すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

望郷の歌

2018-04-15 22:51:09 | 音楽の楽しみー歌
 アメリカには、望郷の歌の心に沁みる良い歌が多い。「旅愁」、「故郷の人々」、「懐かしきケンタッキーの我が家」、などのほかにも、「我が心のジョージア」、「懐かしきヴァージニア」、「峠の我が家」、「霧のサンフランシスコ」、などなど、思いつくだけでもいっぱいある。ここで一つ一つに言及することはしないが、ひとつだけ、「谷間の灯」については、触れておきたい。
 「思い出のグリーングラス」は死刑囚が主人公の歌だ、と書いたが、「谷間の灯」も、罪びとの歌だ。
 日本語歌詞はまことに美しい、故郷を思い、母を思慕する歌だが、そして英語の原詞も1番を聴く限りはやはり同じだが、2番3番で別の面が明らかになる。
 (ぼくはこの歌を原語で通して歌う計画が当面ないので、原語詞とその直訳の全文を載せるのはやめておく。)
 2番では、「母はぼくが会いに帰って来るよう祈っているが、ぼくは決してそうできない」と歌った後、
I’ve sinned ‘gainst my home and my loved ones. And now I must evermore roam.
つまり、「ぼくは故郷と愛する人々に対して罪を犯した。だからいつまでもさまよい続けなければならない」と歌う。
 “sin”は道徳的罪だから、これだけなら、単に故郷を捨てたことに対する罪悪感、とも取れるのだが、さらに3番では、
She(母) knows not the crime I have done. … I’ll meet her, up in Heaven when life’s race is run. と、“crime”「犯罪」の語が使われている。「母はぼくの犯した犯罪を知らない。… ぼくは命が尽きたら天国で母に会えるだろう」となっている。
 かなり重大な犯罪なのだろうか。
 ただ、この歌詞は「グリーングラス」の場合と違い(あちらにも牧師は出てくるが)、宗教的な色合いが強い気がする。
 そして、故郷のお母さんは、「ぼく」がどんな罪を犯したかまでは知らないが、「何らかの罪を犯したから帰れないのだ」ということは知っており、もしくは、感じており、彼女の祈りはただ単に「息子が帰って来ますように」というだけではなく、神様に向かって「願わくばあの子の罪が許されて、もしくは、あの子が罪の償いを終えて、生きて故郷に帰ってきますように」ということではないか、と思う。
 そこまで書かれてはいないから、根拠はないが。
 まあ、そこまで考えなくても、流布している日本語の歌詞だけでも、マザコンのぼくとしては大好きだけどね。
 次回は、日本の望郷の歌に触れてみたい。
 …ところで、ぼくはこれを書くのが実は時間的、体力的にかなりしんどいことが分かったので、今後、週に3回ぐらいのペースに落とすつもりでいる。音楽や読書優先ということで。
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