「中心市街地活性化に意味があるのか」を長年気にかけていて、そのことが書かれている文章があると読んでいます。このことが書かれた文章をインターネットで見つけ読んだのですが、やはり満足のいくものでありませんでした。以下その文章の要約と私の反論・疑問です。
「中心市街地活性化の意義・必要性と効果」の反論・疑問
~今、なぜ中心市街地なのか~
まちづくりAnjo事務局長
鶴田伸也
1 なぜ、活性化しなくてはならないのか
・なぜ、中心市街地は活性化しなくてはならないのか。
・買物は百貨店や大型店やコンビニがあれば充分で、わざわざ車の停めにくいまちなかに行かなくてはいいのでは。一生懸命法律を作っても、税金を使っても、色々な人が
苦労しているが、絶対に無きゃいけないというほどでない。
行政関係者の態度:「仕事だから仕方ないけど、活性化していなくとも自分は困らないし、実はそれほど必要性を感じていない」
中心市街地活性化がなるほどということのためには
①中心市街地活性化が、地域全体、市民全体にとって利益になることが確信できる
②自分達の利益にもなることがはっきりわかる
③なるほどそうか!そりゃなんとしても中心市街地を活性化しないと!と思えるなにかがある。
2 都市経営の面
・活性化している地域では様々な企業の誘致が活発に行われ、投資を呼び込むことができる。誘致した企業は、若い人や主婦層の重要な雇用先としての役割を担ってくれる。
・街なか居住が推進されると、自動車に頼らない生活スタイルを志向する人々が増加し、CO2などによる環境負荷や行政コストの低減が期待できる。
・まちなかを人々が歩き出せば、商業のチャンスは拡大し(もちろん個人の努力は必須)商売繁盛といけば、地域の経済力が向上し、税収がアップする。
・行政の財源に厚みが増せば都市計画と実際の土地利用がマッチする。
私の反論・疑問
・企業誘致に成功している都市は、中心市街地が活性化している都市とは限らない。
経済がグローバリゼーション化している現在、企業誘致の要件は、立地条件、雇用環境などの要素が大きいのではないか。
・街なか居住は、コンパクトシティという考え方であるが、自動車は日本経済を牽引している産業である。日本の稼ぎ頭である自動車産業をどのように考えるかの視点が必要ではないか。電気自動車が普及すれば環境負荷も改善させるのでは?。自動車に頼る生活は悪ではないのではないか。
・商業での地域経済貢献は、郊外型大型店の進出によるのが現実。中心市街地の商店の存在はどのように考えたらよいか。多分に個々の経営の問題ではないか。
3 市民生活の面
・もともと都市はその構造として市民が誇りに思い、大切にする中心市街地が必要とされてきた。
・世界中のどこの都市にもどこの時代にも中心地があり、その都市の生活文化を象徴し市民のアイデンティティを表している。
・心豊かな生活を作りあげるためのこだわりの物・サービスを提供する店が並べば、市民のQOLにも大いに貢献する。・・・「生活の質の向上」
反論・疑問
・都市の成立には、宗教の存在が大きかったのではないか。ヨーロッパの都市の成立は「キリスト教」の教会が街の中心になり心のよりどころになっていた。
・日本は「城」が権力の象徴として街の中心にあった。それは武士の権力を象徴するそのものであった。その城を中核として街が形成された。そのような象徴は、今はなにがあるのか。
・都市の繁栄は言ってみれば、為政者の権力の象徴ではないか。モータリゼーションが進展して、都市にいなくても不都合がきたさなくなっている現実で、中心市街地活性化の意味はなにか。
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