昨日最初の部分だけを引用した立原道造の詩は、「水色のワルツ」の高木東六が作曲している。優しい、美しい曲で日本歌曲中の名曲だと思う。
以下にその歌詞の全体を紹介しておく。立原の原詩とは若干の違いがあるが、ここでは歌の方を書く。
今は 二月 たったそれだけ
あたりには もう春がきこえている
だけれども たったそれだけ
昔むかしの 約束はもうのこらない
今は 二月 たった一度だけ
夢の中に ささやいて ひとはいない
だけれども たった一度だけ
その人は 私のために ほほえんだ
そう 花は またひらくであろう
そして鳥は かわらずにないて
人びとは春のなかに 笑みかわすだろう
今は 二月 雪の面につづいた
私の みだれた足跡 それだけ
たったそれだけ 私には 私には
(立原の原詩と違うところは、さいごの「私には」の繰り返しが原詩にはないこと、原詩では「笑みかわすであろう」となっていること、原詩は旧仮名遣いであること、など。)
ぼくはこの歌が大好きで、練習して発表会では歌ったことがある。特にこの季節になると歌いたくなる。ただ、なかなか伴奏してもらう機会がないのは残念だ。また、伴奏してもらうにしてもいきなりは歌えない。何回か合わせてみなければならない。それも大変だ。
仕方がないから鍵盤かマンドリンで旋律だけなぞりながら歌うが、フラットが5つもついているので、ぼくにはけっこう難しい(マンドリンのほうがいくらかやりやすい)。
静かな前奏に続いて、その出だしの音をなぞって静かに歌が始まり、第1節、2節の間、歌は懐かしい遠い思い出のように、悲しみを漂わせながらもやわらかな明るさで続く。だが1~2、2~3節の間の間奏は、心の深層にあるものが無意識のうちに表に出ようとしているかのように、次第に複雑な和音を増してゆく。
第3節でメロディーラインは変わるものの相変わらず明るいやさしさのまま…と思わせておいて、「かわらずに」で初めてフォルテになり、「ないて」の「て」の音でいったん身を屈めるように収まり、その3拍の間に伴奏はクレッシェンドし、「人びとは」から激情がほとばしり出てすぐに元に戻り、歌の感情は落ち着いたものの、次の間奏はまだ激情のほとばしるままに下降し上昇し、それから急に、流れるように美しい三連符に変わる。
その三連符の伴奏の上を最初の穏やかな歌の旋律が、ただし今度は孤独感を込めて歌われ、最後はあきらめきれないあきらめのうちに消え入るように終わる。
立原道造の甘やかな青春の抒情から、音楽によって複雑な心の裡を浮かび上がらせた、名曲だと思う。
鮫島有美子の歌ったCDを持っている。ただし、立原が書いた詩なので、元々は男性の感情だと考えられる。高木東六がそう思って作曲しているかどうかは分からないが。やわらかなハイ・バリトンの歌で聴いてみたいものだ。