フランクルの著書「夜と霧」の旧版を読みました。新版と異なり、この旧版は1959年の初版で、文章が難しいです。しかし、難しいなりに新版とはちがった魅力が溢れています。
また、フランクルの著書といっても、解説の部分はナチスの行った収容所の実際の所業が書かれています。この解説は、フランクルの書いた文章ではないのですが、収容所でどのような悪行が行われたかを知ることができます。
フランクルの記述では読むごとに自分なりに理解が深まるように思えます。以下の記述に感銘をうけました。
人生から何をわれわれはまだ期待できるか問題なのでなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。すなわちわれわれが人生の意味を問うのでなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。人生はわれわれに毎日毎時間問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先でなく、正しい行為として応答しなければならないのである。人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことにほかならないのである。
何の生活目標をもまはや眼前に見ず、何の生活内容ももたず、その生活において何の目的も認めない人は哀れである。彼の存在に意味は彼から消えてしまうのである。このような全く拠り所を失った人々対してに、答える言葉として記載したものです。
収容所生活でなにもかも失った人たちに、それでも人生は意味があるとフランクルは答えたのです。過酷な状況を耐え生きたフランクルの言葉ですので、重く私たちの心に響く言葉となります。
旧版の文章も、今後も一文、一文かみしめて読んでいきたい文章です。
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