すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

高尾山荒涼

2019-10-21 12:27:02 | 山歩き
 高尾山口駅前の広場はうっすらと土でおおわれている。泥を掻き出した跡だろう。橋には流木も引っ掛かっている。登山客は、例年の紅葉の時期の日曜日ほどではないが、けっこういる。
 ケーブルは再開したようだが、ぼくのお気に入りの、沢沿いの六号路は全面通行禁止。一号路もリフトの山上駅までの間は通行禁止。
 稲荷山コースを行くしかないので、すごい人。ちょっと途中でシャツを脱いだりしていると、あとからあとから登ってくる。稲荷山コースは広いので六号路のように渋滞することはなく、抜いたり抜かれたりすれ違ったりするのは容易なのだが、人混みが嫌いなぼくは閉口。山頂まで4/5ほど登った六号路分岐で、そこから上はおそらくドロドロのすべりやすい道のはずだということもあり、左手に下って高尾林道に入った。
 ここは人はいないが、いたるところで崩れている。左手はところどころ林道の縁が崩落し、右手はルンゼ(岩溝)が滝になり、押し流されてきた石や土砂や幹や枝が道を塞いでいる。それを乗り越えて進む。堆積した土砂に山靴がずぶずぶ沈む。右の岩壁側にはシラネセンキュウだろうか、小さい白い花を散形に無数につけたセリ科の大型の草が、こんな荒れた風景の中でひっそりと美しい。それから左側には、ぼくには種類の区別がつかない、キク科の白い花がいっぱい。
 この林道では、ぼくのすぐ後ろを林道に下りてきた、長靴をはいてメットをかぶってカメラを持った山慣れた感じの二人組にしか会わなかった。訊いたら、「林道の状況を調査に来ました。どこまで行けるかわかりませんよ。危なかったら引き返してくださいね。ここらあたりでも、500ミリは降っているはずですから」とのことだった。その女性の方が、セリ科の花に向かって、「台風にめげずによく頑張って咲いたねえ」と話しかけていた。感動した。いいなあ。そんなふうに自然に接している人たちがいるんだ。
 あとで思った。ぼくが感動したのと反対に、向こうにはぼくが無謀登山者に映ったかもしれない。もともと人が通らないから調査が後回しになっただけで、あの林道は今後通行止めになるだろう。
 調査の二人を後ろに残して、ぼくは林道を進む。人がいないから、「遠い山から吹いてくる/こ寒い風に揺れながら…」などと、「誰かさんが誰かさんが誰かさんが見つけた…」などと歌いながら進む。
 高尾本山の方に戻ろうと思っていたのだが、学習の道も通行禁止だ。大垂水峠に行く道と防火線帯を登る道の分岐に来た。どっちに行こうか迷っていたら、ちょうど大平林道から来た人がいて、「この先で通行止めです。ぼくも引き返してきました。大垂水峠には行かれるけど、バスは不通。その先の南高尾山稜も通行止め。城山に行っても小仏に下る道が通行止め。小仏のバスも不通です。防火線帯を登って一丁平から稲荷山コースに戻るしかないですよ」と教えてくれた。
 人ごみに戻るのは嫌だったけど、くたびれたし、それ以上の冒険はやめて、その言葉に従った。防火線帯は地面が見えないくらいの一面のススキの中だ。歌なんか歌っているとススキが口に入るくらいだ。
 一丁平でお昼を食べながら傍らの人と話したら、「病院坂は通れますよ。その手前の三号路も通れます」という。うれしくなった。
 富士見台、三号路、二号路、病院坂を経由して快適に高尾山口駅に戻った。ケーブルカー駅に近づくと秋祭りのお囃子のような笛と太鼓の音色がきこえてきた。ステージを作って獅子舞とおかめ踊りをしていた。人だかりができていた。「人だかりも良いもんだ。荒れた山を歩いたあとではホッとするね」、と思った。焼き栗を買って帰っ た。
六号路はこれまでも通行止めになっている。再び通れるようになるのはいつ頃だろう。
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