すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「アエネーイス」

2022-05-27 20:57:24 | 読書の楽しみ

 こんなご時世だからこそ古典を、と思い、ホメロスの「オデュッセイア」とウェルギリウスの「アエネーイス」を読んだ。オデュッセイアは御存じの方も多いだろうが、アエネーイスの方は日本では知名度は低いようだ。
「アエネーイス」は「アエネーアスの物語」という意味だ。紀元前19年に世を去ったローマの詩人ウェルギリウスが初代皇帝アウグストゥスの求めに応じて書いたローマ建国の英雄アエネーアスの放浪と戦いの物語(叙事詩)で、ラテン文学の最高傑作とみなされている。
(ローマ建国伝説としては、狼に育てられたロムルス(とレムス)のほうが良く知られているが、ロムルスは人格的に問題があるのでアエネーアスの方が好まれたらしい。ちなみに、ロムルスはアエネーアスのおよそ400年後の子孫ということになっている。)
 ギリシャ軍によるトロイア陥落の折、トロイア側の総大将ヘクトールの従兄弟で、女神ヴィーナスが人間との間に儲けた子である英雄アエネーアスは、家族や仲間たちとともに落ちのび、神の予言に従ってローマ建国のために艦隊を編成して地中海を7年間放浪し、苦難の後イタリアのローマ南方のラウィニウムに上陸し、平和裏に入植を希望するが、けっきょく望まぬままにラテン人と戦う。全12巻のうち前半は放浪の物語、後半は戦争の物語だ。
 特に後半は殺戮の詳述の連続でうんざりする(ぼくは以前にいちど途中で投げ出している)のだが、それでも、これをそのおよそ800年前に成立したホメロスの叙事詩と比較すると、大変興味深い相違がある。
 ホメロスの英雄たちは、敵を滅ぼすために集団で戦っているには違いないのだが、描かれるのはあくまで個人の戦闘能力や智謀だ。彼らは復讐心とか怒りとかに駆られて、個人の栄誉をかけて戦っているにすぎない。そして、友情や家族愛はあっても、社会的使命のような意識はまだ芽生えていない。倫理観もごく低い。例えばオデュッセウスはトロイアから故郷への帰りがけにイスマロスという都市に立ち寄り、そこで男たちを殺し、女たちや財宝を略奪し、山分けしている。当然のことのように。彼らはまだ野蛮人なのだ。
 これに対してアエネーアスは、放浪の途次、行く先々で何度かその土地に平和裡に住み着こうとはするが、略奪行為はしていない。イタリアに至り、結果的に戦争になり、殺戮はするが、まず初めに平和を望んでいる。土地の王に「自分たちの暮らせる土地を分け与えてくれ」と頼み、2度にわたって盟約を結ぼうとしている。彼が戦うのは、2度とも盟約が一方的に破られ、突然の襲撃を受けて戦闘に引きずり込まれたためだ。
 また彼は、自分の社会的責務に目覚めている。放浪の途中、その土地に留まろうと考えるたびに神々から予言を思い出さされ、「イタリアに行ってそこにトロイアを再建し、将来のローマの礎になる」という運命を使命として引き受ける。それは彼にとって苦悩を伴う決心でもある。カルタゴの女王のもとを黙って去るのもそのためだ(これは遠い将来、ローマとカルタゴとの、全面戦争のもとになるのだが)。
 さらに、彼はこれ以上無駄な血を流さないために相手の大将との決闘で決着をつけようと提案するのだが、驚くべきなのは彼の示す取り決めの条件だ。
 「自分が敗れたら、トロイア軍はこの土地を去り、以後いかなる戦争も仕掛けない。だが自分が勝ったら、『我々に従え』とは言わない。対等の条件で盟約を交わし、王権も武力も信仰もそのまま認める。両民族の融和を推し進め、自分はただ王女を妻にもらい、王権に従い、王の定める土地に都市を建設することを認めてもらえばよい。」
 後のローマの繫栄と平和の源となる存在として、詩人は英雄を最大限に美化しているのは間違いないが、それにしても、平和の希求とか民族の融和という考え方が出てきたこと自体、また倫理という面でも、人類はホメロス以降800年の間に確実に進歩したのだ。
 さてその後の2千年を見ると、どうだろう? 現代では、非戦闘員に対する無差別攻撃とか、捕虜や住民の奴隷化とか、財産や農作物の略奪とかは、戦争犯罪として禁止されている(そうなったのは最近のことだ)。ただしそれは戦い方のルールに過ぎないのであって、平和とか融和とかへの明確な希求ではない。しかも現在のロシアのウクライナ侵攻を見ると、そうしたルールさえ守られていない。この2千年間に人類は本当に進歩し、賢くなったのだろうか? 相変わらず野蛮なままなのだろうか?

コメント
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