」が本当に嫌いである。そのため混乱をもたらしているのではないか。
リスクを、将来に起こる可能性がある危険な事態と定義しておこう。多くの日本人は、リスクが嫌いだから、リスクの存在を認めがらない、気がつかない見ないふりをしておく。リスクが起きないことを「信じる」。だから、いったんリスクが起きるとパニックに陥る。リスクの存在を認めざるを得なくなると、今度は、リスクが生じないための対策だけに全力を注ぎ、他のことをすべて無視する。
今回の東京電力の原発事故も同じ構造をしている。津波は「想定外」でも、何らかのきっかけで電源を失う可能性は十分に想定できていたはずである。しかし、その可能性を認めてしまうと、その防止策をもとめられてしまうから、リスクは存在しないと言っている以上、現実に電源を失ったときの対策を考えておくことはしない。そして、現実に起こったときには、東電も政府も何をしていいかわからない状況(パニック状況)から始めるしかないのである。
社会学的に言えば、リスクへの対処法には、2種類ある。一つは、そのリスクが事前に防止するものである。もう一つが、リスクが起きたとき、どうするかを事前に決めておくものである。そして、日本人、そして、日本社会は、前者のリスク対策には優れていても、後者はまったく苦手である。
今回の原発事故でも、事故にならないような防止策は相当程度取られていたと考えらる。その点で、世界一の「事故リスク防止」システムが作られていたという評価も正しいだろう。抜けていたのは、事故が起きたときにどうすればよいかという対処法で、それを事前防止だけに全力を注ぎ、事故が起きたときの対処法を、電力会社も政府も考えていなかったツケが回ったのである。
この国が必要としているのは、将来のリスクにおびえず、実際にリスクが起きた場合、どう対処するかをきちんと説明できるリーダーなおだと、あらためて思っている。
山田教授が論じるように、リスクが起きた時の対応は、現状から判断すると問題が多いと思います。ロングセラーとなった「ローマ人の物語」で、英雄カエサルの英雄たる由縁は、「見たくない現実を見ることができるか」と書かれていたのを思い出しました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます